雑記帳

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エンジェルダスト(12)

2月がもうすぐ終わろうとしている。毎日があわただしく過ぎていく。血と脳みそと糞まみれのレロイの死体で始まったパトロールの新人研修もすでに3ヶ月目に入っていた。ケリーの監視と指導の下でパトロール警官としての経験と知識も徐々に増え、ケリーとのパートナーシップも次第に強固なものになっていった。
 パトロール中はテンダーロインで発生するあらゆるタイプの犯罪と揉め事に対処しなければならない。見習い期間の新米だからといって、犯罪者は手加減してはくれない。壁に小便を引っ掛ける浮浪者たち、売春婦、ストリートで獲物を待ち構えている切り裂き魔、酔っ払い、ドラッグ患者、すり、ひったくり、酒場のケンカに夫婦喧嘩。今日までの間に嫌な事件に何度も出会った。どいつもこいつも低脳でガラが悪く、わがままで小便くさい。
 殴り合いのケンカも2度ほど経験したが相手が弱すぎて、たった2発で伸びてしまった。私とケリーのペアにとって幸運だったことは、殴っても叩いても痛みを感じないポール・パパスのような化け物が現れなかったことだ。パパスは今、刑務所に収監されている。
 私たちの怪我も、もうほとんど治っている。ケリーは骨を固定するサポーターもはずしてしまったようだ。テンダーロインの警官には、打撲と骨折はかすり傷。それは「やんちゃ坊主の証」――ケイコさんならそう言うだろう。
 ケリーは事あるごとにパパスの話を持ち出した。恵まれた巨体を生かし、ストリートファイティングでは決して負けたことがなかったケリーが始めて負けた相手だったのだ。もっとも、あのときのパパスは人間の能力をはるかに逸脱していた。まともな人間の感覚が麻痺し、ファイティングマシーンと化したパパス相手では、どんな屈強な警官でも素手で勝つことは不可能だろう。
 私とケリーは、毎晩、糞だまりのような町をパトロールした。サンフランシスコの中心地に存在する人間のゴミだめ。パシフィックハイツのビクトリアンハウスに住む金持ち連中には決して想像できない世界がここにある。
 現実の警官の姿に最も近いといわれているクリント・イーストウッドの映画『ダーティーハリー』でさえ本当のストリートの姿を映してはいない。それでもSFPDの警官にとってダーティーハリーはヒーローだった。どんな敵にも果敢に立ち向かえという勇気を私達に与えてくれた。男たちはハリー・キャラハンにあこがれた。そして、私たちの熱い思いが彼に伝わったかのように、クリント・イーストウッドもSFPDの警官たちを尊敬し、敬意を表してくれた。ダーティーハリーの撮影のときに警備をしたことがある、というのが、警官の自慢の種になった。
 映画の撮影ならば「カット」の掛け声で死体が生き返り、今まで敵だった相手と笑顔で雑談もできる。しかし、ストリートで起こる出来事は映画のようにはいかない。
 <パトロールは、ハードでむかつく糞ったれの仕事>――そのことに気づくのに一日あれば十分だった。初めてパトロールに出たクリスマスイブの晩、レロイの死体がそれを教えてくれた。
 それでも今日までの2ヶ月間、警官を辞めたいと思ったことは一度もなかった。乱闘の末、ついに容疑者に手錠をかけたときの気分は、体中の水分が空になるまでしごかれた軍隊の肉体訓練をやりきったあとの達成感、射精後の爽快感に似ている。一度、その快感を覚えると、二度目がほしくなる。私に快感を与えてくれる獲物ならストリートにうじゃうじゃいる。血の匂いにひきつけられてやってくるホオジロザメのように、私とケリーもトラブルの匂いを求めてストリートを徘徊した。


