雑記帳

作品倉庫

エンジェルダスト(27)

月曜日。午前8時。

 私は仕事に出かける準備をしていた。ワードローブの中がマコトの洋服でずいぶん賑やかになっている。しかし女性の服といえば、ブラックのフォーマルドレスとチャイニーズドレスくらいで後は全部男物ばかりである。
 私が着替えている間、彼女はキッチンでコーヒーを飲んでいた。学校が始まるのは10時から。時間はまだ十分にある。ピーコートをハンガーから外していたらマコトが私の隣に来て、ラムの葬儀の日に着た制服のブルーのシャツを指差した。
「これ、かっこいい」
「制服だよ、着てみるか?」
 マコトはまん丸の目で私の顔を見た。これが「イエス」の合図。彼女は言葉の代わりに目で会話する。マコトにシャツを渡すとTシャツの上から袖を通し「ヘイ、みて。これ、私のサイズ」と言って嬉しそうな顔で鏡に姿を映している。
「それ、君が着たほうがよく似合うよ」
「これ、私の?」
 彼女は今、着ているシャツを指差して訊いた。
「ああ、そうだ、君のだよ。この中にある服は全部、君の服。どれでも好きなの着ていいよ、だけどズボンはやめたほうがいいけどね」
「ワオ! サンキュー」
 彼女は私の頬に軽くキスをして、次の服を探し始めた。
「僕はもう出かけるけど、6時ごろには帰れると思う。マコトも学校、楽しんでおいで。もう何も心配いらないよ」
「ご飯作って待ってる」
 私は笑って頷き、テーブルに置いてあるコーヒーカップを持ってキッチンに行った。部屋のあちこちに、かわいらしい小物が飾ってある。すべてマコトが持ってきたものである。おもちゃ箱をひっくり返したような部屋になってしまったが、殺風景な部屋よりは楽しくていいかもしれない。
 ふと、本箱に目がいった。昨日まではそこになかったガラスの置物が目に止まった。それはプラスチック製の台座がついたスノーグローブだった。ライトグリーンの台座の上にはテニスボールほどの大きさのガラス球が乗っていて、その中には小さな中国風の家が入っている。それを手にとって、上下左右に振ってみた。スノーグローブを振るとガラスの中の小さな世界で雪が降り始めた。最初はただ何気なくガラスの中の雪景色を見ていたが、何かおかしい。ガラス玉に目を近づけてよく見ると、雪の形が二つだけ他と違うものが混じっている。

「これ、どこで買った? かわいいね」
 私はマコトにスノーグローブを示して訊いた。
「あ、それ、メイリンが昨日くれた。お別れのプレゼント。わたし、メイリンのアパート出るから。彼女、さびしい。だから、彼女くれた」
「へぇ、こんなかわいいのが売ってるんだ」
「売ってない。それ、メイリンが倉庫から持ってきた。全部ただ」
「店の倉庫から?」
「はい」
「ねぇ、これ今日仕事に持っていってもいいか? ギャラガー警部に見せたいんだ」
「ハイ、あのかっこいい警部さん、はいOK」
「ありがとう、じゃ、6時ごろには帰るよ」
「バイバイ」
 マコトは笑いながら手を振った。

 駐車場まで降りていき、シボレーのエンジンをかける前に、もう一度スノーグローブを振って中をよく観察してみた。これはもしかしたら、私たちが探しているものかもしれない。車をスタートさせ、ストックトンストリートに向かう途中で本部に無線を入れた。
「こちらインスペクター102」
「はい、本部です。どうぞ」
「こちらインスペクター102 、10-8(任務遂行中) 、10-49 ホール ( 本部に向かっている)。インスペクター101 と42 は10-8?」
「101と42 は現在10-8、本部に向かってます」
「10-4。サンキュー。ブレーク(通信終わり)」

