エンジェルダスト(17)
テンダーロイン署
8:00P.M
*******************************************************************
いつになく静かな夜だった。
フラナガン巡査部長はフロントデスクに座り、防弾ガラスをはめ込んだ窓から外の様子を眺めていた。道路は分厚い霧で覆われ、5メートル先は何も見えない。署内にはブリーフィングルームに警官が二人。ロビーには誰もいない。
『今夜は車の数も少ないだろう』
フラナガンは大きなマグカップに注いだコーヒーを少しずつ口に含み、ゆっくり喉に流し込んだ。
ピーター・フラナガン、60歳。
制服姿のフラナガンをストリートで見かければ、太りすぎで機敏な動きのできなくなった初老の警官という印象しか受けないであろう。しかし、深い海を思わせるダークブルーの瞳は、彼の周りで起こっている全てを一瞬で捕捉する。仕事に対する情熱の炎が瞳の奥で燃えている。テンダーロイン署の夜勤のスーパーバイザーとしての仕事も、あと数年で引退である。彼は頬杖をついてコーヒーを飲みながら、やがて来る引退後の暮らしのことを考えていた。クリアレイクに小さなボートを浮かべて、ビールでも飲みながら、のんびり魚釣りでも楽しもうか――
そのとき、裏口のベルが鳴り、彼の夢は中断された。フラナガンはモニターテレビで誰が来たのか確認した。画面には大柄でスキンヘッドの黒人と、その男を取り囲むようにジェリー・ラム巡査、グレッグ・ゴンザレス巡査、キース・ギャラガー警部の姿が映っていた。フラナガンはインターフォンで中に入るように伝えてから待機房へ行った。
「テンダーロインの花形プレーヤーは、今夜は何を捕まえてくれたんだね?」
フラナガンはギャラガーに言った。
「大きなイベントは何もなかったが、公衆酩酊罪と公務執行妨害で一人引っ張ってきた。名前はオマー・スコット。人種分散型の警察が気に入らんようでね。アジアとラテン民族も人種差別集団の軍門に下ったと思ったようで、ラムとゴンザレスに殴り掛かってきた」
「キース。あんたはどうしていつも短い話を長くするんだ?」
フラナガンが笑いながら言った。
「この黒人はすべての人間を憎んでいるじゃ、味気ないだろ。まぁそういうわけだ。酔いがさめるまで預かってくれ」
スコットの太い手首は二つの手錠で数珠繋ぎにされていた。待機房に入れるために、ラム巡査がスコットの背後に回り手錠をはずしたとき、突然、スコットが背伸びをして両腕を振り上げ左に回転した。スコットの巨大な左こぶしが、ゴンザレスの頭に命中し、その打撃の威力でゴンザレスの巨体が吹き飛ばされ仰向けにひっくり返った。ゴンザレスが起き上がる前に、スコットはラムを軽々と持ち上げ、ボールを投げつけるようにラムの体を壁めがけて投げ飛ばした。床に崩れ落ちたラムをスコットは片手で持ち上げ、もう一度彼の頭を壁にたたきつけた。ギャラガーとフラナガンは、スコットの背後に回り引きずり倒そうとした。しかし、スコットがすぐに振り返り、ギャラガーの首をつかみ、待機房に隣接するインタビュールームのガラス窓めがけて投げつけ、ギャラガーの体はガラスと一緒にインタビュールームに投げ込まれた。
そのとき、異常な物音を聞いた二人の警官がブリーフィングルームから飛び出し、地下の待機房へ走っていった。二人が待機房に来るよりも早く、スコットはフラナガンの咽喉を左手で鷲掴みにし、持ち上げてから右手でフラナガンの顔面を殴りつけた。ガラスの破片で血だらけになったギャラガーが部屋のドアからはいずり出てきたとき、スコットに投げられたフラナガンの体がギャラガーの目の前を滑って行き、奥の壁に激突した。
ギャラガーは立ち上がり、ゴンザレスと一緒にスコットの背中に回り、駆けつけた二人の警官のほうに押し倒そうとした。スコットは背中を押された勢いを利用して二人の警官を突き倒し、側に置いてあった木製の椅子を掴み、高々と振り上げて二人の警官めがけ振り下ろした。
スコットはもう一度椅子を振り上げ、ゴンザレスとギャラガーめがけ振り下ろしてきた。ギャラガーは、ふりかかってきた椅子を両手で掴みスコットから椅子をもぎ取ろうとした。しかし、ギャラガーの額から流れ出た血が目に入り、スコットの姿をはっきり捉えることができなかった。ギャラガーは椅子の攻撃を受け、床に崩れ落ちた。スコットは意識を失ったギャラガーをまたいで立ち、この一撃で息の根を止めるぞ、と思えるほどの勢いで椅子を高々と振り上げた。