     *****

 サンフランシスコの雨季は11月から始まり3月ごろまで続く。雨が続くと、浮浪者や売春婦、ドラッグディーラーたちはどこか屋根のある場所に身を隠し、路上での犯罪が減る代わり、雨にぬれない暖かい建物の中で事件が多発するのだ。家庭内暴力、夫婦喧嘩、親子喧嘩、酒場での乱闘騒ぎ、私もケリーもこういう類の揉め事に引っ張り出され仲裁に入らなければならなかった。
 私は2月に入ってから新しい仕事を与えられた。テンダーロイン署の待機房にいれられた囚人を市警本部の留置場(Jail)まで護送する任務である。これもパトロール警官に割り当てられた仕事で、15日間のローテーションで行われる。私の場合はまだ研修期間中なので、本来ならこの仕事はもっとあとになる予定だったが、「90日の間に、パトロール警官に必要なあらゆる仕事を経験せよ」というケリーの意向で、予定より早くローテーションに組み込まれることになった。
 仕事はパトロールよりもはるかに簡単である。路上でパトロール警官が捕まえた犯人や、風俗取締官が逮捕した売春婦をピックアップし、護送車に乗せて運ぶだけである。待機房のなかに誰もいないときは、護送車で通常のパトロールをする。護送車に乗せられた囚人は手錠と足かせをはめられているので、車から脱走しようとしても、ことごとく失敗する。留置場の駐車場に護送車がつくと、副保安官(sheriff's deputy)がきて、囚人の手錠と足かせを彼らのものと交換する。その間に、護送車の警官はブッキングシートと召喚状を書き上げて、副保安官に渡し任務終了である。
 私たちはこの仕事のことを「ワゴンデューティ(Wagon Duty)」、囚人護送車のことを「パディーワゴン(paddywagon)」と呼んでいたが、車の形はワゴンではなくバンに近い。車体の色は白と黒でサイドにSFPDのロゴと星のマークが入っている。後部の荷台部分は木の床になっていて、両サイドには木の椅子がすえつけてあり、運転席側とはスティールの頑丈な壁で区切られている。運転席と助手席のドアはスライド式で、護送中は乗り降りがすばやくできることと、車内に新鮮な空気を入れるためドアは開け放したままになっている。しかし、ドアを閉めない本当の理由は、そのほうがかっこいいからだ。助手席側の警官は、足をダッシュボードにかけてコーヒーを飲む、ドーナツを食べる、あるいはタバコを吸う。警官のこういう姿が女の子にはかっこよくみえるようだ。だから私も、助手席に座るときは先輩たちの教えを見習った。


 水曜日。
 今日は15日間続いたワゴンデューティ最後の日である。2月は一年のうちで一番雨の多い月で、この15日間、ずっと雨ばかりだった。雨の日は、楽しいことが何もない。囚人をまで護送したあとは、街を見回りながら、ただ車を走らせているだけで、路上には私たちの遊び相手が誰もいない。酔っ払いの浮浪者もいない。ビルの角で客待ちしている娼婦もいない。ストリートギャングのケンカもない。ドラッグディーラーらしき黒人の姿もみかけない。トラブルは路上にはない。すべて雨にぬれない屋内にひっこんでしまった。私もケリーもワゴンのなかで暇をもてあましていた。
「おい、相棒! 死体が何にもないぜ。誰も殺さないのか?(Ain't nothin' deas and can't kill nothin')」
 ケリーがハゲワシを主人公にした風刺漫画のせりふをまねして言った。からからに乾いた砂漠にポツンと一本だけ立っている枯れ木に止まっている2匹のハゲワシが、死肉を探しているのだが何もない。退屈な時間を2匹で分かち合ってるハゲタカの姿は、今の私とケリーのようだ。
「少し小雨になってきたから、これからもっと良くなってきますよ、予報じゃ夜は雨があがるっていってましたよ、ジョン」
 いまでは気軽に「ジョン」と呼べるようになっていた。
「それに、明日は非番ですよ。たいていいつも休みの前にいろんなことが起こるから、絶対、今日もなにかありますよ。だって、15日間休みなかったし、絶対今夜、面白いことありますよ」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないなぁ、ボーイ(maybe and maybe not, boy!)」
「ジョン、それ、ギャラガー警部の口癖じゃないですか」
 ケリーは運転しながら大笑いした。
「よし、決めた! ユニオンスクエアまでクルージングでもするか!」
 そういうと、ケリーは護送車のアクセルを踏み込み、テイラーストリートを上り、ギアリーストリートを下ったところで再びスピードを落として、路上の酔っ払いや不審者を車の窓から探しながら、のんびりとユニオンスクエアまでドライブした。

