雑記帳

作品倉庫

エンジェルダスト(6)

 テンダーロインに静寂などありえない。私が感じた静けさは正に嵐の前の静けさだった。

 

 嫌な予感がする。

 何かがやって来る、よくない何かが近づいている。

 

 オファレルシアター周辺が一気に慌ただしくなってきた。野次馬共がひとりまたひとりと死体の側に群がってきている。歩道に広がるどす黒い血だまり、周囲に飛び散った頭の中の内容物。顔が半分吹っ飛んだ死体。何故彼らはこんなものが見たいのか。

 私とケリーは野次馬共を下がらせて死体から遠ざける作業をはじめた。興味本位で寄ってくる者たちに現場を踏み荒らされたくはない。

「オニール! 目撃者を見つけて証言をとれ! すぐに応援がくる。それまで目撃者をつかまえろ!」ケリーが叫んだ。

 

夜のテンダーロイン捜査中

すでに様々なサイレンの音がすぐ近くで聞こえている。低く鳴り響いている消防車のサイレン、夜霧を引き裂く救急車の高音。中音域のサイレンをならした一台のフューリーが、オファレルストリートの交差点を曲がらずに直進して行った。最初のパトカーが到着した。乗っていた2人の警官は立ち入り禁止の文字が入った黄色のテープを現場の周囲に張り、ケリーと一緒に野次馬の整理を始めた。私は群がる野次馬の中から目撃者を探し、彼らの話を聞いていた。

 最初のパトカーが到着して2分もしないうちに、道を間違えて直進して行った白いフューリーが到着した。車から降りてきたのは、グレーヘアーにグレーのあごひげフィールドジャケットにブルージーンズ、50代前半くらいの長身の男、ケリーから顔を覚えろと言われたギャラガー警部だった。

 

 警部は車からおりると、野次馬の群れに一瞬だけ目をやり、無表情でケリーに近づいていき、少しの間2人で何か話していた。それから死体の方へ歩いて行き、しゃがみ込んで死体を確認すると、警部は私の名を呼んだ。

「オニール巡査、ここへ来なさい!」

「はい、警部」

 私はすぐに警部の側に駆け寄った。

「何ですか?」

「君はのみこみが早いようだな。ん?」

 警部は私の顔を見て無表情で言った。

「はい。自分は理解するために、状況を早く整理します」

 軍隊口調でかしこまって答えたが、警部は無表情で死体を見ている。あごひげを引っ張りながら、「うーん」と唇をしっかり結んで喉の奥でうなった。

「状況の整理か。うん、なるほど。それなら今からやってもらうか」

 警部は独り言のように言うと、死体から目を上げ私のほうに顔を向けた。

「君はケリーのプロビー(probie/試用期間中の警官)だときいたが――」

「はい、今日、はじめてパトロールに出ました」

「ケリーは君にこの件を任せたいと言ってるが。君には良い経験じゃないかね」

 ダークブラウンの瞳で私の目をじっと見ている。

「はい、わかりました」

「よろしい。ただし、私はここに一晩中いるわけにはいかない。とりあえず、今、ここで早急にしなければいけないことを君に教える」

 そういうと、警部は上着のポケットから車のカギをとりだして私に渡した。

「私の車のトランクから、証拠品をいれる袋(エビデンスバッグ)、ラベル、チョーク、カメラと新しいフィルム、巻き尺、分度器を持ってきなさい。それと、トランクの中にビニールの手袋が余分にあるから、私は死体には触らないから、君のをもってきなさい」

「はい、すぐにとってきます」と返事をして、警部の覆面パトカーまで駆け足で行ったが、あと少しで今日の仕事も終わると思っていたのに、サンタクロースは全くありがたくないクリスマスプレゼントをもってきてくれたものだ。死んだ男をぶん殴ってやりたい気分だった。

 

フューリー

 

 フューリーのトランクを開けた途端、不満のボルテージが一気に上がった。中は木製の箱で区切られていたが、小さな子供が手当たり次第に玩具を詰め込んだように、それぞれの箱には物がデタラメに入っていた。

 CAR-16(ベトナムで使われたM-16のショートストック(銃床)バージョン)、防弾チョッキ、サーチライト、文房具、マルボロの箱、使用済みの紙コップ、ドギーディナーと書いた紙袋、ハッピードーナツの紙袋、ナプキン、黄ばんだ新聞。だれも掃除しようとは思わないらしい。ゴミ箱のようなトランクから言われた物を探し出して警部のところに戻った。

