雑記帳

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エンジェルダスト(13)

ゴンザレスもラムも事態が飲み込めず、数秒、倒れている二人をじっと見ていた。男のシャツについた血が見えた途端、私たちはハッと我に返ったようにすぐに二人の男の脇によって路上に跪き、私はケリーの肩を持ってゆっくり仰向けにさせた。
「ウウン」ケリーが唸った。
「ジョン! どうした! 大丈夫か!」
 ゴンザレスが叫ぶ。
「ハァー」という大きなため息と一緒にケリーが目を開けた。
「ああ! ジョン! ジョン!」
 再び目を閉じないように、私は大きな声でケリーの顔の上から呼びかけた。
「オッケー、オッケー、まだ生きてるよ」
 その声を聞いて私たち3人は、ほぼ同時に、まるで今まで止めていた息を一気に吐き出すように「アー」と安堵のため息をもらした。ケリーは倒れたまま親指を立てて、"グッド"のサインを見せてくれた。
「オニール、ちょっと引っ張ってくれ、アバラをぶっつけた」
 私がケリーの大きな背中に腕を回し、ゆっくりと上体を半分ほど持ち上げると、ケリーは「サンキュー」と言って、あとは自分で立ち上がった。
「ジョン! もうやられたかと思って・・・・・・」
 私がそういうと、ケリーは私の肩をパンと軽く叩いて、「そう簡単に殺してくれるなよ。骨をぶっつけたけど折れちゃいないから大丈夫だよ」と、いつもの元気なケリーに戻っていた。
「このクソガキ、自分のムスコ、撃っちまいやがった」
 ケリーはわき腹をさすりながら、男を見て言った。ケリーの下敷きになった男は、叫び声ともうめき声ともつかぬ奇妙な声をだして、路上でのた打ち回っている。男のズボンから染み出した血が、尻の下からドロドロと路上に広がりだした。それを見たとき、自分が撃たれたわけでもないのに下腹部に妙な感覚を覚えた。
 男はうめきながら体をくねくねと動かし必死で起きあがろうとしている。私は男の背中を押さえつけて後ろ手に手錠をかけた。
「ラム、救急車の手配!」
 ケリーがラムに支持した。
 ラムは路上に落ちていたリボルバーを拾ってゴンザレスに渡すと、すぐに司令室を呼び出した。
「3アダム36から司令室。コード4(救援は不要)、コード3は解除。コード3は解除、容疑者の身柄は確保。救急車とスーパーバイザーを要請します。場所はタークとジョーンズの交差点!」

 ラムからの無線を受け取った司令室が全ユニットに向け、指令を繰り返している。
『3アダム36からコード4。容疑者は確保。コード3は解除、コード3は解除。救急車とスーパーザイザーを要請。現場はタークとジョーンズの交差点。容疑者は負傷。警官に怪我はない」

 司令室からの通信が終わると『インスペクター12、現場に向かう』と、このエリアを受け持っている捜査官から司令室に無線が入った。
「ショーンが来るか」ケリーが言った。
「ショーン?」
「ああ、そうかそうか、ショーンの話はしてなかったか。インスペクター12ってのはショーン・ケリー。わたしの従兄弟だよ。キースと同じ本部の捜査課(Inspectors Bureau)で、ショーンは強盗担当(Robbery Detail)の捜査官やってるよ」
「そうなんですか。そしたら、お父さんも従兄弟も警官なんてケリーファミリーってすごいな」
「いや、警官バカの集まりだよ」
 そんな話をしているうちに救急車が到着し、下半身に自分でタマをぶち込んだ馬鹿な男を乗せて救急病院まで運んでいった。救急車が行ってしまうと、ケリーはラムとゴンザレスのほうに顔を向け言った。
「君たちは二人そろって何やってるんだ、一晩で2回だぞ。2回も同じストリートで、こっちが君たちの獲物を捕まえたんだ。勤務評定のアップに協力したんだから、一杯おごってもらうかね」
「ジョン、一杯でいいのか? 2杯でも3杯でもおごるよ。オニールにもな。ほんと、今夜は二人に感謝してるよ」
 ゴンザレスは頭をかきながら照れ笑いのような笑みを浮かべて言った。
「そんなにおごってくれるんなら、よし! それじゃ、今夜は久々にクワイヤプラクティスだ!」
「お、そりゃ、いいね。で、どこでやる?」
 ゴンザレスが訊くと、ケリーは間髪入れず答えた。
ギンズバーグ!」
 


*****

 