 ストリートはまったく静かである。ACTシアターの前に入場客の短い列ができているだけで、どの店も今夜は誰も並んでいない。バス停でバスを待っている客の姿もまばらである。ストックトンストリートを走っているバスも、こんな日はゆっくり座っていけるだろう。マーケットストリートはまだ高速鉄道の工事が完了していないので、あちこち障害物だらけである。ケリーは走りにくい本道からわき道に抜けダウンタウンに車を進めた。
 突然、ラジオの無線がなった。でも、私たちを呼び出す無線ではない。
『こちら3アダム36, 現在、スリを尾行中』
 テンダーロイン署のラム巡査とゴンザレス巡査からの通信だった。ケリーは音量を上げて、司令室と彼らとのやり取りを聞いていた。どうやら、18歳くらいの白人の男がジョーンズストリートで老婆から財布を盗み、タークストリートに向かって逃げたようだ。
 彼らからの無線が切れたあと、私とケリーは同時に顔を見合わせた。ケリーの大きな目がもっとまん丸になっている。
「運が向いてきたな、オニール、行くぞ!」
「了解!]
 私はすぐにカー無線に向かって叫んだ。
「こちら、3アダム42、今、3アダム36の無線をキャッチしました。マーケットストリートからタークストリートに向かいます!」
 ケリーは車のアクセルを思い切り踏んでスピードを出そうとしているが、護送車は追跡用に作られた車ではない。ギャラガー警部が乗っているようなフューリーとはパワーが全然違う。 
「たのむ! もっと早く走ってれ!」とケリーがハンドルに向かって文句を言っていた。
 やっとタークストリートに到着し、ケリーは車をテイラーストリートとタークストリートが交差する手前に止めた。ケリーはピストルを抜いて車から降り、右足にピストルをぴたっと寄せて周囲に目を走らせながら建物の壁に沿って交差点まで進んで行った。私も同じようにしてケリーの後に続いた。あと数歩で交差点というところで、誰かがこちらに走ってくる足音が聞こえた。ケリーが銃を構える。

 突然、ビルの角から男が飛び出してきてケリーに激突した。相手は曲がった先にこんな巨大な障害物が銃を持って待っていたなど予想もしなかっただろう。すごい勢いでぶつかった反動で、真後ろにひっくり返りそうになった。ケリーは男の身体をがっしりと抱え込んだ。ネイビーブルーのスウェットシャツにブルージーンズ、手には財布をつかんでいる。
「クソッ!」
 男の口からとっさに出た言葉はそれだけだった。容疑者を尾行していたジェリー・ラム巡査とグレッグ・ゴンザレス巡査が走ってきた。ラム巡査は中国人で年齢も身長も私と同じくらい、パートナーのゴンザレス巡査はケリーにも劣らないくらいがたいの大きなメキシコ系アメリカ人の警官である。ケリーに捕まった男は地面に財布を投げつけ顔を上げた。
 顔に見覚えがある。つい最近、パトロール中にストリートで見かけた若者だ。こいつはスリだったのか。
「クソッ、クソッ、クソッ!(shit shit shit!)」
 男はその言葉ばかり繰り返していた。
 ラム巡査とゴンザレス巡査はすばやく男に手錠をかけた。二人の警官がボディチェックをして武器を所持していないことを確認した後、私たちの乗ってきた護送車の荷台の木の椅子に押さえこむようにして座らせ、私は男に足かせをはめた。
「数分で出してやるから、おとなしくしてろよ。動くんじゃないぞ」
 私がそういうと、男はまた、「クソッ!」っと同じ言葉を吐き出した。
 ざまぁみろ! 私は笑いながら後部のドアを思い切り強く閉めた。

 ジョーンズストリートの角にある雑貨屋で、財布をとられた老婆が待っているということなので、二人の巡査を乗せてその店に向かった。ほんの数分で店に着いて中に入ると、70代くらいの老婆が店主と一緒に椅子に座って待っていた。最初は不安げな顔で私たち警官をみたが、犯人が捕まったことを伝え、老婆の手に財布が無事戻ると、途端に笑顔になり何か私たちに話しかけたのだがよく聞き取れなかった。老婆の嬉しそうな表情から察して、たぶん私たちに感謝の気持ちをあらわしたのだろうと思う。
 ゴンザレス巡査はもう少し老婆から事情を聞くために雑貨屋に残り、ラム巡査は私たちと一緒に護送車でテンダーロイン署に戻った。

 足かせをつけたまま車から降ろし、地下の待機房に男をほりこんだ。私が護送車に戻ろうとすると、ラムに呼び止められ「君たちが来てくれて助かったよ」とお礼を言われた。ラム巡査にはこれから報告書を書く仕事が残っている。私とケリーは再び護送車に乗ってパトロールに出た。