 「目撃者は何人いた?」警部が訊いた。

「3人です」

「3人か・・・・・・、まぁ、多い方だ」

 警部は軽くため息をつき、死体に目を向けた。

「もっと聞き出そうと思ったんですが、誰も関わりたくないみたいで、3人以外には証言がとれませんでした」

「たいていいつもこんなふうだから気にすることはない。今は3人もいれば十分だよ。それじゃ先ずはじめに、この男の写真をとりなさい」

私は警部に指示されたとおり、あらゆる角度から死体の写真を撮った。死体の位置がわかるように背景も入れ、頭から、足から、両脇から、どす黒い血だまりの中に横たわっている顔の崩れた死体。飛び出した白目、穴のあいた頭、脳みその飛び散ったヌード嬢のポスター。まるで、ホラー映画のスナップ写真である。しかしファインダーの向こう側にある物は作り物の世界ではない。これはまぎれもない現実の世界なのだ。

写真撮影を終えカメラを警部にわたすと、男のポケットからIDカードを探し、他の所持品もすべてチェックするよう指示された。車のトランクの中からもってきたゴム手袋をはめていると、警部が訊いた。

「オニール、死体に触るが、大丈夫か?気分は悪くないね?」

「大丈夫です」と答えたが、流れ出た血から鉄のような臭いがしてくる。さらに悪いことに、排泄物の臭いも混ざっている。銃の衝撃からなのか、死んだ瞬間、全てから解放され身体がリラックスするのか理由は判らないが、この男の膀胱と腸の中にあった内容物は全て外に放出された。むかつく臭いで涙がでてきた。ベトナムでおびただしい数の死体を見た。腐った死体から発する臭いも嗅いだ。それなのに、今、それがどんな臭いだったのか想い出せない。

君は死体を見るのは初めてか?」

 警部は私の顔を覗き込むようにして訊いた。

「いいえ、ベトナムでこういう死体は見たことがあります。だから初めてではありません」

「オッケー、それなら大丈夫だな。じゃ、すぐに始めなさい。それと、検死医がくるまで銃の位置は絶対に動かさないように。いいな」

 

 私は早速、作業にとりかかった。コートの前を広げてシャツのポケットを探ったらIDカードがすぐに見つかった。IDカードには<ワービング、レロイ、ジェファーソン、38歳>と記入されていたが、この黒人の死体はどうみても50歳以上にしか見えない。私はIDカードを警部に見せると、「ははぁ、レロイか・・・・・・」とつぶやくように言った。

ギャラガー警部、この男をご存じなんですか?」

「ああ、よく知ってる。この男は一時、このあたりの観光客を銃で脅して金を巻き上げてたことがある。サンクエンティンにいるとばかり思っていたが・・・・・・ほかのポケットは?」

 私は男のコート、ズボンと全てのポケットを調べた。ズボンのポケットからストリートギャングの間ではローチとよばれているマリファナのようにみえる小さな包み、それを巻く紙、マッチ、小銭で76セントが出てきた。

「靴下の中はどうだ?」警部が指示した。

 私は男の足もとに場所を移動して死体のズボンの裾をまくると、靴下が両方ともぽっこり膨らんでいる。中をさぐると右側からサンクエンティン刑務所の仮出獄許可証と期限切れの運転免許証、社会保障番号証、左の靴下からは75ドル分の紙幣が出てきた。ギャラガー警部はゴム手袋をはめ、ポケットから出てきたレロイの所持品をひとつずつチェックし始めた。

「今朝、仮釈放されたのか。それにしても、せっかく外に出れたのに、なんで自殺する気になったんだ? 久々のサンフランシスコが刺激的すぎてショックでも受けたのか? まぁこの男には相応しい最後だが、死に目に会えなかったのは残念だよ、オニール」

 警部は私の顔を見て、初めて少しだけ笑った。

 

 警部がエビデンスバッグにラベルを張っている間、私は教えられたとおりに、チョークで死体の形にそって路上に印を付け、メジャーと分度器を使って縁石と劇場の壁から死体までの距離を計算しレロイの死体のまわりで幾何学をやっていた。よりにもよって、クリスマスイブの聖夜に、飛び散った脳みそと悪臭のなかで大嫌いな数学をやらされるとは、まったくついてない日である。

 

