雑記帳

作品倉庫

エンジェルダスト(28)

火曜日 朝7時。
 
 まだ眠気が抜けきっていない頭でソファーから這い出てキッチンに行き、水道の蛇口から直接水を飲んだ。冷たい水が一気に胃の中へ落ちていく。 
 窓を開けると、穏やかな春風が部屋に入ってきた。生クリームのような真っ白な雲の間から青空がのぞいている。久しぶりにみるコバルトブルーの空。自分の体のコンディションとは正反対の天気だが、外回りの仕事をするにはありがたい。 

 午前9時。マコトは学校に行く支度を始めた。しばらく休んだらどうかと言ったが、どうしても仕上げなければならない作品があるので学校は休めないといった。それならば安全を考えて、私が送迎をすることにした。30分ほどで支度を終え、弾丸の貫通したポートフォリオを抱えて、一緒に駐車場まで行った。身長162センチは日本女性にしたら背の高いほうだろう。いつもなら、背筋を伸ばし私より数歩先を歩いて行くマコトが、今日は少し背中を丸め、私の後ろに体を寄せて、隠れるようにしてついてくる。彼女の敵がどこで見ているかわからない。車に乗り込むまでは、そうやって歩けと彼女に教えた。マコトを助手席に乗せ、シートを倒して寝かせた状態で学校まで送っていく。こうしておけば、走行中に狙われる心配はない。アパートの駐車場を出て、ヴァレーホストリートを下り、グラントアベニューで右に曲がった。学校に行くにはこの道を使うのが一番早い。昨日からマコトは一度も笑顔を見せていない。車の中でも無表情で一言もしゃべらなかった。学校の正門のすぐ前でシボレーを止め、私が先に下りて助手席のドアを開け彼女を下ろし、教室の建物の入り口まで一緒についていった。
 
「じゃぁ、僕は行くよ。今日は一日中、学校にいるんだよ。いいか。外に出たらだめ。ここにいるんだ」 
 学校の中にいるんだ(stay here in school)」という英語をゆっくり3回ほど繰り返し伝え、私が持ってきた茶色の大きな紙袋を彼女に渡した。 
「何? これ」 
 アパートを出てから、彼女が始めて口を聞いた。 
「君のランチだ。朝、僕が作った。チーズとサラミのサンドイッチと少し果物も入ってる。今日は外でランチはだめ。学校の中で食べるんだ。いつもハングリーだろ。飢え死にしないようにラージサイズで作ったからね。それにしても、僕よりたくさん食べるのに、どうして太らないんだ?」
 「メイビ アイ プー モア、フルオブシット
(Maybe I poo more .Full of shit/ たくさん出す)」
  マコトはまじめな顔で答えたが、私は噴出しそうになった。
「フルオブシットってどこで覚えた?」
「ジョンと警部さん。あなたと話してるとき。なぜ?」
「OKOK。今度二人に言っておくよ。君の前では使うなって。それは女の子が使っちゃだめだ」
  マコトは首をかしげていたので、正しい意味を教えたら、やっと彼女の顔に笑顔が戻った。 
「オッケー。じゃ、気をつけて。4時に迎えに来るよ。僕か黒白のパトカー。わかったか?」 
「ゴットイッツ(Got it /了解)」
  マコトはジョんが時々使う言葉で返事をし、バイバイと手を振りながら教室の中に入っていった。彼女の一日が無事終わることを願って、シボレーをスタートさせ、本部に顔を出す前にヴァレーホストリート沿いにあるセントラル署に立ち寄った。万一、私がマコトを迎えにいけない場合を考えて、だれかに私の代わりを頼もうと思った。
 
 受付で昼勤務の巡査長を呼び出してもらい、しばらく待っていると、ジョンによく似た顔つきの大柄の警官がやってきた。もしやこの人もケリー一族か、と思った私の勘は当たった。
 
 ジェームズ・P・ケリー巡査長。ジョンの従兄弟である。彼に事情を説明すると、巡査長はマコトの迎えを快く引き受けてくれた。アパートの部屋の前まで無事送り届けるから安心しなさいという心強い返事をもらい、車に戻った。シボレーがスタートしてすぐ、ジョンからの無線が入った。
 
「こちら101から102へ、チャンネル2へいけ」 
「はい、102、どうぞ」 
「彼女の具合はどうだ? 今朝、電話したけど誰も出なかったから何かあったのか?」 
「彼女ならOK。学校に行きましたよ。朝、車で送っていきました」 
「学校行ったのか! あんな目にあった翌日なのに」 
「いつもの元気はなかったですが、でも、多分、たくさん食べるから僕よりタフですよ」 
「ハハァ、そうか、まぁ元気ならいい。それと、ボスから命令だ、今日もマスタングを追っかけるぞ。いま、やつは自宅を出て、今、ダウンタウンを抜けた。まだ南に向かってる。特に急いでる様子もないな。お前はクレイストリートとスポッフォードストリートの交差点付近で待機してくれ。また連絡する」 
「10−4」 
 ジョンから指定された場所に進路を向け車を走らせた。おそらくロンはピア48の倉庫に行くつもりなのかもしれない。父親の仕事でいくんだろうか、それともドラッグの売買か。いずれにしても、やつがマスタングを運転できるのも今日で終わりだ。明日には決着がつく。勝負はお前の負けだ。今日一日、存分にドライブを楽しめ。
 
 ジョンからは10分おきくらいに連絡が入ってくる。ピア48を出た後は、ワシントンの事務所に戻り、ジョンは見張りを続けたが、何時間経ってもマスタングが動いたというジョンからの連絡は来なかった。その代わり、「退屈で仕方ない」という無線は頻繁に入ってきた。結局、私のほうも、シボレーはパーキングエリアから出ることもなく、時々、近くの売店でコーヒーを買うか、公園のトイレに行くかで時間が過ぎていった。
 
 4時30分ころ、セントラル署のジェームズ・ケリー巡査長から、「君から注文のあった荷物は無事、自宅まで配達した」という連絡をもらった。マコトのほうも何事もなく終わったようだ。巡査長からの連絡が終わると、ギャラガー警部の声が無線から聞こえてきた。
 
「インスペクター42からインスペクター101へ。ファイブ(5時)に本部の前で私をピックアップせよ。インスペクター102へ。コード5(張り込み)終わり(secure from Code 5)。ギンズバーグへ向かえ」

  30分後、私たちはギンズバーグのブース席で、オールドブッシュミルズとギネスを飲みながら、警部に今日の報告をしていた。
 
「まったく退屈な一日だったよ。それにしてもロンのやつ、妹の見舞いにも行かなかったが、どういうつもりだろうな。少しは罪の意識でも感じてるんだろうか」 
「罪の意識なんて、そんなもの感じるわけない、あいつはただの人格障害、反社会的人間です。人のことなんてどうでもいい、自分のことしか考えてないやつですよ」 
 私の意見に警部も頷いた。それから警部はギネスを一口のみ話し始めた。 
「それで明日のことだが、準備はすべて整った。ロンが配ってるパッケージをゲットしたら、鑑識がいつ品物が届いてもいいように準備して待ってる。明日は裁判官が二人、スタンバイしてる。鑑識の検査結果で私たちの思ってるものが出たら、逮捕状と捜査令状にすぐにサインしてくれる。それと、ロンと関わっているディーラー全員の無記名の逮捕状も用意してある」 
「すごいじゃないか!」
「ジョン、それだけじゃないぞ。ロンには殺人罪の逮捕状も出てるからな。ワ・シン・チュウの逮捕状もあるぞ」 
 警部はギネスを半分ほど一気に飲み、次の話を続けた。
「それで、明日の配置だが、ボーイはエリスストリート、私とジョンはエディーとフィルモア」 
「了解」 
 ジョンと私はほぼ同時に答えた。 
「それから、もうひとつ、今夜はグッドニュースがあるぞ」 
「グッドニュース? キース、もったいぶらないで早く教えろよ」
「今日、麻薬課とテンダーロイン署に警官の配置のことで話に行ったんだが。人員をもっとまわしてもらわないと、なんと言っても殺人課は人手不足だからな。テンダーロイン署は全員協力してくれる。それも全員、ボランティアで私たちと一緒に働いてくれることになった。明日はテンダーロイン署あげてのラムの弔い合戦だ」 
「それはすごい!」 
 ジョンは目を大きく開いて警部のほうに身を乗り出した。 
「これで今回の事件はすべてシャットダウン、ロックダウン。やつらは全員、我々の投下したレンガの下敷きだ」 
 警部はギネスの入ったグラスを持ち上げた。 
「われわれの勝利を願って乾杯だ」
 

 

 

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※逮捕者の氏名が記載されていない逮捕状を
 John Doe warrant という。
 John Doe は 日本語にするならば「名無しのゴンベ」または「太郎さん、花子さん」

※Poo は幼児語で「うんち」
 Full of shit は  直訳すると「クソでいっぱい」
 人を馬鹿にしたりするときに使う非常に下品な言葉。
 

 

 

エンジェルダスト(27)