「オー、インスペクターケリー。ジケンカイケツ。キブン、スッキリ!」
 私は『ピンクパンサー』に登場するクルーゾー警部のフレンチアクセントを真似してケリーに言った。
「オー、ムッシューオニール! イッチョアガリデスカ」
 ケリーもクルーゾー警部の真似をしたが、そのフレンチアクセントがおかしくて吹き出してしまった。しばらくの間、パトカーの中でクルーゾー警部のように二人で会話し、大笑いしながらストリートをのんびり巡回した。

 護送任務は楽な仕事であるが、唯一問題があるとすれば、囚人護送車では、いくらなんでも<ハッピードーナツ>や<ドギーディナー>に立ち寄って休憩はできない。しかたがないので15日間はエリア内の<マクドナルド>でチーズバーガーとフライドポテト、チョコレートシェーキを買って車の中で食べていた。
 今夜も<マクドナルド>に立ち寄り、いつもと同じメニューを買い込み、ケリーは信号で止まるたびに急いでハンバーガーにかぶりつき、チョコレートシェーキで流し込んでパトロールを続けた。
オファレルストリートからパウエルストリートへと車をすすめ、エリスストリートに入ったとき、駐車禁止区域のレッドラインの中に停まっている赤いフォードマスタングが目にとまった。
「ジョン、あのマスタング、先月もあそこにありましたよね。違う車なのかな?」
「一度、調べてみるか」
 ケリーはマスタングの後ろに護送車を止め、車のなかからマスタングのナンバープレートを調べた。プレートには<IMPORT>とアルファベットが入っている。
 間違いない。この車は私が先月、違反切符を切った車と同じだ。また同じところに止めてある。学ぶことを知らないやつはこれだから困る。
 マスタングをもう少し近くで調べるために護送車から降りた。この車の所有者はずいぶんときれい好きなようだ。ぶつかったり、こすったあともなく、雨が多かったにもかかわらず車体に泥はねもなく、今、洗車したばかりのように車体が輝いている。5分ほど、運転手が現れるのを待っていたが、先月と同じように運転手らしき人の姿はどこにも見えない。この車の所有者はこの近くにいるんだろうか。それとも、どこかに隠れて、警察がいなくなるのを待っているんだろうか。すぐに司令室に車のナンバーを伝え、所有者の逮捕状の有無を確認してもらった。

「3アダム42、こちら司令室です。その車に関しては逮捕状は出ていません」
 司令室から返事が返ってきた。
「3アダム42、10-4(テンフォー/了解)」
 私は再び駐車違反切符をきり、出頭命令書に必要事項を書き込んで2枚あわせてワイパーの下に挟んで護送車に戻った。

「やっぱり変だなぁ、このマスタング。この辺には場違いな車ですよ。運転手は何してるんだろ。駐車禁止エリアだって知ってると思うんだけどな」
「この辺でガールハントでもして、どこかにしけこんでるんじゃないか? 案外、ボーイハントかもしれないなぁ」
ボーイハントですか」
「まぁ、そういう場合もあるだろ。蓼食う虫も好き好きって言うじゃないか」ケリーがにやりとした。
「とにかく、この車のことはよく覚えておこう。たまたま同じ場所に止めたってこともあるしな。犯罪に使われた車でもなさそうだし。まぁ、今のところは何とも言えないが、3度目にここで見つけたときは、疑ってかかるかな」
 護送車の中で5分ほど、運転手が戻ってくるのを待ったが、一向に姿を現さないのでケリーは護送車を発進させた。

 雨があがって路上に人が出てきたが、それほど多くはない。路上に人が少ないのは雨のせいばかりではないかも知れない。いまは、2月の月末。貧民救済政策として、毎月、貧困家庭に送られてくる小切手(walfare check)も使い切ってしまってお金がないのだ。新しい小切手が送られてくるのは3月1日。あと数日は、どこかの軒下で雨をしのいで空腹に耐えるか、安いビールで我慢しなければならない。