 司令室との無線を終わり、続いて警部を呼びだすとすぐに返事がきた。
「インスペクター42だ。どうぞ」
「インスペクター102です。今からラボに行きます。今朝、気になるものを見つけたのでラボに回します。たぶん私たちが探してるものかもしれません。ラボまで来てもえらますか?」
「10-4。今どこにいる?」
ストックトンの交差点です」
「わかった。私はワンブロック先の交差点にいる。先にラボに行って待ってる」(クライムラボ:日本ならば科学捜査研究所)

 それから15分後、本部の駐車場につき、エレベーターで6階にあるクライムラボまであがっていった。警部とジョンはすでにラボで待っていた。二人ともジーンズにアーミージャケットを羽織っている。
「今日もまた制服ですか。二人とも、私服を持ってないんですか?」
 挨拶よりも先にこの言葉が出てきた。
「これが一番楽なんだよ。お前は今日は又いちだんとだらしないなぁ。その鼻の下の毛虫がよく似合ってるよ」
 私の口ひげを見て、ジョンが笑い顔で言った。
「それで、何を見つけた?」
 警部が訊いた。最初に昨日の出来事を警部とジョンに伝え、それからマコトから預かったスノーグローブを警部に渡した。
「見てください。この中の雪が二つだけ形が違うでしょ。色も微妙に違います」
 警部はゆっくりとスノーグローブを振り、落ちてくる雪をじっと観察していた。
「ははぁ、この二つか。大きさも違うな、ほら見てみろ」
 警部はジョンにスノーグローブを渡した。
「ほう、なるほど。これか?」
 ジョンは大きさの違う二つの雪片をガラスの上から指でたどりながら言った。
「はい、たぶんアルコールと反応させてできたPCPの結晶のように思いますが。この中の液体そのものがPCPかもしれません。検査結果がでないとわかりませんが、でも、おそらくPCPだと思います」
 私はスノーグローブを研究員に渡し、注意事項を与えた。
「これを扱うときは気をつけてください。開けるときは、どこか隔離した場所でお願いします。ゴム手袋と防護用のマスクもしたほうがいいです。この中身が私が思ってるものだったら、吸い込んだり皮膚についたりすると大変なことになります。十分注意してください」
 若い研究員は「わかりました」と言ってゴム手袋をはめ、核爆弾を扱うような手つきでスノーグローブを受け取った。
「それじゃ、警部、私は仕事に戻ります。タイリーの写真をとってきます。何かわかったら教えてください」

 本部を出てエリスストリートに向かい、タイリー・スコットの住んでいるアパートの周囲をうろついていたら、それほど時間もかからずドラッグの売買をしているタイリーを写真に収めることができた。それからアパートの正面と裏、隣接しているビルの写真を撮り、アパートの出入り口をチェックした。裏口の扉の鍵は完全に壊されていて、いつでも出入り自由になっている。その後はフィルモアストリートの縁石寄りに路上駐車して、エディーストリートまで歩いた。壊れかけたビクトリアンハウスとその周辺の写真を撮っていると、数日前に見かけた黒人がビクトリアンハウスから出てきてストリートでドラッグの売買をはじめた。望遠レンズのカメラで売買の現場を写したあとは、ビクトリアンハウスの裏側にまわり建物を囲っているフェンスをチェックした。フェンスが壊れて人が楽に通れるくらいの大きな穴が開いている場所があった。以前はここに裏門があったのかもしれない。
 シボレーに戻り、マカリスターストリートにある黒人の居住区プロジェクトに向かった。ここでも長く待つことなく、ロンからドラッグを受け取った二人の黒人の撮影に成功した。プロジェクトを出て本部に向かっている途中で警部から無線が入った。無線の音がずいぶんと鮮明に聞こえてくる。おそらくThe Hall of Justice のコミュニケーションセンターから発信しているのだろう。
「インスペクター42からインスペクター102へ。検査結果はビンゴ」
「早いな。もうでたんですか。やっぱりそうか。こちらは写真撮影は終了しました。今、本部へ戻ってる途中です」
 警部からの通信が切れるとすぐにジョンから連絡が入った。
「おい、インスペクター101から102へ。写真は終わったか?」
「イエス、写真撮影は終わりました」
「10-4。今からここまでこれるか? 今、ワシントンストリートにいる。獲物をゲットした。両方ともあのビルの中にいるぞ」
「OK。すぐに行きます」