月曜日。午前8時。

 私は仕事に出かける準備をしていた。ワードローブの中がマコトの洋服でずいぶん賑やかになっている。しかし女性の服といえば、ブラックのフォーマルドレスとチャイニーズドレスくらいで後は全部男物ばかりである。
 私が着替えている間、彼女はキッチンでコーヒーを飲んでいた。学校が始まるのは10時から。時間はまだ十分にある。ピーコートをハンガーから外していたらマコトが私の隣に来て、ラムの葬儀の日に着た制服のブルーのシャツを指差した。
「これ、かっこいい」
「制服だよ、着てみるか?」
 マコトはまん丸の目で私の顔を見た。これが「イエス」の合図。彼女は言葉の代わりに目で会話する。マコトにシャツを渡すとTシャツの上から袖を通し「ヘイ、みて。これ、私のサイズ」と言って嬉しそうな顔で鏡に姿を映している。
「それ、君が着たほうがよく似合うよ」
「これ、私の?」
 彼女は今、着ているシャツを指差して訊いた。
「ああ、そうだ、君のだよ。この中にある服は全部、君の服。どれでも好きなの着ていいよ、だけどズボンはやめたほうがいいけどね」
「ワオ! サンキュー」
 彼女は私の頬に軽くキスをして、次の服を探し始めた。
「僕はもう出かけるけど、6時ごろには帰れると思う。マコトも学校、楽しんでおいで。もう何も心配いらないよ」
「ご飯作って待ってる」
 私は笑って頷き、テーブルに置いてあるコーヒーカップを持ってキッチンに行った。部屋のあちこちに、かわいらしい小物が飾ってある。すべてマコトが持ってきたものである。おもちゃ箱をひっくり返したような部屋になってしまったが、殺風景な部屋よりは楽しくていいかもしれない。
 ふと、本箱に目がいった。昨日まではそこになかったガラスの置物が目に止まった。それはプラスチック製の台座がついたスノーグローブだった。ライトグリーンの台座の上にはテニスボールほどの大きさのガラス球が乗っていて、その中には小さな中国風の家が入っている。それを手にとって、上下左右に振ってみた。スノーグローブを振るとガラスの中の小さな世界で雪が降り始めた。最初はただ何気なくガラスの中の雪景色を見ていたが、何かおかしい。ガラス玉に目を近づけてよく見ると、雪の形が二つだけ他と違うものが混じっている。

「これ、どこで買った? かわいいね」
 私はマコトにスノーグローブを示して訊いた。
「あ、それ、メイリンが昨日くれた。お別れのプレゼント。わたし、メイリンのアパート出るから。彼女、さびしい。だから、彼女くれた」
「へぇ、こんなかわいいのが売ってるんだ」
「売ってない。それ、メイリンが倉庫から持ってきた。全部ただ」
「店の倉庫から?」
「はい」
「ねぇ、これ今日仕事に持っていってもいいか? ギャラガー警部に見せたいんだ」
「ハイ、あのかっこいい警部さん、はいOK」
「ありがとう、じゃ、6時ごろには帰るよ」
「バイバイ」
 マコトは笑いながら手を振った。

 駐車場まで降りていき、シボレーのエンジンをかける前に、もう一度スノーグローブを振って中をよく観察してみた。これはもしかしたら、私たちが探しているものかもしれない。車をスタートさせ、ストックトンストリートに向かう途中で本部に無線を入れた。
「こちらインスペクター102」
「はい、本部です。どうぞ」
「こちらインスペクター102 、10-8(任務遂行中) 、10-49 ホール ( 本部に向かっている)。インスペクター101 と42 は10-8?」
「101と42 は現在10-8、本部に向かってます」
「10-4。サンキュー。ブレーク(通信終わり)」

 司令室との無線を終わり、続いて警部を呼びだすとすぐに返事がきた。
「インスペクター42だ。どうぞ」
「インスペクター102です。今からラボに行きます。今朝、気になるものを見つけたのでラボに回します。たぶん私たちが探してるものかもしれません。ラボまで来てもえらますか?」
「10-4。今どこにいる?」
ストックトンの交差点です」
「わかった。私はワンブロック先の交差点にいる。先にラボに行って待ってる」(クライムラボ:日本ならば科学捜査研究所)

 それから15分後、本部の駐車場につき、エレベーターで6階にあるクライムラボまであがっていった。警部とジョンはすでにラボで待っていた。二人ともジーンズにアーミージャケットを羽織っている。
「今日もまた制服ですか。二人とも、私服を持ってないんですか?」
 挨拶よりも先にこの言葉が出てきた。
「これが一番楽なんだよ。お前は今日は又いちだんとだらしないなぁ。その鼻の下の毛虫がよく似合ってるよ」
 私の口ひげを見て、ジョンが笑い顔で言った。
「それで、何を見つけた?」
 警部が訊いた。最初に昨日の出来事を警部とジョンに伝え、それからマコトから預かったスノーグローブを警部に渡した。
「見てください。この中の雪が二つだけ形が違うでしょ。色も微妙に違います」
 警部はゆっくりとスノーグローブを振り、落ちてくる雪をじっと観察していた。
「ははぁ、この二つか。大きさも違うな、ほら見てみろ」
 警部はジョンにスノーグローブを渡した。
「ほう、なるほど。これか?」
 ジョンは大きさの違う二つの雪片をガラスの上から指でたどりながら言った。
「はい、たぶんアルコールと反応させてできたPCPの結晶のように思いますが。この中の液体そのものがPCPかもしれません。検査結果がでないとわかりませんが、でも、おそらくPCPだと思います」
 私はスノーグローブを研究員に渡し、注意事項を与えた。
「これを扱うときは気をつけてください。開けるときは、どこか隔離した場所でお願いします。ゴム手袋と防護用のマスクもしたほうがいいです。この中身が私が思ってるものだったら、吸い込んだり皮膚についたりすると大変なことになります。十分注意してください」
 若い研究員は「わかりました」と言ってゴム手袋をはめ、核爆弾を扱うような手つきでスノーグローブを受け取った。
「それじゃ、警部、私は仕事に戻ります。タイリーの写真をとってきます。何かわかったら教えてください」

 本部を出てエリスストリートに向かい、タイリー・スコットの住んでいるアパートの周囲をうろついていたら、それほど時間もかからずドラッグの売買をしているタイリーを写真に収めることができた。それからアパートの正面と裏、隣接しているビルの写真を撮り、アパートの出入り口をチェックした。裏口の扉の鍵は完全に壊されていて、いつでも出入り自由になっている。その後はフィルモアストリートの縁石寄りに路上駐車して、エディーストリートまで歩いた。壊れかけたビクトリアンハウスとその周辺の写真を撮っていると、数日前に見かけた黒人がビクトリアンハウスから出てきてストリートでドラッグの売買をはじめた。望遠レンズのカメラで売買の現場を写したあとは、ビクトリアンハウスの裏側にまわり建物を囲っているフェンスをチェックした。フェンスが壊れて人が楽に通れるくらいの大きな穴が開いている場所があった。以前はここに裏門があったのかもしれない。
 シボレーに戻り、マカリスターストリートにある黒人の居住区プロジェクトに向かった。ここでも長く待つことなく、ロンからドラッグを受け取った二人の黒人の撮影に成功した。プロジェクトを出て本部に向かっている途中で警部から無線が入った。無線の音がずいぶんと鮮明に聞こえてくる。おそらくThe Hall of Justice のコミュニケーションセンターから発信しているのだろう。
「インスペクター42からインスペクター102へ。検査結果はビンゴ」
「早いな。もうでたんですか。やっぱりそうか。こちらは写真撮影は終了しました。今、本部へ戻ってる途中です」
 警部からの通信が切れるとすぐにジョンから連絡が入った。
「おい、インスペクター101から102へ。写真は終わったか?」
「イエス、写真撮影は終わりました」
「10-4。今からここまでこれるか? 今、ワシントンストリートにいる。獲物をゲットした。両方ともあのビルの中にいるぞ」
「OK。すぐに行きます」

 スポッフォードストリートに少しでも早くつけるように、バックミラーにレッドライトを取り付けてシボレーを飛ばした。前方の車がこの赤い回転灯に気がつけば道を譲ってくれるだろう。時々まったく後ろを気にしないドライバーがいたが、ほとんどの車が道をあけてくれた。ストックトンストリートのトンネルに入ってからレッドライトを消して取り外し、ジョンに無線をいれた。
「インスペクター102から101へ、チャンネル2で応答願います」
「こちら101、チャンネル2に変えた。どうぞ」
「何をゲットしたんですか?今、ストックトンのトンネルの中です」
「そっちから来るんならクレイストリートで待機してくれるか? 獲物の車は両方ともここにいるぞ。先頭がブラックのキャデラック。後ろにマスタング。わたしが無線を入れる2、3分前にここについた」
「OK。それでキャデラックが出たら私が追いますか?」
「そうしてくれ。こっちはマスタングをおっかける」
 無線で話している間に、シボレーはクレイストリートに到着した。
「今、クレイストリートにつきました」
「10-4。キャデラックがスタートしたら連絡する。チャンネル2 クリア」
 クレイストリートの角にシボレーを止め、その場で連絡が来るまで待っていた。

 