そのとき、フラナガンの拳銃が火を噴いた。壁に激突し全身を強く打ったフラナガンは、壁に背中を預けたまま、拳銃をスコットに向けていた。フラナガンはもう一度 引き金を引いた。二発の銃弾はスコットの胸と咽喉に命中し、貫通した穴から血が噴出した。胸に命中した弾丸はスコットの心臓を破壊した。頭上に振り上げた椅子がスコットの手から離れ、と同時に、スコットの巨体が前のめりに倒れた。
フラナガンの手から銃が落ち、彼は意識を失った。キース・ギャラガーとジェリー・ラムの意識も戻らなかった。壁に頭を叩きつけられたジェリー・ラムの耳からは血が滲み出していた。
**************************************************************
午後8時30分
私はタチバナマコトからもらったチャイニーズフードの残りを食べていた。気にかかるのは、メイリンの運転していたフォードマスタング。ナンバープレートに[IMPORT]と書いてあるのをはっきりと見た。タイリー・スコットを乗せて走り去った車に何故メイリンが乗っているのか。あの晩、顔を隠した中国人の運転手は一体誰だろう。メイリンと何か関係があるんだろうか。
しかし今日は、車のことも気になるが、それよりももっと気になることがある。タチバナマコト。風変わりな女の子。思い出すと笑えてくる。男物の服を着て、華奢な腕に大きな腕時計をはめ、一見、男の子のように見えるが、顔はチップとディールのようにあどけない。顔の怪我が治ったら、彼女の目はもっとパッチリするだろう。ケイコさんのような人懐っこいしゃべり方ではないが、彼女の片言の英語がとてもかわいいと思った。公園でたった1時間だけ一緒にいただけなのに、何故、こんなに気になるんだろう。もう一度、彼女にあって、あの片言英語が聞いてみたい。今、私の心から彼女を追い払うことができなくなってしまった。
そのとき電話のベルが鳴った。
「オニールか! 私だ。ジョンだ。いいか、よく聞け! 時間がない。署で何かあったらしい。詳しいことはわからないが、キースとラムとゴンザレス、フラナガンが全員ダウンして病院に運ばれた。彼らを襲った男はフラナガンが射殺したらしい。いまからケイコさんと一緒にカリフォルニア大学病院の外傷センターに行く。私の従兄弟のショーンがお前のアパートに車で迎えに行くから、もうまもなく着くはずだ。ショーンと一緒に病院に来い。いいか、詳しいことはショーンから聞け。いいな」
「わかりました」
ケリーがこんなに息せき切って話したことは今までに一度もなかった。署で何があったんだ。4人も病院におくられた!?
電話をきってテレビを消し、急いでショルダーホルスターをつけ、非番のときに持ち歩いている9ミリのオートマチックをいれた。バッジをズボンのポケットにしまってアーミージャケットを羽織り、部屋を飛出し階段を駆け下りてアパートの前でショーンの車を待った。霧が地面を這うように動いている。ストリートを湿らし町に冷気を運んでいく。
霧の中でサイレンが聞こえた。音は次第に大きくなり、霧の中から赤いスポットライトをつけたブラックのフォードLTDが姿を現し、アパートの正面で止まった。ショーン・ケリーが助手席のドアを開けた。
「さぁ、乗って!」
私が助手席に滑り込むと、車はすぐに発進した。
「病院に行く前にラムの家によって奥さんを乗せていかないといけない、いいね」
ショーン・ケリーとジョン・ケリーは双子ではないかと思うくらい顔がよく似ている。
「はい。あの、一体何があったんですか?」
「詳しいことはまだ聞いてないが、ギャラガーとフラナガンとラムはカリフォルニア大学の外傷センターに運ばれて、ゴンザレスはセントラル救急病院に行ったようだ。今のところ、まだどんな状態かわからない」
車は数分でラムのアパートに到着した。歩道にはお腹の大きな小柄な女性が立っていた。マエ・ラム-――ラム巡査の奥さんである。
私は車から降りて後部座席のドアを開けた。小さな彼女がもっと小さく見える。
「ブライアン・・・・・・」