 スポッフォードストリートに少しでも早くつけるように、バックミラーにレッドライトを取り付けてシボレーを飛ばした。前方の車がこの赤い回転灯に気がつけば道を譲ってくれるだろう。時々まったく後ろを気にしないドライバーがいたが、ほとんどの車が道をあけてくれた。ストックトンストリートのトンネルに入ってからレッドライトを消して取り外し、ジョンに無線をいれた。
「インスペクター102から101へ、チャンネル2で応答願います」
「こちら101、チャンネル2に変えた。どうぞ」
「何をゲットしたんですか?今、ストックトンのトンネルの中です」
「そっちから来るんならクレイストリートで待機してくれるか? 獲物の車は両方ともここにいるぞ。先頭がブラックのキャデラック。後ろにマスタング。わたしが無線を入れる2、3分前にここについた」
「OK。それでキャデラックが出たら私が追いますか?」
「そうしてくれ。こっちはマスタングをおっかける」
 無線で話している間に、シボレーはクレイストリートに到着した。
「今、クレイストリートにつきました」
「10-4。キャデラックがスタートしたら連絡する。チャンネル2 クリア」
 クレイストリートの角にシボレーを止め、その場で連絡が来るまで待っていた。

 


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 スポッフォードストリート36番地

 14Kトライアドのリーダー、ワ・シン・チュウとロン・チャンがテーブルといす以外に何もない2階の事務所の中央に立っている。二人はテーブルを挟んで腰を下ろした。
「香港からのメッセージを伝えにきた。ここに送る製品が完成したといってる。まずはスノーグローブからだ。中身はすべて増やしてある。個数は48個だ。香港にオーダーすればいつでも発送できるよう手配してある。サクラメントのクライアントに送る特注品としてオーダーしろ。ただし今回は船ではなく飛行機だ、わかったな。ミスという言葉は聞きたくない」
 ワ・シン・チュウは上着の内ポケットから葉巻を取り出し、ライターで火をつけ、吸い込んだ煙をロン・チャンの顔に向かってゆっくりと吐き出した。ロンは目を少しだけ伏せて煙をよけた。
「わかってます。これから倉庫に戻ったらすぐに香港にファックスでオーダーを送ります。この時間は親父はワシントンの事務所で仕事してますから倉庫には誰もいません」
「エクセレント! それで、あの日本人の娘はどうなった?」
「はい、あなたの言った通りにしました。あの娘はもうアパートにはいません。昨日出て行きました」
 葉巻の灰をテーブルの上に落としていたワ・シン・チュウの指の動きが止まった。視線を葉巻からロンにゆっくりと移動し、蛇の舌のように細い目でロンをにらみつけた。
「そうしろと私が言ったか?」
「は、はい、あの娘を取り払えと、だから、言われたように追い出しました」
「なるほど。確かに私は取り払え、とはいったが・・・・・・」
 ワ・シン・チュウは葉巻を持った指をゆっくり動かして、テーブルの上に灰を落とした。
「お前は取り払えという言葉を追い出せと理解した。だから私の命じた通り、あの娘をアパートから追い出した。つまり、お前は私の命令を忠実に実行した。おまえにミスはないというわけか」
 そこまで言い終わると、ワ・シン・チュウはこぶしを振り上げ一気に振り下ろした。テーブルの上にこぼれた灰が飛び散り、ドンッという大きな音でロンの肩が一瞬ビックと動いた。
「よくわかった。これはミスではない、言葉の解釈の違いだ。そうだな、ミスター・チャン、それでは二度とそういうことが起こらないよう、もう一度、お前でも理解できる簡単な言葉でいおう。あの娘を殺せ。ミスは許さん」
 ワ・シン・チュウは葉巻を床に捨て、千切れてばらばらになるまで靴で踏みつけた。
「わ、わかりました。すぐにでも・・・・・・今日中に実行します」
 ロンは床の上に練りつけられた葉巻の吸殻を見て、一瞬生唾を飲み込み、少し上ずった声で返事をした。
「今日中! それはすばらしい! 私は今日、香港の命令でむこうに帰らなければならない。戻ってくるのは水曜日になる。だから次に会うのは水曜日ではなく木曜日だ。その日までに香港にオーダーを送って、あの娘もあの世に送られてることを期待している」
「わかりました。すぐに実行します」
 ワ・シン・チュウは、ロンの返事を聞くと椅子から立ち上がり、「次のミーティングは木曜日、いつもの時間だ」と言い残して部屋を出て行った。

