最近、夢に父が出てこなくなったので、あちらの世界で飲み友達でも見つけてくれたかな、やれやれ、と思ってたら。
あ。そういえば、6月24日は父の誕生日だった。
忘れてた
また夢に出てもらうといろいろ困るので、父はなんてすごい人だったんだ というお話を今日は書きますね。ほんと、すごいよ。
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「入院も延命治療もせんでいい。癌は痛くないから癌で死ぬわ」
亡くなる一年前に父が言った言葉です。
はい、見事癌でお亡くなりになりました。
病名、多発性骨髄腫、
享年 87歳。
父は獣医だった。 といっても、獣医の学校に通ったわけではない。
学科は独学で受かったが実技の解剖が何度やっても受からない。
あまりにひどいので、見るに見かねた試験官の先生が父にこう言った。
「おまえ、教えてやるから家へ来い」
こうして父は、正式な授業をすっ飛ばし、 試験官の家で“個人レッスン”を受けることになった。
昭和の制度がゆるかったのか、そのあたりのことはわからないが、ただひとつ確かなのは、父は本当に独学で獣医師免許を取ったということだ。
屠場(とじょう/動物を解体する場所)で数十年、保健所で数年務めた後
開業した。
まだ診察室も完成していないある日のこと。
家の前の道路でバイクが転んだ。 運転していた男が駆け込んできた。
ケガをしたからみてくれというのだ。
父は言った。
「うちは動物病院だから人間は無理だ」
それでも男は必死だった。
「なんでもいいから見てくれ!」
仕方なく父は治療したらしい。
包帯を巻き、止血し、応急処置をした。
その男はお礼を言って帰っていったがそのあと父は平気な顔でこういった。
「あの人、しらんぞ。あんな治療で、たぶん死ぬぞ」
父のところには、いろんな人が動物を連れてきた。 普通の飼い主だけじゃない。 やくざも来たし、暴走族も来た。
ある日、やくざが犬を連れてきた。 父はそのやくざと、なぜかすぐに仲良くなってしまった。 酒がはいると父はよく自慢していた。
「タクシーの中で喧嘩になってな、あの人殴ったけどなぐりかえしてこんかったわ。やくざ殴ったの父ちゃんだけだで」
その人の家へ行って本物のドスを見せてもらったとか、ずいぶん自慢していた。
そのころ父の車の中にはいつもバールが積み込んであったが、いったい何に洗脳されていたのか?????????
別の日には、夜中に暴走族が猫を連れてきた。 走っていたら道路に子猫がいたらしい。
弱っているから見てほしい、でも支払う金がないーーー
暴走族のボスはそういった。
すると父は
「この子猫をちゃんと世話できるなら、金はいらん」
その瞬間、暴走族のボスは振り返り、 後ろに控えていた仲間たちに言った。
「この先生に最敬礼せよ」
そして全員が父の前で頭を下げた。 深夜の診察室での出来事である。
父は、なぜか“普通じゃない人たち”に好かれる人だった。
開業した当時はレントゲンが置いてあったが、すぐに売り払ってしまった。
「こんなもんはいらん。屠場で豚を400頭解剖してきたから、
見りゃわかる」
そんなことを言っていたが、今思うとレントゲンの使い方がわからなかっただけかもしれない。
診察室はいつもクレゾールのにおいが漂い、人目につくところに犬の胎児のホルマリン漬けのガラス瓶、どこで手に入れたのかわからないコブラの剥製が置いてあった。
ここは野戦病院か。
家に来た人たちはたぶんそう思っただろう。
今風のおしゃれな病院に変えようという気は生涯なかったようだ。
戦争を経験している昭和一桁生まれの父親は、自分の弱さを見せないのを美徳としていたのか、あるいはうちの父だけが異常体質だったのか、
「痛い」という形容詞を父の口から聞いたことがない。
獣医の見習い期間中、二日酔いで仕事に行き、足元がふらついた拍子に手に持ってたメスをのどに突き刺してしまった。
それでも痛みは感じなかったという。
口から血が出てきたので結核だと思ったらしい。そのまま立ち上がって歩いていたら同僚から「メスが刺さっている!」と言われそこで初めて気が付いたらしい。
メスの位置があと数ミリいざってたら動脈損傷で命はなかった。
ある宴会の晩、盲腸になってトラックの荷台に乗せられて病院に運ばれたことがある。
酒のせいで麻酔がきかない、
しかたないので麻酔なしで盲腸の手術をした。痛くはなかったといっていたが、そのあと腹膜炎を起こして大変だったらしい。
父の盲腸の傷跡、直径5センチあった。
父の癌が見つかったときにはもう末期だったので、父の言葉通りに延命治療はしなかった。その代わりひと月だけ入院した。
次第に食事は受け付けなくなっていったが、痛いとは一言も言わない。
知人が見舞いに来たときは、肩をゆすってベッドの上で踊っていた。
「この癌は痛いはずなんですけどねぇ」
と担当医も首をかしげていたが、亡くなるまでモルヒネは一本も打たなかった。
うちの父は本当に人間か、とたまに本気で思うこともあった。
血圧が200近くあったので降圧剤は飲んでいたが、大酒のみで塩辛いものばかり食べていた。
心臓が悪いから心臓を食べてくるわ、とわけわからんことを言って、一人で焼肉屋へ通っていたこともある。
医者の言うことはほとんど聞かない。
自分の考えと違うことを言う医者はすべてヤブ医者で、処方された薬は飲まず、自分で薬を作っていた。
犬猫の薬にカビの生えた乾燥わかめを混ぜ、7年前に消費期限が切れたサプリを入れてそれを飲んでいたが特に異常事態にはならなかった。
そんな無茶苦茶なことをしても87歳まで生きたのだからたいしたものだ。
しかし一体どうするとこういうとんでもない体が出来上がるのか?
父は日本人だが韓国で生まれ終戦と同時に日本に引き揚げてきた。
日本人が飲めば下痢をする硬水で育ってきたので、それが原因で頑丈になったのか。本当のところは今だにわからないが、腐ったものを食べても何ともないというDNAはわが家族にしっかり受け継がれているようだ。
さて、話が長くなってきたので
最期にびっくりするエピソードで今回のお話の幕引きにしようと思う。
終戦になって日本に引き揚げてくる船の中で父はひどい下痢になった。
毎回便所に行くのが面倒だった。
船の底のほうに人間一人しがみついているのにちょうどよい場所があった。そこは海面すれすれで波が打ち寄せてくるところ。ここにしがみついていれば波が下痢便を洗い流してくれるだろうと思った父は日本の港に着くまでずっとその場所にいたという。
そこは玄界灘の沖、
人食い鮫がう~~~ようよ。
サメも父の💩はご免被るか。
もうこのころから死神様に嫌われていた、幸せな人生だったかもしれない。
🦈🦈🦈
まだまだあるんですけど、これだけ書いとけば恥ずかしくて夢にも出てこれないかな。
そういえば、これをかいてる途中で、美輪明宏さんが亡くなったよと息子が教えてくれました。
すごく残念。
子供のころから大好きだったのに。
あちらの世界でまたあの素敵な声でシャンソン唄ってくださいね。
父もファンだったので三輪さんのコンサートをゆっくり楽しんで、こっちのことは心配せんでええから、もう夢には出なくていいよ。
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