 銃撃戦や乱闘のあと、警官に負傷者や死者もなく無事解決した時は、そのエリアを担当する警官たちが地元のパブに集まって祝杯をあげるのが伝統になっている。これはただの飲み会ではない。事件を解決した警官を讃え、生きていたことを神に感謝する聖なる集いなのだ。だから警官たちはこれに<クワイアプラクティス(聖歌隊の練習)>という特別な名前をつけた。
 シフトが終わったあと、パブに集まってくる警官たちを、聖歌隊の練習のために教会に集まってくる少年たちになぞらえて<クワイアボーイズ(聖歌隊の少年)>と呼んでいた。シフトが終わるのは深夜であるが、それからドンちゃん騒ぎが始まるのだ。ケリーが嫌っているお偉方たちは絶対に参加しない。上層部の中には私たちの楽しみをぶっつぶそうと画策している石頭もいるようだ。

 市警に入って初めて知ったことはたくさんあるが、特にこの<クワイアプラクティス>は警官の良し悪しを判断するのに大変に役立つというのが面白かった。要するに、これに喜んで参加する警官は本物のタフガイ。銃弾の飛び交う中でも、命を惜しまず飛び出していける勇敢な警官たち。参加しない警官は、ケリーの言葉を借りるなら”タマなし”ということになる。

「じゃ、シフトが終わったらそこに集合だ。これは命令だぞ。事件を解決したのは君たちだからな。主役がこなきゃ話にならんぞ」
「ありがとう、ジョン。こんな命令ならいつでもOKさ。じゃギンズバーグでな」
 ゴンザレスが嬉しそうに返事をした。

 ケリーは護送車に戻るとクワイアプラクティスを知らせるため、すぐに無線のマイクをとった。
「3アダム42からテンダーロインエリアの全ユニットに連絡! 本日 CP(Choir Practice)! シフト終了後、ギンズバーグに集合せよ! 繰り返す。ギンズバーグに集合せよ。全員、招待する!」
 それからしばらくの間、無線から「テンフォー(了解)」「ラジャー(了解)」の応答がひっきりなしに入ってきた。パトロール警官たちからの応答が終わってしばらくすると、「インスペクター42、コピーズ」とギャラガー警部から了解のメッセージが聞こえた。

 スーパーバイザーのフラナガン巡査部長が現場に到着し、ラムとゴンザレスの二人から事情を聞いている。今回、報告書を書くのは私たちではないが、ケリーは署に戻ったら彼らの報告書に添付するサプリメンタルレポート(補助レポート)を書かなければいけない。私とケリーは護送車で署に戻り、シフトが終わるまで報告書を書いたり事務的な仕事をして時間をつぶした。時計の針が0時をさすと、私もケリーも先を争うようにロッカールームに駆け込み、急いで着替えをして外に飛び出しケリーの青いワーゲンに乗り込んだ。

 バンネスアベニューの北を走り、フィッシャーマンズワーフを通り過ぎて、ケリーのアパートの裏にある駐車場に車を止め、そこから2ブロック歩いてギンズバーグに行った。

ギンズバーグ』はアイルランドからやってきたユダヤ系のギンズバーグが開いたアイリッシュパブで、開店以来、アイルランド系の警官の間では人気の店である。ここは真夜中でも満員である。毎晩、フィッシャーマンズワーフ周辺にあるホテルから宿泊客たちが大勢飲みに来るが、今夜はテンダーロインのクワイアボーイたちで店の半分が占められていた。
 店に入ると、ケリーは同年代の飲み仲間にさらわれるように店の奥のテーブルに連れて行かれてしまったので、私は先に店に来ていたラムたちと合流することにした。背格好も年齢も同じくらいなのでラムとは結構気があった。年は23歳だがラムにはすでに奥さんがいる。もうすぐ子供が生まれるらしい。顔がファニーフェイスなので、みんなから「ミスタームーン(お月さん)」と呼ばれ、「お前がパパになるなんて信じられないな」と悪友たちからからかわれていた。私もその中の一人だ。

 ラムたちと話しをして10分ぐらいたったころ、ギャラガー警部がやってきた。店内は観光客と警官たちで混雑しているので、私の姿には気がつかなかったようだ。カウンター席のほうに行ってしまったので、ちょっと挨拶するために私もカウンターに行った。

「こんばんわ」
「おお。ボーイか。おまえさんの相棒はどこ行った?」
「あそこで飲んでますよ」
 私はケリーたちのいる席のほうに顔を向けて言った。ケリーのテーブルには大男がたくさん集まっていて、豪快な笑い声が聞こえてくる。
「ははぁ、またやってるな。あそこの仲間に入ったら、明日の朝は地獄を見るぞ」
 警部は含み笑いをして私の顔を見た。
「え、地獄? 何ですか、それ」
 私が質問したとき、後ろからハスキーな女性の声がした。