消えいりそうな声だった。私たちを待っている間、ずっと泣いていたんだ。彼女の頬には涙のあとがくっきり残っていた。私は彼女の腕を支えて座席にすわらせ、なるべくお腹に負担がかからないようにシートベルトを緩めに締めた。
車は霧を裂くように走り、ゴールデンゲートパークの丘の上に立つ病院に着くまで誰も口を開かなかった。
病院に到着すると、ショーンはエマージェンシールームの出入り口のすぐそばに車を止め、私たちは急いでロビーに向かった。ジョンとケイコさんはまだ来ていない。捜査課とパトロール課の課長はすでに到着していた。
私はマエをロビーの椅子に座らせ、それからショーンと一緒に二人の課長のところへ行った。捜査課のデービス課長は暗く沈んだ表情で立っていた。私は課長と握手をして自分の名前を告げた。
「あの、まだどんな具合かわかりませんか?」
私はデービス課長に訊いた。
「まだ詳しくはきいてないが、ギャラガーは脳震盪を起こして右腕を骨折してる。頭と顔をかなり酷くきったらしい。インタビュールームのガラスに思い切り投げつけられたようだ。フラナガンとラムもかなりの重症のようだが、医者はあまり詳しくは教えてくれなかったから今はそれくらいしかわからないんだよ」
「ジョン・ケリー巡査とギャラガー警部の奥さんが、もうすぐ来ると思います。私とショーン捜査官はラム巡査の奥さんをつれてきました」
私が言うと、デービス課長はロビーの椅子にうつむいて座っているマエを見た。彼女は病人のように青ざめた顔で泣いている。
「彼女は妊娠しているのか」
「はい。それで、あの、ラム巡査から前に聞いたんですが、奥さん、もうすぐ予定日らしいんですが。だから、彼女が心配なんですが」
私がマエのことを話すと、課長は私のほうに振り返り、私の肩に手を乗せて言った。
「彼女はタフな男とは違う(she dose not Brian)。だから、彼女のそばについていてあげなさい。もし何かあったらすぐに看護婦を呼ぶんだ。彼女も私たちの仲間だから、彼女をたのむ、オニール巡査。これは命令だ」
「わかりました」と答え、ポリスバッジがすぐに取り出せるように、アーミージャケットの左ポケットにしまった。ちょうどそのとき、警察署長のドン・スコットが到着した。厳しい大自然の中で何年も戦ってきたと思わせるような日に焼けた精悍な顔立ち、指揮官の威厳と品格を漂わせた強烈な印象を与える市警の頂点に立つ人物である。パトロール課のシーハン課長が出入り口のドアまで行って署長に挨拶し、それから、二人そろって私とデービス課長のほうに歩いてきた。二人の課長とスコット署長が話している間、私は後ろに下がって立っていた。
そこへ ジョンとケイコさんがやってきた。私はケイコさんを慰めるつもりでそっと抱きしめた。彼女の目は真っ赤に充血して化粧も取れている。でも今は泣いてはいない。私はケイコさんとジョンに、デービス課長から聞いたことをそのまま伝えた。彼女はギャラガー警部が酷い怪我を負ったときかされても表情ひとつ変えず平然とした顔で私の話を聞いていた。
「あそこに座ってる人、ラムの奥さんね」
ケイコさんはロビーの椅子に座っているマエのほうに顔を向けた。私が頷くと、ケイコさんは「ありがとう」と言って、マエのが座っている椅子まで歩いて行った。隣に腰掛けてマエの背中をゆっくりさすりながら何か話している。
30分が過ぎた。待合室には重苦しい空気が流れている。誰も何も言わない。気の滅入るような沈黙が待合室を支配していた。ジョンとショーンは同じ椅子に座り、時々、二言三言話すだけで、あとはただ黙って床を見ているだけだった。私はケイコさんの隣に座って、マエの様子を見ていた。マエはここに来たときよりも落ち着いてきたようだ。
「ねえ、ブライアン。しってる?」
ケイコさんが口を開いた。
「何をですか?」
「日本にね、どれだけ神様がいるか知ってる?」
「日本の神様? 数えたことないです」
私が答えた。
「あのね、800万もいるのよ。日本書紀という古い本にね、書いてあるの」
「800万ですか。すごいなそれ」
「すごいでしょ。800万のこと、ヤオヨロズって日本語でいうの。たくさんて言う意味。ほんとは800万もいないんだけどね。でも日本にはたくさん神様いるのよ」
ケイコさんは、私の顔を見て、少しだけ笑みを作った。
「ヤオヨロズですか。初めて知りました。日本にはそんなに神様がいるんだ」