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 スポッフォードストリート36番地

 14Kトライアドのリーダー、ワ・シン・チュウとロン・チャンがテーブルといす以外に何もない2階の事務所の中央に立っている。二人はテーブルを挟んで腰を下ろした。
「香港からのメッセージを伝えにきた。ここに送る製品が完成したといってる。まずはスノーグローブからだ。中身はすべて増やしてある。個数は48個だ。香港にオーダーすればいつでも発送できるよう手配してある。サクラメントのクライアントに送る特注品としてオーダーしろ。ただし今回は船ではなく飛行機だ、わかったな。ミスという言葉は聞きたくない」
 ワ・シン・チュウは上着の内ポケットから葉巻を取り出し、ライターで火をつけ、吸い込んだ煙をロン・チャンの顔に向かってゆっくりと吐き出した。ロンは目を少しだけ伏せて煙をよけた。
「わかってます。これから倉庫に戻ったらすぐに香港にファックスでオーダーを送ります。この時間は親父はワシントンの事務所で仕事してますから倉庫には誰もいません」
「エクセレント! それで、あの日本人の娘はどうなった?」
「はい、あなたの言った通りにしました。あの娘はもうアパートにはいません。昨日出て行きました」
 葉巻の灰をテーブルの上に落としていたワ・シン・チュウの指の動きが止まった。視線を葉巻からロンにゆっくりと移動し、蛇の舌のように細い目でロンをにらみつけた。
「そうしろと私が言ったか?」
「は、はい、あの娘を取り払えと、だから、言われたように追い出しました」
「なるほど。確かに私は取り払え、とはいったが・・・・・・」
 ワ・シン・チュウは葉巻を持った指をゆっくり動かして、テーブルの上に灰を落とした。
「お前は取り払えという言葉を追い出せと理解した。だから私の命じた通り、あの娘をアパートから追い出した。つまり、お前は私の命令を忠実に実行した。おまえにミスはないというわけか」
 そこまで言い終わると、ワ・シン・チュウはこぶしを振り上げ一気に振り下ろした。テーブルの上にこぼれた灰が飛び散り、ドンッという大きな音でロンの肩が一瞬ビックと動いた。
「よくわかった。これはミスではない、言葉の解釈の違いだ。そうだな、ミスター・チャン、それでは二度とそういうことが起こらないよう、もう一度、お前でも理解できる簡単な言葉でいおう。あの娘を殺せ。ミスは許さん」
 ワ・シン・チュウは葉巻を床に捨て、千切れてばらばらになるまで靴で踏みつけた。
「わ、わかりました。すぐにでも・・・・・・今日中に実行します」
 ロンは床の上に練りつけられた葉巻の吸殻を見て、一瞬生唾を飲み込み、少し上ずった声で返事をした。
「今日中! それはすばらしい! 私は今日、香港の命令でむこうに帰らなければならない。戻ってくるのは水曜日になる。だから次に会うのは水曜日ではなく木曜日だ。その日までに香港にオーダーを送って、あの娘もあの世に送られてることを期待している」
「わかりました。すぐに実行します」
 ワ・シン・チュウは、ロンの返事を聞くと椅子から立ち上がり、「次のミーティングは木曜日、いつもの時間だ」と言い残して部屋を出て行った。

 


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「インスペクター101から102 へ。ブラックカーがスタートした」

「10-4、ここで待ちます」

 数秒後、黒いキャデラックが姿を現した。クレイストリートを左折し、坂を下ってカーニーストリートを再び左折した。キャデラックはブロードウェイストリートに入りトンネルに向かっている。

「インスペクター102から101へ」

「こちら101」

「獲物はブロードウェイーを西にむかってます」

「10-4、こっちはサクラメントストリートの公園だ。ブラックのサテンのジャケットを着た連中と何か喋ってる」

「10-4、チャンネル2でしばらくそのままでお願います」

「10-4、チャンネル2に行く」

 私はスイッチをチャンネル2に切り替え、キャデラックを追った。今、私の獲物はブロードウェイトンネルを抜け、ヴァンネスアベニューを横切った。フランクリンストリートを下ってロンバートストリートを左に曲がり、ハイウエー101号線に向かっている。

「102から101へ」

「はい、101」

 ジョンの声がすぐに聞こえた。

「いま、ハイウエー101です。獲物はもうすぐゴールデンゲートブリッジを渡ります」

「10-4。やつの車に張り付いてるんだぞ。終点まで見失うな。 こっちの獲物はいま、マーケットストリートの南に向かって飛ばしてる。やつの行き先は、たぶんピア48(48番埠頭)だな」

 ”テンフォー"のメッセージをジョンに伝え、それから15分後、ゴールデンゲートブリッジを渡ってサンフランシスコの北部に位置するマリン郡に入った。キャデラックはハイウエー101号線をさらに北に向かって進んでいく。サウサリートを過ぎてリチャードソンベイブリッジを渡り、ハイウエーの途中で右折してセミナリードライブに入る。尾行されていることには全く気がついていないようだ。キャデラックはゴールデンゲートバプティスト神学校を通り過ぎてストロベリーポイントに着いた。

 

 私の獲物はまだ走り続けている。ハリウッドの映画俳優やアーティストの屋敷がある高級住宅街を抜け、トップサイドドライブに沿ってしばらく走ったところでやっと止まった。私はシボレーをキャデラックの運転手から見えない場所に駐車し、車から降りて道路の曲がり角まで歩いていった。角からそっと覗き込んでみると、キャデラックは数メートル先のガレージに入っている。私はシボレーに戻り、無線でジョンを呼び出した。

「こちら102。終点まできました。ミルバレーのストロベリーポイントにいます。車がガレージに入ってるんですが、たぶん獲物は家の中だと思います」

「そんなとこまで行ったのか。わかった。今日の仕事が終わって家に帰ったんじゃないか。おまえも戻って来い。わたしのほうはピア48から出てきて、今、チャイナタウンに向かってるとこだ」

 

「10-4。今から戻ります。シティ(サンフランシスコ)に帰ったら連絡します。チャンネル2クリア」

 帰り道は交通量も少なく、観光客気分で運転することができた。追いかける獲物はいない。前方ばかりに気をつかわなくてもいい。リチャードソンベイを眼下に眺め、眠れる美女の異名をとるタマルパイス山を背後に、ミルバレーの閑静な住宅地に建つ洒落た家並みをを眺めながら、ゆったりした気分でドライブを楽しんだ。やがてシボレーはハイウエー101号線に入り、20分ほどでゴールデンゲートブリッジにさしかかった。私は橋の途中で無線を入れた。
「102から101へ、チャンネル2でどうぞ」
「こちら101。今どこだ?」
「サンフランシスコに向かってます。そちらはどんな具合ですか?」
「やつはワシントンの事務所にいるよ。パパの事務所だ。今、ワンブロック先に車をとめて見張ってる最中だ。戻ってきたら、わたしと一緒にチャイナタウンをちょっとの間クルージングしないか?」
「はい。10-4、そちらに行きます。チャンネル1に戻ります」
「OK」
 ジョンが答えた。続いて、チャンネル1から本部を呼び出した。
「こちらインスペクター102。、私になにか連絡はありますか?」
「そちらの仕事が終わったら本部に戻ってください。インスペクター42からの連絡です」
「10-4。今から101と合流して、しばらくチャイナタウンを回ります。それが終わったら本部に戻ります」
「10-4。42に伝えます」
 シボレーはゴールデンゲートブリッジを渡って、サンフランシスコの町に入り、ユニオンストリートに向かった。信号待ちをしているとき、前方に花屋が見えた。
『花でも買って行こうか。マコトが喜ぶかもしれない』
 ふとそんなことが頭に浮かび、その店に立ち寄って赤いカーネーションの小さな花束を買った。花屋を出て車に戻り、後部座席に花を置いてエンジンをスタートさせ再び車を路上に戻した。花屋から数メートル離れたところで本部から緊急無線が入った。
「付近を巡回中の全ユニットへ。セントラル地区、レブンワースストリート。チェスナットとロンバートの間。銃撃ありとの通報を受けた。被害者は2名、路上で倒れている。現場に向かえるユニットは至急応答せよ!」

無線を聞いたとたん、胃を押さえつけられたような嫌な感覚に襲われた。 数台のパトカーと私の知らない二人の捜査官が応答し、現場に向かっている。早くそこに行けと、何かが私に命じた。

「容疑者は車から発砲、レブンワースとチェスナットの交差点の先で女性が二人、倒れている。容疑者の車はブラックのクライスラーセダン、プレートなし。容疑者はアジア人の男3名、グリーンウィッチに向かって逃走中」

 通信室から繰り返し容疑者の情報が流れてくる。パトカーと捜査官が現場に到着したという無線が入った。こんなところでのんびり走っている場合じゃない。
 急がなければ。
 早く行け! 
 早く行け! 
 コード3! コード3!