 


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「インスペクター101から102 へ。ブラックカーがスタートした」

「10-4、ここで待ちます」

 数秒後、黒いキャデラックが姿を現した。クレイストリートを左折し、坂を下ってカーニーストリートを再び左折した。キャデラックはブロードウェイストリートに入りトンネルに向かっている。

「インスペクター102から101へ」

「こちら101」

「獲物はブロードウェイーを西にむかってます」

「10-4、こっちはサクラメントストリートの公園だ。ブラックのサテンのジャケットを着た連中と何か喋ってる」

「10-4、チャンネル2でしばらくそのままでお願います」

「10-4、チャンネル2に行く」

 私はスイッチをチャンネル2に切り替え、キャデラックを追った。今、私の獲物はブロードウェイトンネルを抜け、ヴァンネスアベニューを横切った。フランクリンストリートを下ってロンバートストリートを左に曲がり、ハイウエー101号線に向かっている。

「102から101へ」

「はい、101」

 ジョンの声がすぐに聞こえた。

「いま、ハイウエー101です。獲物はもうすぐゴールデンゲートブリッジを渡ります」

「10-4。やつの車に張り付いてるんだぞ。終点まで見失うな。 こっちの獲物はいま、マーケットストリートの南に向かって飛ばしてる。やつの行き先は、たぶんピア48(48番埠頭)だな」

 ”テンフォー"のメッセージをジョンに伝え、それから15分後、ゴールデンゲートブリッジを渡ってサンフランシスコの北部に位置するマリン郡に入った。キャデラックはハイウエー101号線をさらに北に向かって進んでいく。サウサリートを過ぎてリチャードソンベイブリッジを渡り、ハイウエーの途中で右折してセミナリードライブに入る。尾行されていることには全く気がついていないようだ。キャデラックはゴールデンゲートバプティスト神学校を通り過ぎてストロベリーポイントに着いた。

 

 私の獲物はまだ走り続けている。ハリウッドの映画俳優やアーティストの屋敷がある高級住宅街を抜け、トップサイドドライブに沿ってしばらく走ったところでやっと止まった。私はシボレーをキャデラックの運転手から見えない場所に駐車し、車から降りて道路の曲がり角まで歩いていった。角からそっと覗き込んでみると、キャデラックは数メートル先のガレージに入っている。私はシボレーに戻り、無線でジョンを呼び出した。

「こちら102。終点まできました。ミルバレーのストロベリーポイントにいます。車がガレージに入ってるんですが、たぶん獲物は家の中だと思います」

「そんなとこまで行ったのか。わかった。今日の仕事が終わって家に帰ったんじゃないか。おまえも戻って来い。わたしのほうはピア48から出てきて、今、チャイナタウンに向かってるとこだ」

 