「そうよ。たくさんいるの。私ね、こんなことが起こるたびに、いつも神さまに祈るの。もうこんなことはこれで最後にしてくださいって。だけど、神様、きいてくれないのね。沢山いるのに、誰か一人くらい私の願い聞いてくれてもいいのにね」
そういうとケイコさんは、ふいに待合室の天井を見上げた。
「ねえ、ブライアン。クイズ。天井にライトいくつついてるか、当ててみて」
急にそんなことを言うので、私はケイコさんの顔をみた。涙がひとつ、目じりを伝って彼女の髪の毛のなかに消えていった。
そのとき私は気がついた。ライトの数などどうでもいい。彼女はそんなことを知りたかったわけじゃない。ただ上をむいて必死で涙をこらえているんだ。何という強い女性だろう。私は彼女の涙には気づかない振りをしてライトの数を数えた。
突然マエが苦しみだした。
「だれか! 医者を呼んで!」
ケイコさんの叫び声が待合室の沈黙を破った。マエは大きなお腹を押さえて呻いている。ケイコさんは彼女の背中をさすりながら私に言った。
「生まれるわ。分娩室に行かなきゃ。お願い、医者をよんできて!」
私はエマージェンシールームの正面にあるナースステーションへ駆け込み、マエの緊急事態を伝えた。
「あそこの女の人、さっき、救急車で担ぎ込まれたラム巡査の奥さんです。彼女、子供が生まれそうだから、だれか、先生をお願いします!」
看護婦が院内放送を入れるとすぐにブルーのドクタースクラブ(医者着)をきた若い中国人の先生が階段を駆け下りてきて、ナースステーションに来た。胸のネームタッグには「スティーブン・ロウ」と書いてある。かなり若い先生だ。たぶんインターンだろう。
「先生、あそこです」
私はマエとケイコさんがいるほうを指差した。ロウ先生はマエ・ラムのところに行き、彼女の正面にひざまずいて広東語で話しかけた。マエは先生の質問に答えようとしているが、顔が青ざめ話をするのも苦しそうだ。先生はすぐに立ち上がり、看護婦に車椅子を持ってくるよう指示した。車椅子が運ばれてくると、ジョンが手伝ってマエを椅子に乗せた。それからマエを乗せた車椅子は医者と看護婦とともに治療室へ入っていった。数分もしないうちに治療室のドアが開き、ドクターが廊下の椅子に座って待っていた私とケイコさんのところに走ってきた。
「彼女の赤ちゃんはこれ以上待てないそうです。2週間、予定日より早いですが、今から分娩室に運びます。それから、ギャラガー夫人は?」
といってロウ先生はケイコさんを見た。
「はい、私ですが」
ケイコさんが少し不安げな顔で返事をした。
「彼女は元気だから大丈夫です。でも、あなたについていてほしいといってます。これから大きな仕事が始まるから、彼女、心細いみたいで。お願いできますか」
ケイコさんはうなずいて立ち上がり、治療室から出てきたマエの車椅子についてエレベーターに乗り込んだ。
それから20分ほどして、サミュエル院長が待合室に姿を現し、スコット署長とデービス課長が座っているところにやって来た。私とジョンは彼らのそばに立って、サミュエル院長の報告を聞いていたが全てを聞き取ることはできなかった。しかし、聞こえてきた院長の話によると、フラナガン巡査部長の意識は回復したが、鼻と頬の骨が折れている、今晩一晩だけ病院にとどまって、あとは自宅で療養すればいいようだ。ラムは重態でまだ意識が戻らない。頭部に目に見える腫れはないが、頭蓋骨骨折。当分の間、入院しなければいけない。ギャラガー警部は頭と額にガラスで切った酷い傷があって、刺さったガラスは全て除去して縫合は終わったようだ。腕の骨折の手術もたった今、終わったところだと話していた。警部の意識は回復していて、フラナガン巡査部長と同じで、明日には家に帰れるようだ。
院長が立ち去ると、ジョンが署長にセントラル救急病院に運びこまれたゴンザレスの様態を報告した。ゴンザレス巡査は鼻を骨折し、額をすりむいた程度の軽症で、今、テンダーロイン署に戻って報告書を仕上げているらしい。その場にいた全員の顔に少し明るさが戻った。
スコット署長がデービス課長に話しかけた。
