雑記帳

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猫との対話

猫というのは日がな一日寝ているか、じっと座ってボォーっとしているか、なんとも平和で気楽な毎日を送っている生き物だと、家の猫を見ているとそのように思うのです。
 
  起きている時は窓辺に座っていつまでも外の風景をながめております。いったいこいつは何を考えているんだ、と思っていたらある日、猫がこんなことを言いました。
 
「詩を書いたことがあるか?」
 「え?」
 「絵じゃない。詩だよ」
 「ああ、はいはい。ポエムね。ずいぶん前に書いたことあるけど、今は全然かかないよ。最近は読むだけで自分じゃ書かないね」
  と答えると、猫はコンピューターのテーブルに飛び移り、すました顔でキーボードを叩き始めました。
 「エリオットって詩人、知ってるか?」
 「ああ、エリオットね。うん、いくつか読んだことあるから知ってるけど、それがどうしたの」
 「ちょっと気に入ったのを見つけてな。この『空ろな男』っての、なかなかいいぞ。ちょっと読んでみろよ」
  丸っこい手で詩のタイトルをクリックすると、『空ろな男』の全文が画面に現れました。
 
 ざっと読んでみましたが、私には何やらよくわからない詩です。でも、猫はこの詩の最後の部分が気に入ったようです。
 こんなフレーズです:
 
切望と発作の間
 可能性と存在の間
 本質と没落の間に影が落ちる
 王国は汝のもの
 汝の人生は –
 かくて世の終わり来たりぬ
 かくて世の終わり来たりぬ
 かくて世の終わり来たりぬ
 - 銃声ではなくすすり泣きのうちに」
 
  私が画面を見ながら、うーんと唸って首をかしげていると、猫が言いました。
 「感じるんだよ。理屈じゃなくって感性の問題だな。頭で理解するな、大事なのはハート」
 「へぇ、ずいぶん難しいこと考えてるんだね」
 「難しくはないさ。要は、ハートが開放されてるかどうかって違いだけだ」
 「うーん、ますます難しい。あんたたち猫族っていつもそんなこと考えてるの?」
 「いや、考えてるんじゃなくて見えてくるんだよ。だいたい人間てやつはな、忙しすぎるんだよ。たまには静かに瞑想でもしてみろよ。見えなかったものがいっぱい見えてくるぞ」
 「瞑想ねぇ。だけど、なんでまた急にエリオットの詩に興味なんか持ったの?」
 「おいらもひとつ、詩でも作ってみようと思ってな。エリオットがな、『詩は感情の開放でもなけりゃ、パーソナリティーの表現でもない。詩は感情とパーソナリティーからの脱出だ』っていってるんだよな。脱出するってことがどういうことかは、感情とパーソナリティーを持ってるものだけが知ってるとも言ってる」
 猫は難しい顔で言いました。
 「あのね、よくわかんないんだけど。あんた、エリオットの言ってることわかるの?」
 私が訊くと、猫はにやりと笑い、
 「わかったら今頃、おいらは大詩人だ。でもな、感情を開放すりゃいいんだろ。とりあえずそっから始めてみようと思ってな。そのうちに脱出ってのが何かわかってくるだろ。昨日の夜ひとつ作ってみたんだ」
 「どんなの?」
  猫はコンピューターの前に座り直すと、保存したワードファイルをクリックし、「これだ」といって見せてくれました。
 
こんな詩です。
 
蒼き月影、窓を刺す。
 凍てつくキッチン、我が皿は空ろなり。
 冷たき牢獄にとらわれしツナ缶
 立ち上がらぬ缶切り
 午前2時の鐘が鳴る
 ああ、かくて空腹は来りぬ
 かくて空腹は来りぬ
 かくて空腹は来りぬ
 
我が腹は惨めなりき
 眠気と空腹の狭間を満たせ
 腹と背中の狭間を満たせ
 
目覚めよ ツナ缶
 立ち上がれ 缶切り
 我にツナを与えよ
 我にツナを与えよ
 
おまえなくして いかに生きられようぞ
 ああ、ツナよ
 愛しきツナよ  
 麗しのツナよ
 いでよ ツナ
 牢獄の鎖を解き放て
 
ツナを出せ
 腹へった
 ツナ くいてぇ
 もっとツナ
 ツナ ツナ ツナ
 ギブミーーーーーー! ツナ!
 

 

窓猫