「10-4。今から戻ります。シティ(サンフランシスコ)に帰ったら連絡します。チャンネル2クリア」

 帰り道は交通量も少なく、観光客気分で運転することができた。追いかける獲物はいない。前方ばかりに気をつかわなくてもいい。リチャードソンベイを眼下に眺め、眠れる美女の異名をとるタマルパイス山を背後に、ミルバレーの閑静な住宅地に建つ洒落た家並みをを眺めながら、ゆったりした気分でドライブを楽しんだ。やがてシボレーはハイウエー101号線に入り、20分ほどでゴールデンゲートブリッジにさしかかった。私は橋の途中で無線を入れた。
「102から101へ、チャンネル2でどうぞ」
「こちら101。今どこだ?」
「サンフランシスコに向かってます。そちらはどんな具合ですか?」
「やつはワシントンの事務所にいるよ。パパの事務所だ。今、ワンブロック先に車をとめて見張ってる最中だ。戻ってきたら、わたしと一緒にチャイナタウンをちょっとの間クルージングしないか?」
「はい。10-4、そちらに行きます。チャンネル1に戻ります」
「OK」
 ジョンが答えた。続いて、チャンネル1から本部を呼び出した。
「こちらインスペクター102。、私になにか連絡はありますか?」
「そちらの仕事が終わったら本部に戻ってください。インスペクター42からの連絡です」
「10-4。今から101と合流して、しばらくチャイナタウンを回ります。それが終わったら本部に戻ります」
「10-4。42に伝えます」
 シボレーはゴールデンゲートブリッジを渡って、サンフランシスコの町に入り、ユニオンストリートに向かった。信号待ちをしているとき、前方に花屋が見えた。
『花でも買って行こうか。マコトが喜ぶかもしれない』
 ふとそんなことが頭に浮かび、その店に立ち寄って赤いカーネーションの小さな花束を買った。花屋を出て車に戻り、後部座席に花を置いてエンジンをスタートさせ再び車を路上に戻した。花屋から数メートル離れたところで本部から緊急無線が入った。
「付近を巡回中の全ユニットへ。セントラル地区、レブンワースストリート。チェスナットとロンバートの間。銃撃ありとの通報を受けた。被害者は2名、路上で倒れている。現場に向かえるユニットは至急応答せよ!」

無線を聞いたとたん、胃を押さえつけられたような嫌な感覚に襲われた。 数台のパトカーと私の知らない二人の捜査官が応答し、現場に向かっている。早くそこに行けと、何かが私に命じた。

「容疑者は車から発砲、レブンワースとチェスナットの交差点の先で女性が二人、倒れている。容疑者の車はブラックのクライスラーセダン、プレートなし。容疑者はアジア人の男3名、グリーンウィッチに向かって逃走中」

 通信室から繰り返し容疑者の情報が流れてくる。パトカーと捜査官が現場に到着したという無線が入った。こんなところでのんびり走っている場合じゃない。
 急がなければ。
 早く行け! 
 早く行け! 
 コード3! コード3!

 レッドライトを点滅させサイレンを撒き散らして、進路をふさぐ車を脇に追い立てるように、起伏の激しいストリートを猛スピードで飛ばして現場に急いだ。途中で容疑者が乗っている車と出くわすかもしれない。反対車線にも目をやりながらハンドルを握っていたが、ブラックのクライスラーには出会わなかった。現場が近づいてきたのでスピードを落とし、周囲を確かめながら運転していると、私を呼び出す無線が入った。

「インスペクター102、インスペクター102」
 誰かが私のナンバーを呼んでいる。
「こちら、インスペクター102、どうぞ」
「君はオニール捜査官?」
 相手は私の名前を言ったが、まったく聞いたことのない声だ。
「10−4」
「至急、現場に来なさい。場所はレブンワースとチェスナットの交差点、大至急」
「10−4。現場にむかいます」

 なぜ私が?
 胸騒ぎがさらに倍増している。
 悪い予感が現実になるのではないか・・・・・・

 


