雑記帳

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エンジェルダスト(23)

 木曜日。午前9時。
 市役所の裏にある地下駐車場にシボレーをとめ、朝の冷たい空気に包まれたゴールデンゲートアベニューを連邦ビルに向かって歩いていた。
 それにしても、なぜFBIのエージェントに会うのに上等なスーツが必要なのか。理由がわからないが、警部の命令なので、三つ揃いのブラックスーツに薄いブルーのシャツ、ストライプのネクタイをはめ、どこからみても品行方正でクソまじめな青年に化けてアパートを出た。

 連邦ビルはほとんど街のワンブロックを占領するほどの広さがある。アメリカの庁舎は、神殿を思わせるようなボザール様式の建物が多いが、連邦ビルの外観は、連邦政府の庁舎とは思えないモダンなビルである。これは連邦政府の庁舎であることをカモフラージュするために、連邦指令によりそのように設計されたのである。
 ビルの入り口に通じる階段を上がり、警備員にバッジとIDカードを見せ、中に入った。一階は入国管理局のオフィスで、ロビーには、ベトナム、インド、アフリカ、ラテンアメリカなど、世界各国から来た人たちであふれかえっていた。人垣を押し分けてビルの案内板でFBI支局の場所を確認し、エレベーターで7階まで上がった。このビルの他のフロアにもFBIのオフィスが入っているが、7階が受付になっていて部外者は先ずここで用件を伝えなければならない。エレベーターを降りると 床はゴージャスなローヤルブルーのカーペットが敷き詰められていて、ロビーはダークな色合いの木製のパネルで仕切られていた。受付に座っている若い女性は、いかにも良家の子女といった雰囲気がある。私は受付の女性に自分の名前と訪問の目的を伝えたが、彼女はまるで顔面の筋肉が張り付いてしまったようでにこりともしない。受付に蝋人形を座らせてどうするつもりだ!
「すこしお待ちください」と蝋人形がしゃべった。
 お待ちくださいといわれてもロビーには腰掛ける椅子もない。すぐに担当者が来るだろうと思ったら、10分待っても20分待っても誰も現れない。

 一時間が過ぎ、やっと組織犯罪の担当者がやってきたが、その間、ずっとロビーに立たされていた。
 まったくなんてところだ!  こんなところで一時間も待ちぼうけを食らわせて、私がアル・カポネじゃなかったことをありがたく思え!

 背の高い男が私の前に来た。金髪で真っ青な瞳。FBIの捜査官というよりはアメリカンナチスのメンバーといた方がぴったりする。
エドガー・ソーンズビーですが、今日はどういった用件でしょうか、オニール捜査官・・・・・・?」
 一時間も待たせておいて、それを詫びる言葉もない。ソーンズビーは最初、私の顔を見ると、全身をチェックするように、ゆっくりと視線を私の足元の方に移動した。まるで私が捜査官だというのは嘘ではないかと思っているようだ。こんな若造が捜査官になれるわけがない、きっとそう思っているのだろう。ソーンズビーは挨拶の握手もしなかった。

「アジアの組織犯罪についてお尋ねしたいのですが、特にサンフランシスコと香港の犯罪組織について詳しい方にお会いできますか」
「それなら私ですね。特にどういったことでしょうか?」
「香港のトライアドと、それからこの男ですが――」
 上着の内ポケットからワ・チュウの写真を取り出してソーンズビーに渡した。気味の悪いワ・チュウの写真を見ても、ソーンズビーの表情は全く変わらない。
「わかりました。それでは私のオフィスで調べてみましょう。どうぞこちらへ」