 レッドライトを点滅させサイレンを撒き散らして、進路をふさぐ車を脇に追い立てるように、起伏の激しいストリートを猛スピードで飛ばして現場に急いだ。途中で容疑者が乗っている車と出くわすかもしれない。反対車線にも目をやりながらハンドルを握っていたが、ブラックのクライスラーには出会わなかった。現場が近づいてきたのでスピードを落とし、周囲を確かめながら運転していると、私を呼び出す無線が入った。

「インスペクター102、インスペクター102」
 誰かが私のナンバーを呼んでいる。
「こちら、インスペクター102、どうぞ」
「君はオニール捜査官?」
 相手は私の名前を言ったが、まったく聞いたことのない声だ。
「10−4」
「至急、現場に来なさい。場所はレブンワースとチェスナットの交差点、大至急」
「10−4。現場にむかいます」

 なぜ私が?
 胸騒ぎがさらに倍増している。
 悪い予感が現実になるのではないか・・・・・・

 


※コード3:救援要請、レッドライトとサイレンを使え


通報をうけた交差点周辺には、レッドライトを点滅させたパトカーが数台とまっている。交差点で野次馬の整理をしている警官をつかまえて、誰が私を呼んだのか尋ねた。
「あそこの救急車です。中でクイン捜査官が待ってます」
 私と同年代くらいの警官は、救急車の止まっているほうを指で指し示した。道路の角にレッドとイエローのライトを点滅させている救急車が、後ろのドアを開けたままで止まっている。私は急いで救急車まで走っていった。
後ろのドアから中を覗き込むと、メイリン・チャンがストレッチャーの上で横たわっている。車内にはブラウンのスーツを着た捜査官とマコトが座っていて、二人は何か話をしていた。

「あの、ブライアン・オニールです」
「ああ、私はビル・クインだ。君を呼んだのは彼女なんだが。えっと、ミスタチバナ。この人で間違いないね」
 捜査官がマコトに聞くと、彼女は小さくうなずいた。私はマコトの顔を見た。
「何があった?」
 小さな声でマコトに聞いたが彼女は何も答えなかった。顔面蒼白で涙の跡がしっかり残っているマコトをみれば、彼女の身に何かよくないことが起こったことは誰の目にも明らかである。
「私たちは友人ですが、彼女たちに何があったんですか?」
 クイン捜査官に訊いた。
「馬鹿な連中の射撃ごっこに巻き込まれたんだ。彼女の話では、学校帰りにこの友人と歩いていたら、突然車が近づいてきて、銃を撃ちまくって走っていったそうだ。 他の目撃者からの話では、車種はブラックのクライスラーで乗っていたのはブラックのサテンのジャンパーを着たアジア人の男が3人。 後ろに座ってた男が手当たり次第に撃ちまくってたらしい。道路に薬莢が散乱していたが、たぶん、使ったのは Uzi か Mac-10 だろう」

 銃撃を受けた! なんてことだ! 悪い予感はこれだったのか!

「それで、友人のほうの怪我は?」
 私はメイリンに視線を移して尋ねた。
「太ももに弾がかすってるが命に関わるほどの重症じゃない。今はそのショックで気絶してるだけだから大丈夫だよ」
 クインは横たわっているメイリンのほうを見ながら言った。

「あの、クイン捜査官。今、少しだけ外で話せますか?」
「わかった。今、降りる」
 そういうと、クイン捜査官は救急車からおり、車から数メートル離れたところまで歩いていった。

「すみません、彼女に聞かれたくないんで」
「何かそういう話でもあるのか?」
「ちょっと気がかりなことがあって」
 私はマコトのアパートの落書きについてクインに話した。
「だから、ひょっとしたら、これは無差別の乱射じゃなくて、ターゲットは無事だったほうの女性じゃないかと」
「なるほど、そういうことがあったのか」
 クインは数回うなずき、それから私の顔を見た。
「ところで、君はいつ捜査課に入った? 私とはシフトがちがうのかな? 今まであったことがないが」
「2週間ほど前です。署長の決定で、今、ギャラガー警部と仕事してます」

 そういうと、クインはすこし驚いたような声で、「ああ、君がそうか! 捜査官になるには若すぎると思ったが、君が最年少の捜査官か。うわさは聞いてるよ。ずいぶん優秀だという話じゃないか。私は殺人課のビル・クインだ。今後ともよろしく」
 クインが手を差し出したので軽く握手した。
ギャラガー警部と仕事してるそうだが、まぁ、私としては、彼のやり方にはあまり賛成できないがね。でもまぁ、彼から学ぶことは多いはずだ。がんばりなさい」

 自分の上司を批判されても反論はしなかった。確かにギャラガー警部のやり方には賛成しかねる部分もある。
「わかりました」と答えると、クインは私の肩を軽く叩いた。
「さぁ、救急車に戻ろう。ケガをした子は今からセントフランシスコ病院で手当てしてもらう。ミス・タチバナは話は終わったから、帰ってもらってもいいよ」

 私とクインは救急車に戻り、私は無表情でメイリンを見つめているマコトにそっときいた。
「大丈夫か?」
 マコトは黙って頷いた。
メイリンは病院で手当てしてもらうから心配しなくていいよ。君は、家に帰るか?」

 彼女が頷いたとき、涙が流れ落ちていった。マコトは意識のないメイリンをそっと抱きしめ、メイリンポートフォリオをもって救急車からおり、私のシボレーに乗り換えた。彼女は一言も口を聞かない。外の景色を見ることもせず、鼻をすすりながら下をむいていた。

アパートに向かう途中でジョンを呼び出した。
「インスペクター101、そこにいますか?こちらインスペクター102。101、応答願います」
「はい、101、何があった? 無線でお前のナンバーが呼ばれてたが」
「今、隣に一人乗せて、10−10(帰宅途中)です。この人をおろしたらすぐ本部に帰ります。今、ここでは話せないから本部に帰ってから話します」
「10−4、こっちはワシントンのオフィスからちっとも出てこないよ。 多分、やつの副業は今日は終わりだな。OK! わたしも本部にもどるよ」
「10−4」

 それから5分ほどでアパートの駐車場につき、バックシートから花束とマコトのポートフォリオをとって、彼女に手渡そうとしたとき初めて気がついた。 
 なんてことを!
 ポートフォリオの両脇には弾丸が貫通した穴がはっきり残っている。もうあと数センチ、弾が内側を通れば、間違いなくマコトに命中していた。
 クソったれどもが!  なんてやつらだ!

 マコトには花束だけを渡し、「大丈夫か?」ときいた。彼女は小さな声で「サンキュー」といって頷き、階段の壁にもたれるようにして上がっていった。

「僕はまた本部に戻らないといけない。ドアはロックするんだ。わかるか、ドアにロック。僕が来るまで誰が来てもあけてはだめだ。僕以外、あけるな。警官にこの付近をよくパトロールしてもらう。言ってることがわかるか? 鍵をかけろ。いいね」
 私は部屋のドアの前で、何度も彼女に言い聞かせた。マコトは「イエス」と答え、中から鍵をかける音が聞こえたので、私は駐車場に戻り、急いで本部に向かった。

 


本部に戻ってから先ず、写真現像室に寄ってカメラの現像を頼んだ。明日の朝にはギャラガー警部の机の上に写真が届いているだろう。それからすぐに捜査課にいくと、警部の姿しかなかったが、数分遅れてジョンも帰ってきた。私は二人にマコトとメイリンの身に起こったことを伝えた。ジョンは眉間にしわを寄せ厳しい表情で話を聞いている。
「ブラックのクライスラーにのった3人組・・・・・・」
 ジョンが何かを思い出すような口ぶりで言った。
「何色の服だって?」
 ジョンは隣に座っている私に訊いた。
「ブラックのサテンのジャンパー」
 と答えると、突然ジョンは自分の腿をこぶしでドンと叩いた。
「クソッタレが!(son of a bitch!) やっぱりあいつらか!」
「どうしたんですか?」
「今日、サクラメントストリートで見た連中だ。ロンと何か話してた。あいつらはあそこで銃撃を計画してたんだ」
「何者なんです?」
「ジョイラックボーイズのメンバーだ」
 ジョンが言った。
「わたしたちの大事な妹をこんな目にあわせて!」
 ジョンの言葉には強い怒りがこもっていた。
「狙われたのはマコトです。やつらは射撃のプロじゃない。だから手当たり次第に撃ったんです。それがマコトじゃなくてメイリンにあたってしまった。マコトのアパートにあった落書きもそいつらの仕業なんだ。あれは冗談で書いたんじゃない。本気でマコトを殺そうとしてる。全部、ロンの命令で・・・・・・」
 腹のそこからロンに対する怒りが湧き上がってくる。

「どうしてだ! どうしてマコトが狙われるんだ? 彼女は何もしてないだろ!」
 ジョンの語気がさらに強くなって、私を責めているような口調で言った。
「理由はわかりません。でもとにかくロンにはマコトが邪魔なんだ。彼女を追い出すだけじゃ十分じゃなかった。そのためなら妹が死んだってかまわない」
「あのクズヤロウッ!」
 握り締めたジョンのこぶしがひざの上で小刻みに振るえている。ジョンの言葉にはロンに対する個人的な恨みがはっきりと感じられた。私の怒りも抑えきれないレベルにまであがってきている。

 そこまで無言で聞いていた警部が初めて口を開いた。
「ロンがメイリンまで殺してもいいと考えていたとは思えん。ただ、自分の手は汚したくない、だからジョイラックボーイズにマコトの殺しを頼んだ、さしずめそんなとこだろう。だが、あいつらに頼めば何をするか、そこまでロンは計算してなかったのかもしれない」
 警部は私とジョンの顔を交互に見て話を続けた。
「あす、私はクインにあって、もう少し聞き出してみる。必要な逮捕状もすべてそろえなければいけないし明日は忙しいぞ。水曜日は、予定通り計画を実行する」
「おい、キース。マコトはまだ生きてるんだぞ。ターゲットが生きてる限り何度でも襲ってくるぞ。今すぐにでもロンをふんずかまえて、ぶち込んだらどうなんだ」
ジョンが警部に詰め寄った。私も同じ気持ちだ。今、この場で、二度と立ち上がれなくなるまでロンをぶちのめしてやりたい。