※コード3:救援要請、レッドライトとサイレンを使え


通報をうけた交差点周辺には、レッドライトを点滅させたパトカーが数台とまっている。交差点で野次馬の整理をしている警官をつかまえて、誰が私を呼んだのか尋ねた。
「あそこの救急車です。中でクイン捜査官が待ってます」
 私と同年代くらいの警官は、救急車の止まっているほうを指で指し示した。道路の角にレッドとイエローのライトを点滅させている救急車が、後ろのドアを開けたままで止まっている。私は急いで救急車まで走っていった。
後ろのドアから中を覗き込むと、メイリン・チャンがストレッチャーの上で横たわっている。車内にはブラウンのスーツを着た捜査官とマコトが座っていて、二人は何か話をしていた。

「あの、ブライアン・オニールです」
「ああ、私はビル・クインだ。君を呼んだのは彼女なんだが。えっと、ミスタチバナ。この人で間違いないね」
 捜査官がマコトに聞くと、彼女は小さくうなずいた。私はマコトの顔を見た。
「何があった?」
 小さな声でマコトに聞いたが彼女は何も答えなかった。顔面蒼白で涙の跡がしっかり残っているマコトをみれば、彼女の身に何かよくないことが起こったことは誰の目にも明らかである。
「私たちは友人ですが、彼女たちに何があったんですか?」
 クイン捜査官に訊いた。
「馬鹿な連中の射撃ごっこに巻き込まれたんだ。彼女の話では、学校帰りにこの友人と歩いていたら、突然車が近づいてきて、銃を撃ちまくって走っていったそうだ。 他の目撃者からの話では、車種はブラックのクライスラーで乗っていたのはブラックのサテンのジャンパーを着たアジア人の男が3人。 後ろに座ってた男が手当たり次第に撃ちまくってたらしい。道路に薬莢が散乱していたが、たぶん、使ったのは Uzi か Mac-10 だろう」

 銃撃を受けた! なんてことだ! 悪い予感はこれだったのか!

「それで、友人のほうの怪我は?」
 私はメイリンに視線を移して尋ねた。
「太ももに弾がかすってるが命に関わるほどの重症じゃない。今はそのショックで気絶してるだけだから大丈夫だよ」
 クインは横たわっているメイリンのほうを見ながら言った。

「あの、クイン捜査官。今、少しだけ外で話せますか?」
「わかった。今、降りる」
 そういうと、クイン捜査官は救急車からおり、車から数メートル離れたところまで歩いていった。

「すみません、彼女に聞かれたくないんで」
「何かそういう話でもあるのか?」
「ちょっと気がかりなことがあって」
 私はマコトのアパートの落書きについてクインに話した。
「だから、ひょっとしたら、これは無差別の乱射じゃなくて、ターゲットは無事だったほうの女性じゃないかと」
「なるほど、そういうことがあったのか」
 クインは数回うなずき、それから私の顔を見た。
「ところで、君はいつ捜査課に入った? 私とはシフトがちがうのかな? 今まであったことがないが」
「2週間ほど前です。署長の決定で、今、ギャラガー警部と仕事してます」

 そういうと、クインはすこし驚いたような声で、「ああ、君がそうか! 捜査官になるには若すぎると思ったが、君が最年少の捜査官か。うわさは聞いてるよ。ずいぶん優秀だという話じゃないか。私は殺人課のビル・クインだ。今後ともよろしく」
 クインが手を差し出したので軽く握手した。
ギャラガー警部と仕事してるそうだが、まぁ、私としては、彼のやり方にはあまり賛成できないがね。でもまぁ、彼から学ぶことは多いはずだ。がんばりなさい」

 自分の上司を批判されても反論はしなかった。確かにギャラガー警部のやり方には賛成しかねる部分もある。
「わかりました」と答えると、クインは私の肩を軽く叩いた。
「さぁ、救急車に戻ろう。ケガをした子は今からセントフランシスコ病院で手当てしてもらう。ミス・タチバナは話は終わったから、帰ってもらってもいいよ」