「ハイ、キース」
 その女性は私と警部の間に立ち、警部のほほに軽く挨拶のキスをした。顔を近づけたとき、ジャスミンとジンジャーをミックスしたようないい香りがした。
「ハイ、キキ。また誰かを誘惑しにきたか? 今夜は警官だらけだぞ」
「相変わらず口の悪い人ね」
「20年もここにいたら口ぐらい悪くなるさ」  

 警部がキキと呼んだこの女性。なんてきれいな人なんだろう。襟元にシルバーのスパンコールをあしらったアメリカンスリーブのブラックのドレス。ダークブラウンの髪を夜会巻きに結い上げ、耳には大粒のダイヤのイヤリング。しなやかに伸びる真っ白な腕、うなじから肩にかけてのラインがみているだけでドキッとする。顔は西洋人というよりはもっとエキゾチックな美しさがある。真っ赤な口紅がさらに彼女の顔に神秘的な魅力を加えている。
 いままで年上の女性に惹かれたことは一度もない。でも、ギャラガー警部と親しそうにしゃべっているこの女性の顔を見たら目が離せなくなってしまった。

「ねぇ、キース、こちらのハンサムボーイはさっきからずっと私の顔を見てるけど、あなたのパートナーなの?」
 彼女の顔がすぐ目の前にある。自分で名前を言おうと思ったが、緊張して言葉がつまってしまった。
「彼はケリーのパートナーだよ。まだ研修中の警官だ。名前はブライアン・オニール
 警部が私を紹介してくれた。
「そう、ブライアン・オニール。素敵な名前じゃない。私はキキ。よろしくね 坊や」
 彼女は頬にキスしてくれた。
「ねぇ、坊や。あなたジェームズ・ディーンに少し似てるわ」
 高校のときにもよくいわれた。でもジェームズ・ディーンは好きな俳優ではない。あの少しすねたような顔が気に入らない。私の中ではジェームズ・ディーンは軟弱な男のイメージがある。だから軍隊にいたときはもっと精悍な男に見られるように髭を生やしていた。軍隊でしごかれて、自分では顔つきも変わってジェームズ・ディーンから開放されたと思ったら、また言われてしまった。 
「そんなことないです。全然似てませんよ」
「そうねぇ、あなた、彼よりもっとたくましいかしら。ねぇキース、そう思わない?」
 キキは魅惑的な笑みをキースに向けた。
「ボーイはまだ22歳だからな、妙な世界に引きずり込んでくれるなよ」
「まぁ、やな人ねぇ、妙な世界じゃないわよ。ねぇ、坊や」
 キキはキースから視線を外し、今度は私を見つめている。
「そうねぇ、22歳じゃ若すぎるわね。でも、あなたホントに素敵よ。あと10年もしたら、もっといい男になるわ。そのときは誘ってもいいかしら?」
 キキが私にウインクした。心臓が少しどきどきして何を話していいのか全く言葉が出てこないので、ただ微笑んでいた。

「それじゃ、私はもう行くわ。もっとお話したかったけど残念ね。またどこかで会うかもしれないわね、ミスターハンサムボーイ。じゃぁ、今夜は楽しんでね バイ。じゃね、キース」
「キキ。あんまり無茶するんじゃないぞ」
「あなたもよ、キース」
 そういうとキキは入り口のほうに歩いていった。入り口近くのテーブルで年配の恰幅のいい紳士が彼女を待っていた。紳士はすぐに席を立ち二人そろって店を出て行った。
「きれいな人ですね。知り合いですか?」
「彼女とは古くからの知り合いでね。時々、捜査に協力してもらってる」
「え? あの人、刑事ですか?」
「キキが刑事に見えるか? 彼女、コールガールだよ」
「コールガール!?」
 思わず、声が大きくなってしまったが、警部は無表情で私のグラスにウイスキーを注ぎ足している。娼婦ならストリートで何人も見たことがある。でも、キキのようにきれいで上品な娼婦など一人もいない。だから警部の言ったことは冗談だろうと思った。
「あんなきれいで品のある人、ホントにコールガールですか? でも、捜査に協力って? え? あの人が? どうして?」
「まぁ、大人の世界の話だ。お前もあと10年したらわかるよ」
 警部は意味ありげな笑みを浮かべてポケットからマルボロを一本取り出して火をつけた。
「私が浮気してると思ってるのか?」
 警部の口からたばこの煙がゆっくりと出てくる。  
「いえ、そんなこと思ってないです」と答えたが、ひょっとしたらそうかもしれないと思った。警部はマルボロを口から外し、私の顔を見て少しだけ笑った。
「顔にそう書いてあるぞ。キキのような美女が現れたら、どんな男もあの魅力にやられてしまうからな。おまえもずいぶん見惚れていたじゃないか。だけど私は、宝はひとつしか持たない主義でね」
 そこへケリーがウイスキーのボトル持参でやってきた。
「ヘイ、なに二人でしんみり話してる?」
 ケリーは私の横にどっかり腰を下ろした。
「男と女の話さ、なぁボーイ」
「ほぅ、キースが男と女の話。安酒でも飲んで悪酔いしたか?」
「私は高級品しか飲まないよ」
 バーテンが警部の注文したギネスのジョッキを持ってきたとき、後ろの方から「キース!」と呼ばれて、警部はタバコをくわえジョッキを持ってフラナガン巡査部長たちのいるテーブルへ移っていった。