「早急に取り掛かってもらいたいことがある。まず、今回の事件の調査にあたらせる捜査官、何人でも構わん。とにかく、君が必要だと思えば人数に上限はつけん。早急に集めたまえ。超過勤務手当てについては心配せんでもよい。それと、射殺された容疑者の検死結果が早く知りたいから、監察医をせかせて、詳しい検死報告書ができたら、ゴンザレス巡査の報告書とあわせて、私のデスクまで届けてくれ。監察医には、とにかく詳しい結果を出せと、署長からの命令だと付け加えておいてくれ」
話し終わると、今度はパトロール課のシーハン課長に命令を出した。
「先に、テンダーロイン署の壊れた場所の修理だ。それと、パトロール警官が足りないだろう。エリアの隅々までカバーできる人数がほしい。足りなければ他の分署からまわしてもらえばいい。この事件の捜査に関しては、私が指揮を執る。タランティーノと彼の飼い犬どもをシャットアウトしたまえ。もし、内部調査課から何か嫌がらせがあったら、私のところに来るようにいいなさい。市警の中で魔女裁判をするような人間は、全員、駐車場の切符切りに回すつもりだ。この事件は私が直接担当する。今回、捜査にあたる警官は、すべて私の直属の部下だ。いいかね、君たちは全員、私の部下だ」
最後の言葉は、スコット署長の周りに集まった警官たちの耳にはっきり聞こえた。
ちょうどそのとき、エレベーターの扉があいて、ケイコさんが飛び出してきた。私たちのところまで小走りでかけてきて、ジョンの顔を見るなり、「おねがい! コーヒーがほしい!」
ジョンはドクターズラウンジから勝手に持ってきた誰かの飲みさしのコーヒーカップをケイコさんに渡すと、彼女は冷めたコーヒーを一気に飲み干した。一呼吸してから、「きいて! ラムに家族が増えたわよ!」
この場にいる全員に聞こえるくらい大きな声で言った。ケイコさんの一声で、場が一気に明るくなった。署長も課長も、何も言わなかったが顔には笑みが浮かんでいた。
「女の子、女の子よ! ラムはパパよ! 名前はケイコ・メイ・ラム! 彼女、私の名前つけたの! ケイコよ! ラムの赤ちゃん、私の名前よ!」
ケイコさんは笑顔でジョンとショーンに話しているが、幾分、疲れているように感じた。
「ラムはどう? 怪我はどうなの?」
ケイコさんがジョンに訊いた。
「ラムなら大丈夫だ。でも、しばらくは入院だと医者が言ってたよ。頭痛が酷いらしいけど心配しなくて大丈夫、すぐに元気になるよ」
「それでキースは?」
ジョンはギャラガー警部の様態をケイコさんに伝えた。話を聞いている間に、彼女の顔から笑顔が消えていった。
スコット署長がケイコさんのそばに来て声をかけた。
「ギャラガー夫人。ご主人の意識が戻ったようなので、もう大丈夫です。奥さん、ご主人のしたことは大変立派です。何か困ったことがありましたら、いつでもお力になりますので遠慮なく言ってください」
「お気遣いいただいてありがとうございます。主人なら大丈夫です。あの人、タフだから。いつも自分で言ってます。誰も私の命をとることはできないって。だから大丈夫です」
ケイコさんは署長に軽くお辞儀をしてから、ジョンの腕につかまってギャラガー警部のいる病室へ歩いていった。
ジョンとケイコさんの姿が見えなくなってから少しの間、署長たちのそばに立っていた。
「そろそろ帰るか。ケイコさんはジョンが送ってくだろ」
ショーンに肩を叩かれたので、出入り口のほうに行きかけたら、スコット署長に呼び止められた。
「君はオニール巡査だね?」
「はい、オニールです」
「君とケリー巡査のことについては聞いたよ。君たちの処分に関しては、内部調査委員会と私とは意見が違うから、そのことに関しては心配しなくていい。君たちのとった行動は実に立派だ。あと数日、待ちなさい。君たちのところに連絡が行くはずだ」
そういうと、署長は二人の課長のいるところへ戻っていった。
「オニール、帰るぞ!」
ショーンが出入り口のドアの前から大きな声で私を呼んだ。
外はひんやりしていた。分厚い霧が病院を包み、地面は雨が降ったように濡れている。歩きながらギャラガー警部たちのことを考えた。たった一人の容疑者に徹底的に叩きのめされて、無様な姿で病院に運ばれて、かっこいいことなど何もない。でも、世界中から、どれだけかっこよくて魅力的なものを見せつけられても、彼らと交換する気にはならない。
-------------------------------------
※Brian (ブライアン)には「たくましい男」という意味があります。