 私とクインは救急車に戻り、私は無表情でメイリンを見つめているマコトにそっときいた。
「大丈夫か?」
 マコトは黙って頷いた。
メイリンは病院で手当てしてもらうから心配しなくていいよ。君は、家に帰るか?」

 彼女が頷いたとき、涙が流れ落ちていった。マコトは意識のないメイリンをそっと抱きしめ、メイリンポートフォリオをもって救急車からおり、私のシボレーに乗り換えた。彼女は一言も口を聞かない。外の景色を見ることもせず、鼻をすすりながら下をむいていた。

アパートに向かう途中でジョンを呼び出した。
「インスペクター101、そこにいますか?こちらインスペクター102。101、応答願います」
「はい、101、何があった? 無線でお前のナンバーが呼ばれてたが」
「今、隣に一人乗せて、10−10(帰宅途中)です。この人をおろしたらすぐ本部に帰ります。今、ここでは話せないから本部に帰ってから話します」
「10−4、こっちはワシントンのオフィスからちっとも出てこないよ。 多分、やつの副業は今日は終わりだな。OK! わたしも本部にもどるよ」
「10−4」

 それから5分ほどでアパートの駐車場につき、バックシートから花束とマコトのポートフォリオをとって、彼女に手渡そうとしたとき初めて気がついた。 
 なんてことを!
 ポートフォリオの両脇には弾丸が貫通した穴がはっきり残っている。もうあと数センチ、弾が内側を通れば、間違いなくマコトに命中していた。
 クソったれどもが!  なんてやつらだ!

 マコトには花束だけを渡し、「大丈夫か?」ときいた。彼女は小さな声で「サンキュー」といって頷き、階段の壁にもたれるようにして上がっていった。

「僕はまた本部に戻らないといけない。ドアはロックするんだ。わかるか、ドアにロック。僕が来るまで誰が来てもあけてはだめだ。僕以外、あけるな。警官にこの付近をよくパトロールしてもらう。言ってることがわかるか? 鍵をかけろ。いいね」
 私は部屋のドアの前で、何度も彼女に言い聞かせた。マコトは「イエス」と答え、中から鍵をかける音が聞こえたので、私は駐車場に戻り、急いで本部に向かった。

 


本部に戻ってから先ず、写真現像室に寄ってカメラの現像を頼んだ。明日の朝にはギャラガー警部の机の上に写真が届いているだろう。それからすぐに捜査課にいくと、警部の姿しかなかったが、数分遅れてジョンも帰ってきた。私は二人にマコトとメイリンの身に起こったことを伝えた。ジョンは眉間にしわを寄せ厳しい表情で話を聞いている。
「ブラックのクライスラーにのった3人組・・・・・・」
 ジョンが何かを思い出すような口ぶりで言った。
「何色の服だって?」
 ジョンは隣に座っている私に訊いた。
「ブラックのサテンのジャンパー」
 と答えると、突然ジョンは自分の腿をこぶしでドンと叩いた。
「クソッタレが!(son of a bitch!) やっぱりあいつらか!」
「どうしたんですか?」
「今日、サクラメントストリートで見た連中だ。ロンと何か話してた。あいつらはあそこで銃撃を計画してたんだ」
「何者なんです?」
「ジョイラックボーイズのメンバーだ」
 ジョンが言った。
「わたしたちの大事な妹をこんな目にあわせて!」
 ジョンの言葉には強い怒りがこもっていた。
「狙われたのはマコトです。やつらは射撃のプロじゃない。だから手当たり次第に撃ったんです。それがマコトじゃなくてメイリンにあたってしまった。マコトのアパートにあった落書きもそいつらの仕業なんだ。あれは冗談で書いたんじゃない。本気でマコトを殺そうとしてる。全部、ロンの命令で・・・・・・」
 腹のそこからロンに対する怒りが湧き上がってくる。