 警部はしばらく何も言わず、私とジョンをじっと見ていた。
「お前たちの思ってることはよくわかる。私もお前たちと同じ気持ちだ。 ロンは許せない。断じて許すべきではない。だがな、いいか、二人とも、よく聞いてくれ。警官の仕事は、時として犯人に対する怒りと一緒に働くことがある。腹の奥底から沸いてくる強い怒りが警官を動かすんだ。 聖人君子のような警官は私の部下には必要ない。お前たちにとって、ロンは個人的な憎しみの対象になってるだろう。ロンに憎しみをもつのは当たり前だ。それが悪いことだとは言わない。しかし今はビジネスが先だ。 われわれのプランが功をなすように、計画に従って行動してほしい。これが連中への仕返しだ。お前たちの正義をなせ」

 警部は最初に私に顔を向けた。
「同意するか?」
 心の奥底を覗き込まれるような目で見つめられ、思わず「わかりました」と返事をした。私が答えると今度はジョンのほうに向き直った。
「ジョン、お前はどうだ?」
 ジョンはすぐには答えなかった。少しの間、俯いていたが、数回頷くと顔を上げ「同意する」と答えた。

 

10時過ぎにアパートに戻った。マコトは私のベッドで眠っている。彼女を起こさないよう、部屋のライトは消したまま服を着替え、ソファーに横になった。

 

 気が高ぶっているのか、体は疲れているのにまったく眠気がこない。冷蔵庫からビールを持ってきて、ラジオの音量を小さく絞り、しばらくソファーに腰掛けていた。今日の発砲事件のニュースが流れてきた。ニュースキャスターはアジアのストリートギャング同士の銃撃戦で一般市民が巻き込まれたといっている。それ以外の情報は流れなかった。

 水曜日のことを考えた。

『正義をなせ』と警部は言った。今の自分にとって、何が正義だ? 目だけが冴えて頭が混乱し、まともに考えられない。心にあるのはロンに対する憎しみだけ。あいつはマコトを殺そうとした。
『敵は殺せ!』

頭に浮かぶのはその言葉。
 私の体の奥底に潜んでいる血にうえた虎がじじわじわと這い上がってくる。
『敵は食い殺せ』
 この声を止めるものがない。
 これが私のなすべき正義か・・・・・・

 

ガウディー展へ行く

 


名古屋市美術館でガウディー展を見てきました。

 

ガウディー展パネル

 

 

 

 

 

 

写真が取れるエリアはここまで。

平日なのにすごい人でした。

 

今日は誕生日なので久々に名古屋まで来たので美味しいケーキでも買おうかと思って

名古屋の老舗松坂屋という百貨店に行きました。

きれいなケーキがたくさん。

どれも美味しそう。

でも、値段見て食べる気失せた😁😁

あまりにもたかすきる〜!😱😱😱

こんな高級ケーキ食べると胃がパニック起こすわ。

なのでケーキを眺めるだけで帰ってきました。

 

 

エンジェルダスト(26)

日曜日、午前9時。

 太極拳の稽古から戻り、ドアに鍵を差し込んだとき、中から電話のベルが聞こえた。私は急いでドアを開けて部屋に入り、電話の上に覆いかぶさっている雑誌の山を払い落として受話器をとった。
「ブゥラァイアン! 私、おねがい、聞いて!  ビッグプロブレム! ヘルプミー!」
 受話器のむこうから、かなり上ずったマコトの声がした。
「何かあったのか?」
「ハワードさん、あの落書き見た。とても怒ってる。ハワードさん、出て行け言った。私はトラブルを運ぶから。ハワードさんの家族に。ハワードさんの家族、危険にするから。今すぐ、出て行け、彼そういった。24時間以内に出て行け。ハワードさん。今月の家賃、うけとらない。私、どうすればいい? わたし、どこいくの? 家がない。どうするの!」
 かなり興奮しているようで、まるで私を責めているような口調だ。
「ちょっと待って。なぜ君がでていくの? 誰かが落書きしたからか? それは君のせいじゃないだろ。24時間以内なんて、無茶苦茶な話じゃないか」
メイリンがお父さん、説得した。でも、だめ。私、出なければならない。今日中。どこ行くの? 私、どこに住むの? 家がない。助けて!  住むとこないの。私、家がないの。どこいくの!」
 彼女の声はますます上ずっていき、終いには泣き声のようになってきた。
「わかった、わかった、わかったから落ち着いて。とにかく、今日は僕のアパートにおいで」
「ブゥラァイアンのアパート?」
「そうだ。僕のアパートに荷物を全部持ってくるんだ。ここに引越し。わかるか?」

 一人暮らしの男の部屋に引っ越して来いというのも、無茶な話しだとは思ったが、マコトの話があまりにも突然のことで、それ以外に良い方法が思いつかなかった。

「ダメ! 私、あなたにトラブル運ぶ」
「だけど、家がないんだろ。とにかくここに来て、それからどうするか考えよう」
 マコトから暫く返事が返ってこなかった。沈黙の時間があまりにも長いので、こちらから切り出した。

「とにかくおいで。今日中に新しいアパートを探すなんて無理だろ。僕のアパートじゃいやか?」
「迷惑ちがう? ほんとにOK?」
「OKだ。100パーセント、OKだよ」
 ほんの数秒、間をおいて「サンキュー」という返事が返ってきた。
「よし、それなら今から君のアパートに行くよ。荷物は何があるの?」
「えっと、洋服とふとん。テーブル、本。少し食器。それから絵の道具」
「わかった。それじゃトラックをゲットしたらすぐ行く」

 電話を切ってすぐに私の頭に浮かんだのがゴンザレス巡査だ。彼はトヨタピックアップトラックに乗っている。私はテンダーロイン署に電話をかけた。

「ハイ、グッドモーニング。ブライアン・オニールです」
「オッ、ブライアンか。元気にしてるか?」
 電話に答えたのは、セントラル署に転属が決まったフラナガン巡査部長に代わって新しく巡査部長になったラルフ・ジョンソンである。
「かなり元気ですよ。あの、今日はゴンザレス巡査はもう出てますよね」
「ゴンザレスなら、今さっき、新しいパートナーと一緒にパトロールに出かけたよ。彼に用事か?」
”ラム”ではなく”新しいパートナー”という言葉に少し寂しい思いがした。
「はい、ちょっと急用があって。私から無線で連絡します。今日は、彼のコールサインは何番ですか?」
「えっと、ちょっと待てよ。今調べる」
 電話口の向こうで紙をめくるような音が聞こえてきた。
「ゴンザレスは今日は、3アダム24 だ」
 お礼を言って電話を切り、すぐに無線でゴンザレスを呼び出した。無線では詳しい説明もせず、困ってる人を助けたいから車を借りたいと言っただけなのに、ゴンザレスはそれ以上の理由も聞かず、快く「OK」の返事をくれた。私は車の鍵をもらうために、シボレーでエリスストリートとテイラーストリートの交差点に向かった。交差点の角にあるビルの前に、ゴンザレスと彼の新しいパートナー、フィル・ジャコブ巡査が立っていた。

「アントニオの路地で助けた子が困ってるんだ。だから彼女を助けたい。それで車が要るんだ。1時間で返すよ」
 ゴンザレスに理由を説明すると、彼は大きな手で私の肩をたたき、「人助けは俺たちの役目だ。遠慮なく使ってくれ」といって、鍵を渡してくれた。
それからすぐにテンダーロイン署に行って、駐車場でシボレーからピックアップトラックに乗り換え、マコトのアパートに向かった。
アパートの壁に書かれてあった文字は、壁と同じ色のペンキで消されていたが、それを見たとき、また得体の知れない不安を感じた。 
 いやな予感がする。とにかく一刻も早く荷物を積みこんで、マコトを私のアパートまでつれてこよう。3階まで駆け上がり、マコトの部屋に行くとドアが開いていて、ダンボールの箱がいくつか外に出ていた。マコトは私の顔を見ると「ハイ」と挨拶したが、その顔にはいつもの笑顔はなかった。 私たちは二人で3、4回階段を往復してトラックに荷物を積み込み、私のアパートに向かった。とりあえず荷物を全部狭いリビングルームに押し込んで、私は車を返すためにテンダーロイン署に戻った。シボレーに乗り換えて、途中でチャイニーズフードを買い、アパートに戻ってみると殺風景な私の部屋がアトリエに変わっていた。大きなイーゼルにキャンバス、モリエールの石膏像、美術図鑑とイラストレーションの本が部屋の隅に積みあがっている。かろうじて足の踏み場だけはできていた。
「すごいな、アトリエみたいだ」
「はい、わたし、半分、アーティスト」
 マコトの顔に笑顔が戻っている。
「少し休憩しないか? おなか減っただろ」
 買ってきたチャイニーズフードの袋をマコトに見せると、彼女はにっこり笑ってうなずいた。
「新しいアパートが見つかるまで、ここが君の家だ」
「ありがとう。ブゥラァイアン、あなた、いつもやさしい。私を2回助けた。サンキュー」

