雑記帳

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武林偽史伝 1

ドラゴン

 第一部   功夫之巻

 

  李毅、斎雲山にて 善盖上人に偶う(あう)

 

清朝の初期、清源郡(現在の福建省泉州市)の清源村に父とふたりの息子が暮らしていた。兄の李竹(りちく)は体が大きく気性が荒い。弟の李毅(りき)を腕力でねじ伏せていじめてばかりいた。父が労咳を患い寝たきりになると、李竹の暴力はますます酷くなり、癇癪を起こす度に李毅を掴まえて何度も殴った。痩せて小柄な李毅がいくら反撃しても兄には敵わない。泣き叫ぶ以外に我が身を守る術を知らなかった。
  ある日、父はふたりの息子を枕元に呼んだ。
 「わしはもう長くは生きられん。わしが死んだら、土地はお前たちのもんだ。二人で半分に分けて大事に世話してくれ」
  それからほどなくして父は息を引き取った。父の死により、李毅の状況はさらに悪化した。家長になった李竹は父の遺言を反古にし、土地を全部自分のものにしてしまった。自給自足を生活の基盤としている社会では、土地を奪われることは死を意味する。李毅は知り合いを訪ねて助けを乞うた。しかし、明朝の末より、度重なる叛乱と天災で土地は荒れ、芋と豆しか育たない。日々の食料にも事欠く村人たちに李毅を援助できるような余裕はない。清朝政府は税の取立てはするが救済はしない。
  李毅はまだ十五になったばかりだったが、世の矛盾をこのとき、しみじみと感じた。こうなったら自分で土地を取り返すしか方法はない。でも、今、家に戻っても、また兄に殴られる。強くなりたい。兄をたたきつぶせるほどの力が欲しい。李毅の頭に少林寺が浮かんだ。
 ――そうだ! 少林寺で武術を教えてもらおう。武術を身に付けて強くなれば兄など恐ることはない。
 
 村の東北にそびえる斎雲山には、唐の武徳四年、王世充の乱で唐の太宗李世民を助けて戦った十三人の武僧の一人、智空和尚が建立した鎮国東禅少林寺(南少林寺)がある。この寺は唐代初期から棍術でその名を知られていたが、明朝の動乱期、倭寇鎮圧で功績をあげた武将の威継光(せきけいこう)は、軍隊の基礎訓練として拳法を採用した。その後、明の万暦帝の時代になると、少林寺棍術に加え、拳法の修行にも力をいれ、「玄を談すれば武を演じ、仏に礼しては兵を論ずるを愛す」と謳われるようになった。

 

李毅は武術の師匠を求めて、少林寺のある斎雲山に向かった。山道を歩いていると、切り立った巨大な弥陀岩の前で鍛を練っている老僧がいた。李毅は老僧が手にしている棍を見て、少林寺の僧侶だと思った。百姓の倅に生まれた李毅には武術のことはわからぬが「棍は少林を尚(とうと)ぶ」という言葉くらいは聞いたことがある。古希に近いと思しきその僧侶は、両手でもった棍を立円で回し(棍の先端を前から後ろに動かす)、転身、跳躍、裂帛の気合で棍を突き出す。流れるような身ごなしと疲れを見せぬ強靭な肉体に目を奪われ、李毅は木の陰からじっと見ていた。
 その時、一陣の風吹きすぎ、霹靂一声(へきれきいっせい)。藪から虎が飛び出した。老僧は虎に飛びつかれる寸前で体を左に捌いて爪牙(そうが)を外し、敵の攻撃にあわせて自在に変化できる陰の構え(八相の構え)をとった。はじめの一手をしくじった虎は、爪を立てて地をつかみ、林を震わせるほどの咆哮を上げた。虎は僧侶に向きを変え、身を低く構えて飛びかかる機をうかがう。間合い三間(約六メートル)。僧侶は虎を睨みつけながら棍梢を頭上に上げて構えを変えた。一瞬に全てを賭け、どんな攻めにも動じない気位とあらゆるものを焼き尽くすほどの気迫に満ちた火の構え(上段)。虎と僧侶の間に張った”気の糸”がたわんだ時に勝負が決まる。対峙すること八半刻(十五分)。
 突然、藪がざわめき、数羽の鳥が飛び立った。刹那、虎の気が緩み、飛びかかるかと思いきや、何としたことか、虎はくるりと向きを変え薮の中に飛び込み逃げてしまった。老僧は構えを解くと、李毅が隠れている木に向かって、何事もなかったような落ち着いた声で言った。
「もう出てきてもよかろう。虎は逃げよった。そんなところに隠れておらずともよい」
 李毅は虎が現れたことに驚き、この年老いた僧侶が戦わずして虎を追い払ったことに驚き、三度目は声をかけられて驚いた。不安な表情で木の陰から出て老僧のそばに歩み寄った。
「あの虎は・・・・・・」
 李毅は恐る恐る尋ねた。
「さぁてな。腹が減れば戻ってくるかも知らんが、賢い虎じゃ。負ける戦はせんじゃろ。ところで、おまえはこんなところで何をしておったのじゃ。ここは天外仙境。この先は少林寺だ」
 李毅が会ったこの僧侶こそ、武林にその名を知られた少林棍術の達人。『常山蛇陣の構え、柳の勢、千変万化、泰山を穿つ(構えは一分の隙もなく柳のようにしなやかな技は千変万化し山に穴を開けるほどの勢いがある)』と謳われた南少林寺方丈善盖(ぜんかい)上人である。しかし、この時の李毅には知る由もない。
「おら、少林寺に行くんだ」
「坊主になるのか」
 善盖が尋ねた。
「坊主にはなんねぇ。おら、武術、おしえてもらいてぇ」
「武術を学んでどうする」 
「強くなりてぇ」
「強くなってどうする」
 李毅は兄から土地を奪われたこと、助けてくれる人は誰もいないこと。土地を取り返すには武術を身に付け、兄を打ち負かす意外に方法はないことを伝えた。
「おしえてもらえるなら、おら、水汲みでも厠の掃除でも壁拭きでもなんでもする」
「ならば、牛の世話もできるか。生まれたばかりの子牛がおるが、母が死んでしもうてな。大きくなるまで牛小屋で寝ることになるぞ」
「できる」
 李毅が答えると、善盖はにっこり笑い頷いた。
「よかろう。ならばおまえに功夫を教えよう」