「オニール、酔っ払う前に、ひとつ言っておくが・・・・・・」
 ケリーはグラスにウイスキーを注ぎながら言った。
「はい?」
「あのタマをぶち抜いた男。あの時、おまえが道路に出て道をふさいだのはいい判断だった」
「はい、あいつ、あそこから逃げると思いました」
「そうだな。良い判断だ。やつは逃げ道をふさがれておろおろしてただろ。頭がこんがらがって、自分でもどうしていいかわからなかったんだ。あの場から逃げたくって、前しか見えてない。後ろにいたわたしのことなど、全く見てなかった。やつの後ろは隙だらけだったよ。だから上手くいっただろ」
「でも・・・・・・」と、私が言いかけると、ケリーに背中を叩かれた。
「今夜は好きなだけ飲め。あのバカは拳銃をぶっ放したが誰も死ななかった。生きてるってのはいい事だろ」
「はい。だけどあの時はジョンて呼んでも動かないんだから。もう完全にやられたと思った。また白髪が増えたらどうしてくれるんですか。まだこんなに若くてかわいいのに」
「はい、はい、はい、わかった、わかった。確かにおまえはまだ若い。だけど、かわいいっていうのは忘れろ」
 ケリーは笑いながら私のグラスにギネスの泡があふれ出るまで注いでくれた。
「でもな、オニール、正直、あいつが引き金を引いたときは、こっちのタマが縮みあがったよ」
「え、ジョンでも縮みあがることあるんですか? ジョンのは鋼鉄製かと思ってましたよ」
「ハハ、わたしが鋼鉄ならおまえのはチタンだな」
 二人で大笑いしていたらケリーの仲間がやってきて、タフガイカクテルの飲み比べが始まってしまった。みんなが私のグラスにいろんな種類の酒を混ぜるので、何をのんでいるのかわからなくなってきた。
「地獄を見るぞ」といった警部の言葉の意味がわかったころには私もだいぶ酔っ払っていた。
「ヘイ。ちょっと、ちょっと、ジョン! もう一回、乾杯! 乾杯。乾杯。みんな、無事だったから。今夜はラムもゴンザレスもみんな生きてる。だから、乾杯」
「オッケー! オッケー! よしわかった、オニール、まだぶっつぶれるなよ」
 ケリーはグラスを持って立ち上がり、あの大きなバリトンで店内の全員に呼びかけた。
「ヘイ! タフガイ! こっちをみろぉ! 全員で乾杯だ!」
 ケリーの声で、警官も観光客たちも全員がグラスを持って立ち上がった。ケリーは高々とグラスを持ち上げ乾杯の音頭をとった。
「クソッタレは打ち倒され我々は生き残った。神に感謝! 今夜はラムとゴンザレス、それから我が同志、テンダーロインのタフガイに乾杯!」
 店のあちこちから「乾杯」「乾杯」の声が一斉にあがった。続いてバンドマンたちがアイルランドの曲を演奏し、店内の客がみなひとつになって歌い、踊り、アイリッシュウイスキーとビールを酌み交わし、この先も今日のような日々が続くことを願って、クワイアプラクティスは深夜3時ごろまで続いた。

 

(続く)
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※「クソッタレは打ち倒され(bad guy bites the dust)」 は、詩篇36:13 からの借用:
「悪事を働く者は必ず倒れる。彼らは打ち倒され、再び立ち上がることはない」