 それから1時間ほどディナータイムをとった後、再び荷物のかたずけを始めた。マコトが運んできた荷物、それは彼女がこの世界で所有してる全てのもの。それが今、私の部屋にある。

『何日でも、何年でも、君がいたいだけここにいればいいよ』
 本の整理をしているマコトの後ろ姿に向かって、心の中でそう言った。

 9時にはかたずけも終わり、ビールでささやかな引っ越し祝いをした。マコトはよほど疲れていたのだろう。私がシャワーを浴びている間にベッドで眠ってしまった。猫の柄が入ったブルーのパジャマを着て、まったく無防備な姿で眠っている。
 私はソファーにブランケットと枕を持っていって、ベッドを作り、部屋のライトを消した。今夜はきれいな月が出ている。窓から差し込む青白い月明かりがマコトの顔にきれいな陰影をつけている。
 彼女とひとつになりたい。この腕に抱きしめたい。こんなチャンスを見逃す男はよほどの間抜けか大ばか者だ。今、彼女は私のベッドで眠っている。裸になって彼女の隣にもぐりこめばいい。簡単なことだ。
 そう、戦争に行くまでは簡単なことだった。
 私は彼女を抱けるのか。
 自分の手の下に、頚動脈を押さえつけられ白目をむいてもだえ苦しんでいる敵兵の顔が見える。この手で、敵兵の首の骨を何度も折った。この手で銃を撃ち、何人も殺した。こんな死臭と血のこびりついた手でどうしてマコトを抱ける。
『人を殺した人間は、自分で牢獄を作り、その中で永久に苦しみ続ける。そして、いつか自分に殺される』
 そういう遺書を残して自殺した戦友がいた。

 ベトナム戦争が残したものは、大量の死人と頭のいかれた連中。そして、好きな子も抱けない間抜けな男。
 もういい。
 もう考えるのはやめよう。
 今夜、彼女がここにいる。
 それだけで十分だ。

 マコトの寝姿を見ながら、やがて私も眠りの世界へ落ちていった。

エンジェルダスト(25)

疲労感と憂鬱感が混ざり合って、アパートに戻っても何をする気にもなれなかった。夕方になって雨はますます激しくなってきた。暫くベッドに座って窓から雨を眺めていたが、落ち着くどころかますますイライラしてきて重苦しい気分は一向に良くならない。外を歩けば多少は気分転換になるかもしれない。散歩に出かけようかと考えていたらマコトから電話がかかってきた。日本語で「もしもし」のあとはマコト流の挨拶。
「アーユーハングリー?(おなか 減った?) きょう、しごと いく?」
「今日はもう家にいるよ。午前中、葬式があったんだ。今日は、それで終わり」
「それ知ってる、ラジオで聞いた。SFPDの人、誰か死んだ。今日、悲しい日ね。あの――」
 そこで、少しの間、言葉が途切れてしまった。
「何。どうしたの?」
「今、学校、おわった。 アパート行っていい? でも、悲しい日ならやめる」
「それは構わないけど、迎えに行こうか? 雨がひどいだろ。お腹減ってるなら食べに行くか?」
「ノーノー。わたし、ピザ、かいます。なんのピザがいいですか?」
「そんなこと気にしなくていいよ。マコトの好きなピザでいいよ」
「OK。ブゥラァイアンのアパート、いく。待ってて」
 
 それから30分ほどで、マコトが私のアパートを訪ねてきた。ピザの箱をレインコートの中に隠して歩いてきたようで、箱は濡れていないがマコトの黄色いレインコートからは雨水が滴り落ちていた。
 マッシュルームとアンチョビのピザを食べながら、二人でギャングが出てくるテレビドラマを見ていたが、私もマコトもあまり話をしなかった。話したことと言えば、英語のドラマが全く理解できないマコトに、今、何が起こっているのか、登場人物が何と言ったかを簡単に説明しただけである。しかし途中で眠気に襲われ番組の終わりまで説明することができなかった。

 目が覚めると毛布が体に巻きついていた。テーブルの上はきれいに片付けてあり、<サンキュー、カゼ、ひくよ グッドナイト>と書かれたメモが置いてあった。せっかく訪ねてきてくれたのに眠りこけてしまったとは。今日のマコトは少し元気がないように感じた。たぶん、雨の中を歩いてきたせいだろうと思ったが、こんな雨降りにマコトから電話して会いに来るとは、何かほかに話でもあったんじゃないだろうか?

 10時頃、ケイコさんから電話があった。明日は4時からみんなでバーベキューをするから食べにおいで、という誘いの電話だった。本部の上司の命令だといわれたら断るわけにはいかない。「OK」の返事をして電話を切った。誰が来るか聞かなかったが「みんな」のなかにはマコトも入っているんだろうか。明日は雨が上がってくれることを願ってベッドに入った。


 翌日は、多少なりとも天は私の願いを聞き入れてくれた。太陽は雲の牢獄に閉じ込められ、当分釈放されそうにないが、雨は降っていない。窓を開け、ノブヒルの平和な朝の空気を部屋にいれラジオをつけた。ヴィヴァルディの四季が流れている。シナモントーストとコーヒーの簡単な朝食をとりながらマコトのことを考えていた。今日のバーベキューには彼女も来るんだろうか。ケイコさんに訊きたかったが、そんなことを口に出して訊けるわけがない。


 午後二時、ジーンズに”NOTRE DAME”のロゴが入ったグレーのスウェットシャツ、ブルーのウインドブレーカーをはおってアパートを出た。ズボンのバックポケットに手錠をいれ、ベルトにつけた小さなホルスターにはワルサーPPK−Sがはいっている。
「拳銃なしで出かけるな」
 アカデミーの教官からもジョンからもしつこいくらいに言われた言葉。最近は、人気の刑事ドラマ『ストリートオブサンフランシスコ』の中で警部役のカール・モルデェンが同じセリフを言っていた。今では財布は忘れても拳銃だけは忘れたことがない。

 ユニオンストリートの坂の途中で、ホップスコッチ(hopscotch/けんけんぱ)をして遊んでいる女の子たちがいた。そのそばで男の子が凧揚げをしている。時間は十分にあるので、しばらく立ち止まって子供たちの遊びを眺めていた。天気がよければ、歩道にはさまざまな人種、年代の人たちがコーヒーを飲みながら、あるいはアイスクリームを食べながら散歩を楽しんでいるが、今日はいつもより静かだった。
 四時前にハイドストリートにある警部の家に着いたが、ジョンの青いワーゲンはすでにいつもの場所に止っていた。ブザーを押して数秒待つと、小さな声でインターホンから日本語が聞こえてきた。
「はい、もしもし」
 誰だろう? ケイコさんの声とは違うような気がするがインターホンの調子が悪いんだろうか。
「ケイコさんですか? ブライアンです」
「ハイ!  ブゥラァイアン!」
 こんな発音で私の名を呼ぶのは一人しかいない。
「君はマコトか?」
 インターホンのむこうから、すぐに「イエス」と明るい返事が帰ってきた。電子錠の開く音が聞こえるとすぐに扉を開け、ミニジャングルの庭を玄関めがけて走っていった。


 警部とジョンはビールを飲みながら、ダイニングルームで私が来るのを待っていた。マコトはひざに小さな黒白の猫を乗せて座っている。全員がそろうと、ケイコさんが軽く咳払いをして立ち上がった。
「レディースアンドジェントルマン。本日は、レストランギャラガーへおこしいただき誠にありがとうございます」
 と突然、ケイコさんの挨拶が始まった。
「本日は何もない日を祝って、スペシャルメニューをご用意しました。それではマコトシェフにメニューを紹介してもらいます」
「マコトシェフ?」私はケイコさんに訊いた。
「そうよ、まこちゃん、朝から家に来て手伝ってもらったの。英語も上手になったわよ。ブライアンが来るまで一生懸命練習してたの。聞いてあげて」
 マコトはメニューの書かれた紙をみながら読み始めた。
「チャコールグリルフィレミニョン(炭火焼フィレステーキ)、ベイクドポテト、フレッシュスプリングコーン、マシュルームソテー、クラブサラダ・ア・ラ・マコト、1968 ルイスマティーニピノ・ノワール、アンド、デザートは、チーズケーキ・ア・ラ・ケイコ」
 読み終わったとたん、拍手と一緒にみんなから「ベリーグッド!」といわれ、彼女の顔がほんのり赤くなったのがわかった。警部は拍手の代わりに親指を立てて"グッド"のサインを送っている。本当にケイコさんがいったように英語らしい発音になっている。
「オー!  ブラボー! マコト! 発音がベリーグッドになったじゃないか!」
 ジョンが拍手しながら大きな声でいうと、マコトは少し恥ずかしそうに「サンキュー」と返事をした。
「オイ、ケイコ。今日は何もない日じゃなくて何も起こらなかった日だろ」
 警部が言った。
「なんだそれ?」
 ジョンが訊くと、警部はテーブルの上に置いてあるチーズケーキを指さした。
「これはケイコが焼いたんだが、今日はオーブンを爆発させずにすんだ。ハッピーな出来事だろ。アメリカと日本では温度の数字が違うから自分が悪いんじゃないと言うんだが、壊すたびに新しいオーブンを買うのは私だからな」
 警部の話でみんな大笑いした。ケイコさんもまるで人ごとのように笑っている。
「はい、はい。どこかにそういう悪いワイフがいたって話はおしまい。それじゃ、我こそはジェントルマンだと思う殿方は、この肉と野菜を持ってテラスに集合。男性陣の任務は肉と野菜を焼くこと。私とマコちゃんはサラダの用意をするから、できたらもっていくわ。それから今日は仕事の話はなし。OKね」
「了解、10−4 OK。OK。イエス、マム(Ma’am」
「私はマムじゃなくてワイフ! とにかく今日はビジネストークは絶対にダメ。はい、ビール。持っていって」
 警部は手を額にかざして軍隊式の敬礼をするようなポーズで立ち上がり、ビールのボックスをぶら下げてキッチンの裏口からテラスへ出ていった。私とジョンもケイコさんから「ゴーゴーゴー!」と急かされて、バーベキューの材料が乗った皿を抱えて裏庭に移動した。