 ソーンズビーの後について長い階段をおりると、広いスペースをパーティーション(間仕切り)でいくつにも区切ったオフィスについた。ソーンズビーは私に椅子を勧めることもせず、自分だけさっさとグレーのメタルキャビネットの方に行き、その中にびっしり並べられたフォルダーを親指でめくっている。ソーンズビーはしばらくフォルダーを探して、その中から一部を抜き取りデスクの上に置いた。それは薄っぺらなフォルダーで、その中から小さな写真のついた書類を一枚抜き取って私に見せた。
「この男ですか?」
 私は写真を見た。スキンヘッド、そり落とされた眉、皮膚病を患ったような顔。
「間違いないです。この男ですね。何者ですか?」
「名前はワ・シン・チュウ、香港からきたトライアドの工作員で14Kのバンガード(先導者)です」
「この男は、最近、何かたくらんでるとか、目立った動きがありますか?」
 私が質問すると、ソーンズビーは無表情で首を横に振りながら「それは言えませんね」と愛想のない返事。
「捜査中の事件は口外しないという規則ですから。それにしても、どうしてこの男に関心がおありなんですか? この写真は最近撮ったんですか?」
 ソーンズビーは私が渡した写真を見ながら言った。
「捜査中の事件は口外するなという決まりですから、私もそれは言えません。ファイルを見せていただき、どうもありがとうございました」
 私がそういうと、ソーンズビーは何も言わず、写真を私に返し、フォルダーをもってキャビネットの方に行ってしまった。彼の態度にむかついたので、礼も言わずにすぐにオフィスを出て階段を一気に駆け下り、ビルの外に出て先ずは大きく深呼吸した。

『嫌なやつだ!』
 駐車場につくまでずっと心の中で怒鳴りながら歩いていった。


 むかつく連邦ビルを後にして、カスタムハウス(税関)のあるフィナンシャル地区に向かって車を走らせた。

 カスタムハウス連邦政府の庁舎に特有の歴史的建造物をモデルにしたようなクラシックな雰囲気を持った建物である。
 ここの職員の応対もFBIと大差はなかった。サンダースという名前のテキサスなまりで話す60才くらいの職員にワ・チュウの写真を見せてたずねたが、こんな男は見たことも聞いたこともないと言われた。何をたずねても 首をかしげて「さぁ?」では取りつく島もない。自分の年金がたまるまで、ただ椅子に座ってるだけの職員に何を尋ねても時間の無駄。私はすぐにカスタムハウスを引き上げた。

 駐車場に戻る途中で警部から無線が入った。イタチのジョーからの通報で、彼の仲間が1週間ほどまえにモントゴメリーストリート44番地にあるビルの前でワ・チュウのリムジンを見かけたらしい。本部に戻る前にそこに立ち寄ってくるよう指示された。