「どうしてだ! どうしてマコトが狙われるんだ? 彼女は何もしてないだろ!」
 ジョンの語気がさらに強くなって、私を責めているような口調で言った。
「理由はわかりません。でもとにかくロンにはマコトが邪魔なんだ。彼女を追い出すだけじゃ十分じゃなかった。そのためなら妹が死んだってかまわない」
「あのクズヤロウッ!」
 握り締めたジョンのこぶしがひざの上で小刻みに振るえている。ジョンの言葉にはロンに対する個人的な恨みがはっきりと感じられた。私の怒りも抑えきれないレベルにまであがってきている。

 そこまで無言で聞いていた警部が初めて口を開いた。
「ロンがメイリンまで殺してもいいと考えていたとは思えん。ただ、自分の手は汚したくない、だからジョイラックボーイズにマコトの殺しを頼んだ、さしずめそんなとこだろう。だが、あいつらに頼めば何をするか、そこまでロンは計算してなかったのかもしれない」
 警部は私とジョンの顔を交互に見て話を続けた。
「あす、私はクインにあって、もう少し聞き出してみる。必要な逮捕状もすべてそろえなければいけないし明日は忙しいぞ。水曜日は、予定通り計画を実行する」
「おい、キース。マコトはまだ生きてるんだぞ。ターゲットが生きてる限り何度でも襲ってくるぞ。今すぐにでもロンをふんずかまえて、ぶち込んだらどうなんだ」
ジョンが警部に詰め寄った。私も同じ気持ちだ。今、この場で、二度と立ち上がれなくなるまでロンをぶちのめしてやりたい。

 警部はしばらく何も言わず、私とジョンをじっと見ていた。
「お前たちの思ってることはよくわかる。私もお前たちと同じ気持ちだ。 ロンは許せない。断じて許すべきではない。だがな、いいか、二人とも、よく聞いてくれ。警官の仕事は、時として犯人に対する怒りと一緒に働くことがある。腹の奥底から沸いてくる強い怒りが警官を動かすんだ。 聖人君子のような警官は私の部下には必要ない。お前たちにとって、ロンは個人的な憎しみの対象になってるだろう。ロンに憎しみをもつのは当たり前だ。それが悪いことだとは言わない。しかし今はビジネスが先だ。 われわれのプランが功をなすように、計画に従って行動してほしい。これが連中への仕返しだ。お前たちの正義をなせ」

 警部は最初に私に顔を向けた。
「同意するか?」
 心の奥底を覗き込まれるような目で見つめられ、思わず「わかりました」と返事をした。私が答えると今度はジョンのほうに向き直った。
「ジョン、お前はどうだ?」
 ジョンはすぐには答えなかった。少しの間、俯いていたが、数回頷くと顔を上げ「同意する」と答えた。

 

10時過ぎにアパートに戻った。マコトは私のベッドで眠っている。彼女を起こさないよう、部屋のライトは消したまま服を着替え、ソファーに横になった。

 

 気が高ぶっているのか、体は疲れているのにまったく眠気がこない。冷蔵庫からビールを持ってきて、ラジオの音量を小さく絞り、しばらくソファーに腰掛けていた。今日の発砲事件のニュースが流れてきた。ニュースキャスターはアジアのストリートギャング同士の銃撃戦で一般市民が巻き込まれたといっている。それ以外の情報は流れなかった。

 水曜日のことを考えた。

『正義をなせ』と警部は言った。今の自分にとって、何が正義だ? 目だけが冴えて頭が混乱し、まともに考えられない。心にあるのはロンに対する憎しみだけ。あいつはマコトを殺そうとした。
『敵は殺せ!』

頭に浮かぶのはその言葉。
 私の体の奥底に潜んでいる血にうえた虎がじじわじわと這い上がってくる。
『敵は食い殺せ』
 この声を止めるものがない。
 これが私のなすべき正義か・・・・・・