 テラスにはウェイバー社製の大きなバーベキューグリルとテーブル、形の不揃いな椅子が5脚おいてあり、グリルの中の炭はいい具合に火がついていた。私とジョンがステーキ用の牛肉とコーンを鉄板に並べていると警部がそばにきて、ないしょ話でもするような小さな声で言った。
「ちょっと聞いてくれ。おまえたちが来ると最近は仕事の話ばかりしてるから、女王陛下の機嫌が悪くてね。とにかく彼女が来る前に、少しだけ仕事の話をしたい。命令違反したのがばれたら、私は"ウチクビゴクモン" だからな。いいか。ケイコが来たら話題を変えるぞ」
「ウチクビゴクモン? 何ですか、それ?」
 私が訊くとジョンが手で首を切り落とすジェスチャーをして見せた。
「ああ、それは大変だ。わかりました」
「で、話ってなんだ?」
 ジョンが訊いた。
「来週のプランだが、アウトラインだけショートタイムで説明するからしっかり頭に入れておいてくれ」
「キース、どういうプランなんだ?」
 ジョんはポテトを鉄板に並べながら尋ねた。
「まず月曜日、ジョンはスポッフォードストリートのメイソンハウスに張り込んで、もしそこにマスタングが止っていたら追跡してほしい。どこに行ったか私に知らせてくれ。もしもワ・チュウを見かけた場合はすぐに無線でボーイに連絡してマスタングの追跡はボーイと交代。ジョンはワ・チュウをおいかけてくれ。ボーイはジョンから連絡が来たら、マスタングを見つけて追いかけて欲しい。たぶんロンはまたテンダーロインに来るはずだ。そこで待っていればマスタングをピックアップするのはそんなに難しくないだろ。とにかく月曜はその方法でやってみよう」
「OK」
 ジョンが言った。
「それからボーイ。おまえは月曜日の朝早く、望遠レンズのついたカメラを持ってテンダーロインへ行ってもらいたい。服装は観光客に化けてくれ。おまえにやって欲しいことは、タイリー・スコットを見つけて写真を撮ること。おまえたちが最初にマスタングを見つけたところに薄汚いアパートがあるだろ。そこがタイリーのアパートだ。外に出てきたら写真を撮って、そのあとはアパートの出入口がどこにあってどの道に出るのか詳しく調べてきてくれ。それが終わったらマカリスターストリートの"プロジェクト" に行って、ロンがドラッグを売った黒人、たぶんブラックパンサー党のメンバーだと思うが、もし見つけることができたら写真を撮ってくれ。そのあとはエディーストリート沿いのビクトリアンハウスにいた黒人。またそこにいたら写真を頼む。それから裏側がどうなってるか調べてきてくれ。それでヴィクトリアンハウス周辺の地図を作ってほしい。人員を配置するのにどこがいいか、その地図で考えるよ」
「OK! わかりました」
 私が返事をすると、警部は小さく数回頷いた。
「それで火曜日のプランだが、おまえたちはもう一度スポッフォードストリートに張り込んで、ロンかワ・チュウがいたらまた追跡だ。誰が誰を追うかはジョンが決めてくれ。それから水曜日のフェスティバルは――」
 話の途中で突然ケイコさんに遮られた。
「また仕事の話してる!」
 フルーツを盛り付けた大皿を持ったケイコさんがキッチンの裏口の前に立ってこちらを睨んでいる。
「そんな話しはしてないよ、なぁ、ボーイ」
 警部はケイコさんにわからないように私に向かって大げさなウインクをした。
「ダメ!  顔が笑ってないからすぐわかるわよ。約束破ったら畳ルームでハラキリ、ウチクビ、我が家のルール、覚えてる?」
 ケイコさんは小さな子供が怒ったときのように少し口を尖らせて私たちの方にやってきた。口では怒っているが目が笑っている。
「今、話してたのは軍事会議だ。あと2〜3分で終わるから。OKか?」
「軍事会議?!  もう、しょうがない人たちねぇ。後2〜3分だけよ。またやってたら三人そろってハラキリ、わかった?」 そういうと、ケイコさんはテーブルに皿を置いてキッチンへ戻っていった。ケイコさんの姿が見えなくなると、警部は再び小さな声で、「それでどこまで話した?」
「はい、あの水曜日 フェスティバル・・・・・・」 
 と、私がいうと、警部は私の肩を軽く数回タップして話の続きを始めた。
「水曜日は、事が順調に運べばこの日にフェスティバルを行うつもりだ。ロンの今まで行動パターンから推測して、おそらく水曜日はドラッグの配達と集金日だと思う。私の経験から言えば、こういう頭のいかれた連中というのは、たいていいつも同じ事を繰り返すもんだ。やつらは、パターンを変えない。だからロンもいつもと同じルートを取るはずだ。ジョンは水曜日はスポッフォードストリートで待機して、マスタングを追ってくれ。ロンがエディーストリートに向かったらすぐボーイに無線を入れてほしい」
「OK。わかった」 
 ジョンが言った。
「それからボーイのほうは、当日はテンダーロイン署から2ユニット(警官4名)と、それ以外に三名、警官がおまえに協力してくれるから、一時にテンダーロイン署にいって、タイリー・スコットをゲットする打ち合わせをしてほしい。ヤクの取引が終わったら、タイリーをその場で確保だ。やつの逃げ道を塞いで絶対に逃がすんじゃないぞ、いいな。今回の作戦は短時間で一気に片付けるからな。一箇所でも紐がほどけて誰かが逃げたら全てがアウトだ」
「ハイ、わかりました」
「タイリーを確保したら”HALL OF JUSTICE”に行って、殺人罪で調書を取れ。地方検事には、タイリーに保釈金なしの逮捕状を出すようにもう話しはついてるからな。罪状は殺人と有害な薬物の不法所持と売買」
「すごい手回しがいいんだ。すごいですね」
「地方検事局とは友達(buddy-boy) だよ。しかし、ひとつ困ったことがあるんだが・・・・・・」
「困ったこと?」
 ジョンが訊いた。
「タイリーを監獄(Jail)に入れたらすぐにロンから受け取ったドラッグを薬物検査に回してほしいんだが、検査の結果が出るまでに時間がかかる(there's a hitch)。問題はそれなんだ」
「何か具合の悪いことでもあるんですか」
 私が尋ねた。
「拘留中に電話の許可が出た場合、たぶん母親か弁護士に電話するだろう。ひょっとしたらこっそりロンに電話して知らせるかもしれない。検査結果が出るまでの間にこれをしてもらうとこちらとしては非常にやっかいだ。だからタイリーには、ちょっと痛い思いをしてもらって、監獄の病棟かジェネラル病院の囚人病棟で、結果が出るまでベッドに縛り付けておきたい。やつに電話をかけさせないようにするにはこれしかない」
 警部の話しを聞いて、すぐには了解できないものを感じた。『そんなことは悪いことだ、やってはいけない』と言う声と『相手は犯罪者だ、悪はかまわず叩き潰せ』という声が心の中で格闘している。しばらく黙って考えていたら警部が言った。
「ボーイ、いいか、これが重要なことじゃなければおまえにこんなことはいわない。タイリーを動けないようにしておくことは、今回どうしても必要なことだ。それができないなら、あっという間にすべてがだめになる。(this could all go down the toilet in an instant)」

 どうすればいいのかわからない。イエスかノーか。私は考えた。ラムの顔が浮かんだ。そして答えを出した。

 相手はドラックディーラーだ。自分の金のためにドラッグを売りさばいて、それで誰が死のうがそんなことはお構いなしの冷酷な犯罪者だ。そんなヤツに情けをかけて、大物を逃がすわけにはいかない。
「わかりました。そのようにします」
「よし、OK。それから、エディーストリートのもう一人のディーラー、ビクトリアンハウスにいた男だが、こちらは麻薬課が協力してくれる。ロンがタイリーにヤクを渡してフィルモアに向かったらすぐに私に連絡してくれ。私は麻薬課と一緒にヴィクトリアンハウスの近くで待機してるからな。多分 かなり強引な方法で捕まえると思うが、この男もタイリーと同じ方法で暫くじっとさせておく。わかるか。ボーイ」
 警部は私を見た。
「本当は私もこんな方法はとりたくない。タイリーもヴィクトリアンハウスの男も、どうやってロンに連絡するか知らないかもしれない。でも、それはあくまでこちらの推測だ。我々は希望的観測に賭けることはできない。万一、あの二人のどちらかが逮捕されたことをロンに伝えたら、物事はすぐにこうなる」
 警部は私の顔を見ながら熱く焼けた鉄板の上にアイリッシュウイスキーを垂らした。ジュっという音と同時に分裂して小さい水滴になり、あっという間に蒸発してしまった。