 私はすぐにモントゴメリーストリートに向かい、住所を頼りにそのビルを探した。その住所には40階建てのガラス張りのオフィスビルが建っていた。この中にワ・チュウが立ち寄るようなオフィスがあるんだろうか。
館内の案内板で、このビルの中に入っている企業の名前を調べてみたが、特にそれらしいものは見当たらなかった。ただひとつ、ワ・チュウと関連するオフィスといえば、17階にある「East Asian Research and Development Group(東アジア研究開発グループ)」だけである。
 受付でこの団体のことを尋ねてみたが、3ヶ月前に引き払って、いまは空き部屋になっているという情報しか得られなかった。
 今日の収穫はほとんどゼロ。これ以上立ち寄る場所もないので、本部に戻ることにした。
 それから30分ほどで捜査課のオフィスについたが警部もジョンもまだ本部には顔を出していないようだ。飲みかけのコーヒーカップと灰皿からあふれ出たマルボロの吸殻が昨晩と同じ位置からまったく移動していない。
 私は、先ず、コーヒーカップと灰皿をかたずけ、それから、広東インポートの納品書のチェックに取りかかった。何枚もある納品書を見ながら、黄色い用紙に商品名をすべて書き写した。
 男女の衣類、玩具、帽子、チョコレート、キャンデー、スノーグローブ、お茶、ランプのオイル、めがね、殺虫剤のスプレー、食器類、キャンドル、そのほか、日用雑貨はほとんどすべて扱っている。
「この中の一体どこにPCPを隠したんだろう。税関をごまかせる品物はどれなんだ?」
 心の中で自分に質問しながら、書き写した用紙に列挙された商品名を眺めていた。私はこの中から可能性のあるものをピックアップし名前の下に赤線を引いた。リストアップした品物は4つ――キャンドル、ランプのオイル、お茶、スノーグローブ。ほかにも可能性のあるものは何かないか考えていたら、警部とジョンがデスクの方に歩いてきた。
「今朝はどうだった? 何かいい話はもらえたか?」
 警部が言った。
FBIも税関もマヌケの集まりですよ! 頭の中 空っぽだ!」
 私がすこし怒った調子で言うと、警部はにやっと笑い「そのことはみんな知ってるよ、それで、何か見つかったか?」
「はい、ほんのちょっとだけですが、あの写真の男の名前はワ・シン・チュウ、14Kのボスだってことだけです。ほかにも聞きたかったんですが、捜査中の事件は口外できないといわれました」
「いつものパターンだな。担当者は誰が来た? ソーンズビーか?」
「あ、はい、警部は彼のこと知ってるんですか?」
「ああ、ソーンズビーには何度もあってる。ロースクールを出ても弁護士になれなくてFBIに拾ってもらった男だ」
「法律知っていても、礼儀を知らないんじゃ、幼稚園からやり直したほうがいいですよ」
「マァ、そうカッカするな。彼らも絵本くらいは読める能力はあるからな」
 警部はすこしだけ歯を見せて笑い、マルボロに火をつけた。
「それで、税関のほうは?」警部が訊いた。
「完全にバカです。FBIよりも大バカでした。何にも知らない」
「だから私たちの仕事が増えるんだ、彼らの代わりに動いてやって、早く仕事をかたずけてやらないといけないからな」
 私と警部が話している間、ジョンは半分笑いながら、私がリストアップした黄色い用紙を眺めていた。
「オニール、この赤線は何だ?」ジョンが尋ねた。
「これ、納品書から書き写したんですが、みんな3週間ぐらい前に入荷した品物で、この赤線を引っ張ってあるのは、香港からPCPを密輸するのに、こういうのなら税関をごまかせるかもしれないと思ったんです」
 ジョンは私が書き写した黄色の紙を手にとって 暫く考えていた。
「お茶?」ジョンが独り言のようにつぶやいた。
「はい、PCPのついたマリファナです。
中にマリファナを入れて外側には「お茶」のラベルを貼るとか」というと警部が付け加えた。
「かなり大量のお茶がいるぞ、 マリファナとお茶は、誰でも思いつくアイデアだな、ほかに何がある?」
「あの、キャンドルは、多分、カプセルみたいなものにPCPを入れて、それを蝋で固めたら・・・・・・化学のことはわからないですけど、何かそういう小さなケースにPCPを入れてキャンドルの中に隠すこともできそうです」
「それならできそうだな。サンフランシスコに着いたら、キャンドルを壊して カプセルを取り出せばいいわけだから 簡単だ。 それから、このランプオイルはどういう風にするんだ?」ジョンが言った。
「はい、このランプオイルはクォートサイズ(0.946リットル)のボトルに入っていて、いろんな香りがします。ボトルの中にPCP入れて、ケースからあぶれた半端のボトル、25個くらいがちょうどいいですが、そういう箱に入れたら、税関は半端ものはチェックしませんよ」
「なるほど。ランプオイルか。いまのところ一番可能性が大きいな」
 警部はうなずきながら言った。ジョンが最後に残ったスノーグローブの文字を指差しながら
「これは? スノーグローブ?」
「はい、クリスマスになるとおもちゃ屋でよく見かける置物です。ガラスの玉の中に小さい人形とかツリーとか入っていて、水が入れてあって、それを振ると雪が降ってるように見えるのです」
「ああ、わかった、わかった。昔、クリスマスプレゼントで買ったことがある。それでスノーグローブでPCPをどうするんだ。水の代わりにPCPをいれるのか?」