「司令室! 司令室! コード3(救援要請)こちら3アダム36、コード3(救援要請)銃撃があった!』
 突然ラジオ無線からラム巡査の声がした。
『こちら司令室、3アダム36、どうぞ』
『3アダム36、211(強盗)、容疑者は我々に向けて銃を発砲、黒人の男、ブルーのスウェットシャツ、黒のリボルバーを所有。現在、ハイドストリートからタークストリートにむかって追跡中!』
 ラム巡査が無線に向かって叫んでいる。
 私もカー無線に顔を近づけて、司令室に向かって叫んだ。
「こちら3アダム42! 3アダム36からの無線をキャッチ! 現在地はエリスとジョーンズの交差点、タークストリートに向かいます!」
 ケリーは護送車のレッドライトをつけ、低くうなるようなサイレンを鳴らしながら、出せる限りのスピードを出してタークストリートに向かって車を飛ばした。このあたりは一方通行ばかりで、すぐ近くでもぐるぐる回らなければならない。護送車にはシートベルトがついていない。右に左に大揺れする車の中で、掴めるところを手当たり次第に掴んで体の安定を保っていた。
『こちら3アダム36、容疑者はタークストリートにいる。今、レブンワースストリートの交差点をわたった』
 ラム巡査からの連絡が入った。ケリーはタークストリートの手前でスピードを落とし、縁石に護送車を寄せて止め、エンジンを切った。ケリーはダッシュボードに帽子を置いて車から降り、タークストリートの交差点のビルの角までダッシュした。私もすぐに車から飛び降りてケリーの後を追った。
 ビルの角から少しだけ頭を出してストリートを覗き込むと、色とりどりのネオンサインの灯りに照らされた歩道を、こちらに向かって走ってくる容疑者の姿が見えた。その向こうから、二人の警官が追ってくる。ラム巡査とゴンザレス巡査だ。
「オニール、わたしが歩道に出たら、お前はわたしの右側にいろ」
 ケリーは私に支持を与えると再びストリートを覗き込んだ。着ている洋服がはっきり見えるほどの距離まで容疑者がせまってきた。ケリーはリボルバーを抜き、腕を伸ばして目の高さに構え、歩道に飛び出した。私はケリーの右についた。
 容疑者との距離は約6メートル。
 突然、飛び出した警官に驚いて男は急に立ち止まった。逃げ場を探してをきょろきょろと左右に頭を振っている。前方には私とケリー。後ろにはラムとゴンザレス。容疑者は挟み撃ちにされている。容疑者の右はビル、逃げるとしたら左側の道路を横切るしかない。ちょうど容疑者の左に人間が十分に通り抜けできるほどの間隔をあけて2台の車が駐車してあった。間違いなくそこから道路に飛び出すだろう。私は男が動く前に先回りして、道路で銃を構えて逃げ道をふさいだ。
 逃げ道を失った男はどうしていいかわからず、銃を構えたまま体を右に向けたり左にむけたり、せわしなく腰をひねって体の向きを回転させている。
「銃をおろしてひざまずけ!」
 ラムが拳銃を突きつけながら男に命令した。男はそんな命令など全く無視して腰をひねり、体をまわし、銃口を4人の警官に交互に向け、「来るな!  撃つぞ! 撃つぞ!」とうわずった声で叫んでいる。三方向から警官に拳銃で狙われ頭が混乱して明らかにパニックを起こしている。
 追い詰められた半狂乱のケダモノは何をするか。観念しておとなしくなることは絶対にありえない。逃げ道を作るために警官の誰かを撃つだろう。この距離で発砲すれば、ど素人でも標的に命中する。この男が放った凶弾で4人のうちの誰かが死ぬ。
 危険が迫っている。選択肢は二つ。今、この男を撃つか、あるいは隙を突いて飛び掛り地面にひっくり返すか。迷っている時間がない。男の銃口がゴンザレスに向いた。
 私がトリガーに指をかけた瞬間、ケリーが背後からすばやい身のこなしで男の首に右腕をからめ、覆いかぶさるようにして二人一緒に一気に地面にたおれこんだ。と同時に、銃声と閃光。

 すべてが数秒の出来事だった。折り重なって倒れている二人の男に何が起こったのか、すぐにはわからなかった。男のスウェットシャツに血がにじんでいる。男の指が動いた。ケリーはうつぶせになったまま動かない。
 私の脳裏に一瞬閃いたのは最悪の事態。
 うそだろ!

「ジョン!

 ジョン!

 ジョーン!」


(続く)


※ACT tシアター:American Conservatory Theatre
アメリカコンサーバトリー劇場
ここは有名な歌手や音楽家のコンサートが開かれる芸術劇場

※ハゲワシの漫画はマッドマガジンに連載されていた風刺漫画。マッドマガジンは現在も発行されています。

※ブッキングシート:囚人のプロフィール、逮捕の理由等を書き込んだ書類。
囚人引渡しのときに警官が書くのは、これをもっと簡略化した書類。
裁判を必要とする囚人の召喚状(summon)はカリフォルニアでは警察が発行します。