 割れたガラスケースを調べていたケリーが大きな声で私を呼んだ。

「オイ、オニール! コイツの頭を吹っ飛ばした弾丸がここにある。支配人を呼んできてこのケースを開けてもらえ。梯子もいるぞ」

「はい、すぐに行きます」

 私は頭蓋骨にあいた穴の直径を計り終えてから、支配人を呼びにいった。背の低いチョビ髭を生やした支配人は私がカギと梯子がいるというと、「はいはい、カギと梯子ね」といって、倉庫の方へ走っていったが、無愛想で良い印象は受けなかった。しばらくして、短い折り畳み式の梯子をかついで戻ってきた支配人は「はい、これ」といって私に差し出した。死体の側には近づきたくないというのが支配人の顔にありありと出ている。

「ああ、どうも」私も素っ気ない返事をした。

 

 梯子を使ってガラスケースの中をのぞきこむと、ヌード嬢のポスターの左上の壁に弾丸がめり込んでいた。弾を取り出す前に、ガラスケースのサイズと弾丸の位置をメジャーで測り、それからポケットナイフをとりだして、弾の周囲のファイバーボードを円を描くようにナイフで少しずつ削っていった。取り出された弾丸は弾丸検査(ballistics test)にまわされる。弾に余計なダメージを与えないよう、弾を取り出すときは細心の注意が必要である。ゆっくり慎重にナイフを動かしていき、弾丸をナイフの先で取り出した。レロイの頭から飛び出てガラスケースを粉々に砕いた割には弾の状態は良好だった。取り出した弾丸をギャラガー警部に渡すと、驚いたような顔で私を見ていった。

「君はなかなか優秀だね。弾の取り出し方はまだ言ってなかったが。これはうまい!」

 

 すでに現場には鑑識課と検察医が到着していて、現場の写真を撮ったりメージャーではかったりと、彼らの仕事を始めていた。警部がラベルを貼ったエビデンスバッグに検死医がレロイの銃を入れていた。それが終わると、助手に手伝わせてレロイの足と肩を持ち上げ、死体袋に入れようとしている。レロイの顔が私のほうを向いた。彼がもとは人間だったという面影は全く感じられなかった。私はレロイの死体が完全に袋に入れられるまで彼らの仕事を観察していた。

 ふいに、後ろからケリーの声が聞こえた。

「おい、オニール! そっちの仕事は終わったか? 終わったら署に戻るぞ。まだ報告書を書かなきゃいけない」

「はい、もう終わりました。署にもどります」  

 霧はまだテンダーロインに留まっている。私たちはグレーにかすむ深夜の歩道をゆっくり歩いてテンダーロイン署に向かった。署に着いたときには、すでに深夜を過ぎていた。上着を脱いで、現場で書き込んだメモ帳をデスクに置き、タイプライターの準備を始めたら、ケリーが隣にきて私の肩を両手で軽くたたいた。

「オニール。今日は初めてにしては上出来じゃないか。思った以上におまえはよくやった。あとはさっさと報告書をかたづけて、うちに帰ってゆっくり休め。後のことは明日話そう。それと、報告書にはわたしのことはフィールドトレーナーじゃなくてパートナーと書き込んでおけばいいからな。わたしはしばらくはおまえさんのパートナーだ。それと、ギャラガー警部から今回の事件のナンバーは――」

 ケリーが読み上げたナンバーを早速タイプで打ち込んだ。

 

事件番号  74 C 23477
  
1972.12.24

事件概要
22時27分頃、パートナーのジョン・J・ケリー巡査と私はサンフランシスコのポルクストリートとオファレルストリートの交差点付近で男が銃を振り回しているとの通報をうけた。
私たちは、ポルクストリートとエリスストリートの交差点から現場に直行し、5分ほどで現場に到着した。
オファレルシアター(オファレルストリート895番地)の正面入り口前の歩道に数名人が集まっていた。
劇場正面の歩道には男が倒れていた。
男の後頭部の下の歩道には血だまりが出来ていて、両目は突出し、口から黒いリボルバーのグリップ部分がはみ出していた。男の両腕は身体から約20センチほど離れた位置にあり、両足を約50センチ開いて倒れていた。
私たちは司令室に無線で応援を要請したあと、現場の保護のため、集まってきた見物人の整理を行った。
最初のパトカーが到着したあと、約2分ほどで、サンフランシスコ市警本部殺人課のキース・ギャラガー警部が到着し、指示を与えられた。
私は、目撃者を探し、以下の証言をとった。