「そういうこともできるかもしれないです、でも、あの、これって、クリスマス商品ですよね。クリスマスまでまだ8ヶ月もあるのに、なんで今頃 注文したのか・・・・・・それにどこの店に卸したのかもわからないんですよ」
「そうだなぁ、これからの季節にはミスマッチの商品だな。それで、どれくらい仕入れてるんだ?」ジョンが訊いた。
「ひと箱だけです、6かける6の36個入り、これひとつだけです」
 私が答えると警部は白いあごひげを引っ張りながら、デスクの上の納品書をじっと眺めていた。
「とにかくもっと調べてくれ。何か見つかるかもしれない。モントゴメリーの44番地は何かわかったか?」
「特にこれといったものはなかったんですが、普通のオフィスビルで、香港とは関係なさそうな会社ばかりでした。あの、East Asian Research and Development という団体、知ってますか?」
「いや、初めて聞く名前だが」警部が言った。
「ワ・チュウと結びつきそうな会社といったら、これくらいで。受付で聞いたら、一年くらいオフィスをレンタルしていたらしいんですが、3ヶ月前に引き払ったといってました」
「ジョーの話では、1週間くらい前に、ビルの中に入っていくワ・チュウを見かけたといっていたが。どこに用事があったのかはわからんが」
「それなら、帰りにもう一回、寄ってみます。ビルの周りもちょっとしらべてきます」
 警部は「おまえに任せる」というと、引き出しをあけて、中をかき回し、奥の方から幅広のブラックのゴムバンドを引っ張り出し、私に渡した。
「忘れる前に渡しておくよ。明日はラムの葬儀だろ。おまえは葬式は初めてだから持ってないだろ。これはバッジにはめるんだ。喪章だよ」
 警部に言われてはじめて思い出した。明日は金曜日、ラムの葬儀の日だ。
仕事のことが頭を占領していてすっかり忘れていた。明日は朝8時に本部前にリムジンが来て、ジョンは棺の付添い人としてそのリムジンで教会に行き、私は 葬儀の間は車椅子のフラナガン巡査部長の世話役をまかされた。
 午後5時に仕事を切り上げて、モントゴメリーストリート44番地に向かった。あたりはだいぶ暗くなってきて、ブライアントストリートは会社帰りの人たちで 歩道も車道も徐々にやかましくなってきた。
 フィナンシャル地区のメインストリートには駐車スペースはないので、わき道に入り、車を止めて44番地のビルまで歩いていった。ビルのロビーに、警官のような制服をきて胸にゴールドバッジをつけた50代くらいの警備員が立っていた。私は彼に警察バッジをみせ、自分の名前を伝えると、その警備員は元気な声で言った。
「オオ!、捜査官! サンフランシスコ市警の!  あなたの顔、どっかで見たなぁ。ちょっと待てよ・・・・・・、ああ、 そうか、ジョンと一緒にテレビに出た人だよね」
 ぜんぜん知らない人の口から突然、仲間の名前が出てきたのでびっくりした。
「あの、ジョンというと、ジョン・ケリー? テンダーロイン署のフィールドトレーナーのケリー巡査ですか?
「そうそう、ジョンは私のいとこだよ。私はトム・ケリー。昔はね、私も警官だったんだ。今は退職して ここにいるがね。ジョンは元気にしてるかい?」

 何よりも驚いたのは、また違うケリーが登場したこと。
 ショーン・ケリー。トム・ケリー。
 ジョン、ショーン、トム、3人とも大男、おまけに3人そろって市警の警官。ジョンの父親を合わせたら4人。ひょっとしたら ほかにもまだケリー一族のメンバーが市警の中にいるのではないかと思えてきた。
「そうなんですか。はい、ジョンは元気ですよ。今は、本部でギャラガー警部の右腕です」
「オオ、それはすごい出世だ。それで、今日は ここへは何かの捜査かな?」
 私はトムにワ・チュウの写真を見せ、東アジア研究開発団体についてたずねてみた。
「この男なら 前に数回見かけたなぁ。エレベーターで上に上がっていったよ。その団体なら 事務所は17階にあるけど、今は空っぽだよ。何か 私に 手伝えることがあるかね?」
「あの私と一緒に17階まで来てもらってもかまいませんか?」
「10−4!」
 トムは笑いながら 返事をした。一緒に17階にあがり、団体がレンタルしていたオフィスのドアをノックしたが 何も返事がない。
じっと中の物音に耳を澄ましていたら、何か 擦っているような音が聞こえてきた。トムに頼んで 鍵を開けてもらった。
 ドアをあけると、手紙の山が崩れて、ドアの動きにあわせて手紙が床をはっていった。部屋の中には家具類は何もない。ただひとつ 置き去りにされたように 部屋の片隅においてあったのが 電話のメッセージを受信するアンサーリングマシーンだけ。メッセージは何も残っていなかったが、まだそれは機能している。音の主はこの機械だった。
 なぜ、電話だけ残していったのか。私が留守番電話気を調べていたらトムが言った。
「そういえば前に一度だけ、この写真の男がこの部屋に入るのを見たけどね。でも、2〜3分で すぐに出てきたなぁ」
 私はトムの顔を見て尋ねた。
「あの、これからも協力してもらえますか。あなたは今は 退職したけど、まだ警官だ。多分、電話が動いているから、また戻ってくるかもしれない。もし、この男を見かけたら 連絡してもらえますか?」
「オッケー、オッケー! もちろん! いつでも力になりますよ」
 私はトムと力いっぱい握手して別れた。