 

 

ドラゴン2

武術を学びたい百姓の子供を善盖上人が少林寺に連れてきたという話は、すぐに修行僧たちの間に広まった。若い僧徒たちの中には、それを快く思わない者もいた。
 ――少林寺の方丈(住職)ともあろうお方が、暴力のために武術を教えるとは、一体、どういうつもりなのだろう。
  と、囁きあった。しかし、長い間、修行を積んできた僧侶には善盖上人の意図がよく解っていた。
  李毅の修行は、子牛を抱えて、まだ若い柳の木を飛び越えることから始まった。李毅が“柳王”と名付けた子牛は、力のない李毅にでも楽に抱えられるほど軽かった。毎日毎日、柳王と一緒に背の低い柳の木を飛び越える稽古を続けた。
 そうして三年の月日が流れた。少林寺の僧侶たちと暮らすうちに、李毅は礼儀作法を覚え、背丈も六尺(約一八〇センチ)まで伸び、顔には精悍さが加わった。
  ある日、李毅は朝の茶礼が終わったあと、善盖に尋ねた。
 「私は三年間、善盖上人さまの教えに従い、毎日、柳王を抱えて柳の木を飛び越える修行を続けてまいりました。柳王も柳も大きくなりましたが、私は楽に飛び越えることができます。でも、未だに功夫の技は何も教えてもらっていません。いつになったら教えていただけるのでしょうか」
 「おまえの修行はもう終わった」
  李毅は善盖の言葉に戸惑った。
 「でも、私はまだ功夫の技を学んでいません」 
 李毅が問うと、善盖は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
 「おまえは既に学んでおる。柳王を連れて村に戻って、土地を取り返してこい」
 「でも、兄がまた殴りかかってきたら、私はどうすればいいんでしょうか」
 「そのときは柳王を抱えて、兄に向かって走っていくがよい」
 
 李毅は少林寺に落胆し、柳王をつれて山を下りた。三年の間に、兄が穏やかな性格に変わっていてくれと願いながら村に戻ったが、李毅の姿を見るなり、兄はひどい言葉を浴びせてきた。
 「おまえ、何しにきた。この死に損ないが! おまえにくれてやる土地はない。殴られる前にどっかいっちまえ」
  李毅はすぐに大きな柳王を担ぎ上げると李竹めがけていきおいよく駆け出し、大きく飛び上がって身の丈六尺の李竹を飛び越えた。それをみた李竹は、弟の変わり様に驚き、その日以来、羊のように大人しくなってしまった。奪った土地を弟に返し、しばらくの間、二人で暮らしていたが、その内に李竹はどこかに行ってしまい二度と戻ってこなかった。こうして李毅は暴力を一切使うことなく兄に勝利した。
  しかし、時代はそれを許さなかった。民衆は清王朝に期待したが、官吏が太り民は痩せ衰える図は明朝となんら変わりはなかった。民衆が飢えて死のうが清朝政府は何の措置も講じない。曹洞宗を宗旨とする少林寺だけが「上求菩提下化衆生(じょうぐぼだい げけしゅじょう)」を実践し、貧困にあえぐ民衆を救っていた。李毅は二十歳になった年、僧侶になるべく、再び少林寺の門を叩いた。やがて李毅の手に、武器として棍を握らせる時代がやってくる。
  南少林寺炎上まで十年と三ヶ月。この日、少林寺の山門から巨大な牛の背にまたがり棍を振りかざした若い僧侶が飛び出し、全身、矢ぶすまになりながらも清朝軍に向かっていったという。それが柳王と李毅であったのかどうか、史実は何も記していない。今に残るものは、嵩山少林寺河南省の北少林寺)にある塔林(高僧の墓)の碑に刻まれた牛にまたがる僧侶とこの文字だけである。
 
 「功夫非着、純功之久而弱弾壮有為也。由黙識揣摩而悟功夫。悟功夫後漸至従心所欲 着及神明」
                                               嵩陽楊柳毅禅定門
 
(功夫とは着(技)に非ず。長期間修練することで弱は強をはじく。功夫を悟り、さらに切磋琢磨することでやがて技は神の域に達する」
 

語句解説
 ※上求菩提下化衆生釈尊の説法の中にある言葉。悟りに至る修行を続け、生ある者全てを救済せよ。
 ※玄を談する:老荘思想について話す。兵:武術のこと。 少林寺僧は日夜、武術の修行に励んでいるということを現した言葉。

   (完)

 

 

 

 

読んでいただきありがとうございます。

最後の中国語はでたらめです。

これをかいたころは長編にするつもりだったので、とりあえずダイジェスト版を作ろうと思い書いたのがこの作品です。