「それとプロジェクトにいた二人の黒人だが――」
 警部はそこで言葉を切り、私とジョンの顔を交互に見た。
「わかってると思うが、我々がこのエリアに踏み込めば必ず攻撃される。ロンの後を追ってプロジェクトに行ったときは、連中に見つからないように十分注意してくれ。もしもあの二人がプロジェクトの中に逃げ込んだらどうにもならん。あそこは隠れるとこならいくらでもあるからな。それにあそこにはあらゆる銃がそろってる。あの二人を逃したらお前たちが獲物にされて撃たれるぞ」
 ジョンと私は静かにうなずいた。
「実はな、PCPとは別の事件なんだが、殺人課も逮捕状をとるのにあの二人の写真がいるんだ。とにかく連中はどこからでも見張ってるから十分用心してくれ。あとは、ああ、そうだ。薬物検査でPCPが出たら、地方検事が殺人罪でロン・チャンの逮捕状と捜査令状をとるよう動いてくれる。ピア48の方は麻薬課が協力してくれるから、私たちは広東インポートとスポッフォードストリートのメイソンハウスに踏み込むぞ。そのときは、Tac Squad (特殊部隊) と Flying Squad (犯罪対策特別班)が我々のバックアップをしてくれることになってる」
「すごいじゃないか、ビッグイベントだな、キース。で、あの気味の悪いチャイニーズはどうなるんだ?」
 ジョンは肉を裏返しながら警部に言った。
「信頼できる情報筋によると、ロンはワ・チュウの命令で香港からPCPを輸入してばら撒いてるようだ。ジョーから連絡があったよ。ヴィニーの話しでは五日以内にマフィアがワ・チュウを殺ると言ってるらしい。FBIには彼らが喜びそうな骨を投げてやるよ。ヴィニーたちからもらった情報を彼らに流してやれば、ワ・チュウの逮捕にやっきになるだろう。ヤツが殺される前にどうにかするはずだ。もっとも彼らがワ・チュウを見つけることができたら、の話しだがな。マァ、そういうわけで、今日はささやかな前祝いだ。それで、おまえたちにこれからやってもらいたいことは、まもなくボスが戻ってくる。これじゃ肉が薄いだろ。ボーイ。持ってきた肉、もっと分厚く切って焼いてくれ」

 私が肉の塊を3cm位の厚さに切っていると、ケイコさんとマコトが大きな皿を抱えて戻ってきた。

「軍事会議は終わった? ずいぶんと真剣な顔で話してたけど。ノルマンディーにでも上陸するのかしら? はい、どうぞ。出陣祝い」といいながら、ケイコさんはテーブルの上に大皿を置いた。ゆでたてのロブスターが山のように盛り付けられている。湯気と一緒にうまそうな匂いが流れてきた。マコトが運んできた皿には、レタスとトマト、その上にカニの身がこぼれ落ちそうなくらい乗っている。
「もう会議はおしまい。おなかの方が減りすぎて怒ってるわよ。さぁ食べましょう」

 それから九時頃までバーベキューを囲んでダーティージョークも交えながら楽しい食事が続いた。


 帰るころになって、マコトがどうしても私に見せたいものがあるからアパートまで来てほしいと言ったので、ジョンのワーゲンでクレイストリートの交差点まで送ってもらった。
「どうしたの? 何を見せてくれるの?」
 歩きながら私が聞くと、彼女は「レター」と一言しか答えなかった。その意味がわかったのは、彼女のアパートの正面に着いたときだ。

<DIEJAP(死ね日本人)>

 この文字がアパートの壁のあちこちに、黒いペンキで書きなぐってあった。その下には 一回り小さい文字で中国語が書きこんである。おそらくDIEJAP>と同じ意味だろう。マコトは瞬きもせずその文字を見つめている。
「誰がこんなひどい落書きをしたんだ! いつ、見つけた?」
「今。今、初めて見た。あの、これじゃないの。見せたいものは、昨日の朝、部屋のドアに大きな紙ありました。ダイジャップ、紙に書いてあった。それ、言いたかった」
 それで昨日は雨の中、私のアパートを訪ねてきたのか。そんなことも知らず寝てしまったとは、なんてことだ。
「マコト。昨日、僕のアパートに来たのは、このことを話したかったんだな。ごめんよ。寝てしまって君が帰ったのも知らなかった。だけど、どうしてすぐに言わなかったんだ」
「きのう、お葬式だから。悲しい日。悪い話、よくないと思った。私、JAPの意味 知ってる。とても悪い言葉。それに、あなた疲れてる顔してた」

 私はマコトの正面に立ち、彼女の両肩を軽くつかんで目線をあわせた。マコトは不安な表情で私を見ている。
「いいか。マコト。大事なことを言うからね。よく聞くんだ。これから困ったことや怖いことがあったら、すぐに言うんだ。あとからじゃダメだ。僕のことは気にしなくていい。大事なことは最初に話すんだ。僕の言ったことがわかるか?」
 マコトは私の目を見つめたまま頷いた。
「でも、私、何かした?  私 日本人だから? 、私、チャイナタウンの人に悪いことしてない。ここの人たち、みんないい人だと思った。どうしてこんな悪いことするの?! 私、なにかした?  誰がやったの?!」
まるで私を責めているような口調で彼女が言った。
「わからない。チャイナタウンはアジアの人たちはみんな仲良く暮らしてるはずだけど、時々ルールに従わないのがいるんだ」
「そう、みんな いい人。でも、ハワードさん、怒る。きっと、これをみたらたくさん怒ります。 私、どうする?」
 マコトの顔には不安の表情がありありと出ている。
「大丈夫だ、心配しなくていい」
「でもハワードさん、怒ったら、私 とても困る。どうすればいいですか?」
「心配しないで。もしもハワードさんが何か言ってきたら電話して。僕が何とかするよ。おいで。部屋の前まで一緒に行ってあげるよ」
 私はマコトの手をとって三階まで上がって行った。部屋の前に来ても、彼女は何も言わずうつむいている。
「心配するな。大丈夫だ。僕は警官だよ。こういう嫌がらせをするやつは許せないから僕が捕まえるよ。だから何も心配しなくていい。困ったことがあったらいつでも電話して。いいね」
 マコトは小さくうなずき、ポケットから鍵を取り出した。「サンキュ。グッドナイト」と私の襟元を見ながら小さな声で挨拶し、部屋に入っていった。

 帰り道、漠然とした不安を感じながら歩いていた。なぜこんな不安を感じるんだろう。あの落書きのせいばかりではない。
『何かが道をやってくる、よくない何かが近づいている』
 眠りにつくまでマクベスの魔女の言葉が頭から消えなかった。

 

 

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※1968ルイスマティーニピノ・ノワール(Louis M. Martini 1956 Pinot Noir ):カリフォルニアワイン
※ストリートオブサンフランシスコ:サンフランシスコを舞台にしたダーティーハリーのような話。1972年から1977年に放映された刑事ドラマ。原作『poor poor Ophelia』(Carolyn Weston著)
※Ma'am は 女性の上官を呼ぶとき、「サー(sir)」と同じ。

ブラックパンサー党
1966年カリフォルニアオークランドで結成。武力による黒人解放をとなえている組織。

※tactical squad:現在のSWATのこと。1970代はサンフランシスコ市警にはSWATという名称はありません。SWATと同じような特殊部隊はTac Squad と呼ばれていました。Tac Squadは暴動などを鎮圧する部隊ですが、やり方が過激なため評判が悪く、その後,SRT(Special Resonse Team)と名称を変えました。これが、現在のSWATのことですが、サンフランシスコ市警でSWATという名前で呼ばれるようになったのは1980年代に入ってからです。

アルカトラズ



クリスマスになると何故かサンフランシスコの海を思い出します。

サンフランシスコの海といえばホオジロザメでしょう。

で、ホオジロさんといえばアルカトラズだよねってどんな連想なんだか(笑

というわけで今日は十数年前に行ったアルカトラズ刑務所の写真を載せますね。

 

アルカトラズへ向かう船の上から

ホオジロザメがいます。

船の上から

アルカトラズ刑務所

アルカトラズ刑務所

監視塔




アルカトラズ内部

 

クリント・イーストウッドアルカトラズからの脱出という映画ありましたね。

イーストウッドが演じた囚人フランク・モリスがいた部屋です。

 

 

囚人たちの運動場からの眺め

サンフランシスコまで2.4キロくらいです。

泳いでいけそうな気もしますが、この辺は海流の影響で沖へ流されてしまうそうで怖いホオジロさんも泳いでます。

 

 

下の文章は収容所内の壁に貼ってありました。

原文は英語

 

ある囚人の言葉
「俺たち囚人にとって一番残酷な罰は、看守からの虐待でもなければ、独房に入れられることでもない。この美しい風景をみせられることだ。サンフランシスコまでたった2キロ。手を伸ばせば届きそうなのに、恐ろしく遠い。すぐ近くにあるのに、もう二度とあそこへは戻れない。ここにきて初めて、自分が何をなくしたのか気が付くのだ。」