1. ガルシア・マニー
37番アベニュー 4657 サンフランシスコ CA
(415) 555-6845
CDL(運転免許証番号) R5867098
私は自分のレストランを出て、ポルクストリートを歩いてました。駐車場まで車をとりに行く途中でこの男を見ました。この黒人は、何を言ってるのかサッパリ判らなかったですが、1人でわめきちらしてました。何かに脅えていたように見えました。
銃を振り回して、それから、銃を口にくわえると引き金を引いて、真後ろにひっくり返りました。それだけです。

2. キム・サミュエル

テイラーストリート853 アパートメント4  サンフランシスコCA
(415) 555-0913
CDL N8562048

俺は 最初は映画館の中にいたんだがね。こいつ、突然叫んで外に飛び出していったよ。何か、笑うなとかそんなこと叫んでたな。誰も笑ってるヤツなんかいないのに。外じゃ、デビルがどうとか、出ていけとか魂がどうとか、1人で叫んで銃をくわえたと思ったら、あっと言う間に引き金を引いてそれでおわりさ。

3.コリンズ・エリジャ

タークストリート223 ルーム7B
サンフランシスコ CA
電話なし
IDカード なし
 
ヘイ、アイツ、いかれちまってるよ。(the dude was crazy man)
銃 振り回してさ、わめきちらしてたよ。
頭ん中、糞だらけでさ言ってること意味、さっぱりわかんない。(Shit makin’ no sense)
みんな、コイツのこと恐がってたよ。アタイのいってることわかる?(what I’ m sayin’?)
でさぁ、自分で引き金ひいちゃったよ。
こいつ、ほんと、いかれてるよ。



以上の目撃者から証言をとった後、私は現場の写真を撮り、男の洋服を調べて以下の所持品を見つけた。

1.レロイ・ジェファーソン・ワービングに発行された本日付けのサンクエンティン刑務所の仮出獄許可証 1 通

2.期限切れのレロイ・ジェファーソン・ワービングの運手免許証 
免許証ナンバー:R7563982

3.ビニール袋に約0.5オンスのマリファナと思われる乾燥した緑色の葉

4.ZIGZAGホワイトシガレットペーパーのパッケージ。一部 使用されている。

5.ブックマッチ(厚紙にはさまれた紙マッチ) 2コ

6.紙幣とコインで75ドル76セント

7.レロイ・ジェファーソン・ワービングに発行された社会保障番号カード # 475-87-5982.


以上の7点、及び検死医によって遺体の口から抜き取られた拳銃はラベリングと今後の捜査のためキーズ・ギャラガー警部に手渡された。

私は 現場の測量と略図の作成を引き続き行った。
劇場正面入り口横に設置されたガラスのショーケース奥のファイバーボード左上にめり込んだ銃弾を抜きとり、証拠品としてギャラガー警部に渡した。


ブライアン・S・オニール   バッジナンバー909

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  ケリーから幾つか注意を受けながら報告書を書きおえ、現場の略図を書いて報告書に添付し、ケリーに渡したときには時刻は1時30分を過ぎていた。
「よし、OK。あした、これをギャラガー警部に渡すよ。警部から幾つか手直しがあるとは思うが、今日はこれでよしとしよう。サァ帰るぞ」
 ケリーは私の書いた報告書を封筒にしまい帰り支度を始めた。
「家はどこだっけ?」
 ケリーが訊いた。
「ノースビーチですが。コロンブスとバレイヨストリートの交差点の近くのアパートですが、何故?」
「そうか、わたしの家はノースポイントだから車で送っていくよ。ちょうど帰り道の途中だから、もう遅いし、わたしの車に乗っていけばいい」

 私たちはそろってテンダーロイン署を出てケリーの青いフォルクスワーゲンに乗り込んだ。
 外の空気が冷たかった。自殺騒ぎがおさまった後、野次馬の姿も消え、町は急に静まりかえったように感じた。
 夕方早く、ケリーと一緒に歩いたときに見た風景、聞いた音が、今私のなかでこだましている。
 ケリーの車はポルクストリートをあがり、オファレルストリートの交差点を右に曲がった。オファレルシアターの前では、支配人がホースで水を撒いて路上についたレロイの血と脳みそを洗い流していた。

 水は排水溝に流れ込み、ストリートを下っていく。そして下水道で生きているねずみとゴキブリのえさになる。

(何という人生の終わり方だ)

 ケリーがギアをチェンジした。一気にスピードを上げテンダーロインを抜けた。