雑記帳

作品倉庫

エンジェルダスト(21)

 朝7時。
 快適な目覚めではなかった。昨晩は妙な夢を見たが所々しか覚えていない。私がいたのはベトナムのジャングル。悲鳴も爆音も銃声もしない。ただ闇だけが支配する世界。誰かが私の名を呼んだ。
「ブライアン、ブライアン、ブライアン・・・・・・」

 突然、私はテンダーロインの路上にほりこまれていた。赤、青、黄色の光線が路上を縦横無尽にはっている。やがて光は赤一色になった。血の色に染まった路上に頭が半分崩れたラムが立っていた。彼は何も言わない。ただ、じっと立っている。私はラムの方へ行こうとしたが、何かが私の足をつかんで、もがいても、もがいても先に進めない。叫ぼうとしても声も出ない。必死で右腕をのばし、左腕を伸ばし・・・・・・
 何かを掴んだと思ったとき目が覚めた。しかし手には何もない。シーツがかなり乱れていたので、夢にうなされながらシーツを引っ張っていたのかもしれない。

 ベッドから降りて窓を開けた。小雨が降っている。窓から見えるコイトタワーは、どんよりとした空を背景に、今日も悠然とした姿でサンフランシスコを見下ろしている。テレグラフヒルの麓にある私のアパートの窓から見える風景はいつもと変わらないのに、どうして人の人生はこんなに早急に変わってしまうのだろう。
 ベトナムで友人の戦死の報告を何度も聞いた。そのたびに、体の中から胃をゆすられているような感覚を覚えた。感情をもたない機械になりたいと思ったことがある。心がなければ悲しみも感じない。

 フラナガン巡査部長のメッセージを聞いてすぐ、ラムの家に電話をかけたが誰も出なかった。続いてジョンに電話した。ラムの葬儀は今週金曜日、聖マリア大聖堂(Saint Mary's Cathedral )で行われるということだ。葬儀の手配は全て市警が行い、詳しいことがわかり次第、連絡するといっていた。ジョンがフラナガン巡査部長から聞いた話によると、ラムは昨日の夕方、突然激しい頭痛に襲われ、30分もしないうちに意識不明の状態に陥った。すぐに救急車で近くの救急病院に運んだが、もう手遅れだった。オマー・スコットの攻撃で、ラムの頭の血管はかなりのダメージを負っていたようだ。通常、このようなダメージは治療不可能で、昨日、ついに頭の血管が破裂してしまった。ラムがテンダーロイン署で大怪我をして病院に運び込まれた日に、ラムの命はもう長くないという話を家族は医者から告げられていたらしい。だからラムの家族は彼を自宅に連れ帰ったとマエが巡査部長に語ったようだ。私とジョンがラムの家を訪問したとき、彼の母親は、ラムは良くなっていると言ったが、あれは私たちを気遣ってそう言ったんだ。
 しかし、いつまでも悲しみに浸っているわけにはいかない。私にはしなければならない仕事がある。一刻も早く解決しなければならない事件が待っている。
 エンジェルダスト――間接的にしろ、これがラムの命を奪った。オマー・スコットもジョンのアバラを一撃で折ったパパス同様、エンジェルダストの影響で人間離れした化け物になっていたのだ。あの大男ジョンですら太刀打ちできなかった。小柄なラムが適う相手ではない。どこの誰がばら撒いているのかわからないが、必ず見つけ出して地獄の天使の息の根を止めてやる。

 シャワーを浴びたあと、コーヒーを飲みながらベッドに腰掛けて、窓から外を眺めていた。出勤する人の流れをみていて、ふと思った。今日からはパトロール警官の制服ではなく私服で出署しなければならない。パトロール警官ならば、制服があるので洋服で悩むことはない。唯一、服を選ぶときの悩みと言えば、どのジャケットを着るか。もちろんこれは天候によって決定されるので、困った時は天気予報に頼ればいい。しかし、私服となると何を着ていけばいいのか。制服のように便利なポケットがたくさんついた服は一枚も持っていない。ビジネスマンのようにネクタイにスーツ姿がいいのか、それとももっとカジュアルなスタイルがいいのか。まさかこんなことで悩むとは。これじゃまるで、デートに行く前の女の子じゃないか。 ワードローブから洋服をあれこれ引っ張り出し、最終的に決まったのが、ジーンズにブラックのタートルネックシャツ、軍隊で支給されたアーミージャケット。靴はブラックのコンバットブーツ。
 洋服は決まった。次は携帯する拳銃。ショルダーホルスターにはどの拳銃を入れるべきか? パトロール警官のリボルバーは重量があるので、こんなものを脇のホルスターに入れて持ち運んだら体の左側に負担がかかりすぎる。勤務中の拳銃は非番の時に携帯している9ミリの15 ショットセミオートマチックに決めた。これならリボルバーより軽いので、ショルダーホルスターに入れて上着を着ても、体の左側がかさばることがない。バックアップガン(予備の拳銃)はワルサーPPK/S 380 キャリバーオートマチックピストル。これはベルトクリップのついた柔らかなレザーホルスターに入れてズボンのベルトに付ければ、良い具合に腰にフィットする。テンダーロイン署の初日に、ジョンから「ジェームズ・ボンドに返して来い」と言われた拳銃だが、それが今頃役に立つとは思わなかった。まだ時間は十分にあるので拳銃のクリーニングをすることにした。

 キッチンのテーブルの上で拳銃を解体し、部品をひとつずつ丁寧に磨いてオイルを塗り、表面がかすかな薄い膜でコーティングされる程度にまでオイルを丹念にふき取る。再び元通りに組み立てて完成品を点検した。それから弾倉のクリーニングに取り掛かった。弾倉は全部で4つ、ひとつはPPK/S。残りの3つは9mmオートマチック。ラウンド(弾)はトータルで51発。すべてホローポイント弾である。クリーニングが終わった拳銃をもう一度チェックした。パーフェクト。これで今日一日中撃っても、途中で故障する心配はない。拳銃を元の棚にもどし、冷めたコーヒーを温めなおしてトーストとコーヒーだけの簡単な朝食をとった。

 

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(SFPD本部のある建物)

 

市警本部はテンダーロインから数ブロック南に下ったブライアントストリート沿いに立っている。道路の混雑状況がわからないので、早めに支度をして1時にアパートを出ることにした。出かける前にもう一度バスルームでシャワーを浴び、ひげの手入れをした。市警では、私服警官も制服警官も顎ヒゲをはやしている。警官はヒゲを生やせと命令でもされたのではないかと思うほど、ほとんど全員が顎鬚を生やしていた。私もそれに習って、最近では顎ヒゲを生やすようになり、バスルームでひげをそるときも顎だけはかみそりを当てなかった。シャワーとヒゲの手入れを終え、朝、選んだ服を着て、拳銃を身につけ、引き出しから皮手袋とIDカード、ゴールドバッジ、手帳を取り出してアーミージャケットのポケットにしまった。手帳にはメモ用紙とフィールドインテロゲーションカードと呼ばれている人差し指サイズのカードがはさんである。このカードは、警官が職務質問などした場合、その人物の情報を記録に残したいと思ったときに書き込むカードで、その日のシフトが終了したとき、仕入れた情報を分かち合うために本部に提出することになっている。

 ブラックのサングラスにブラックのベースボールキャップをかぶり、1時きっかりに部屋を出た。外はまだ小雨が降っている。ラジオの天気予報では雨はまだ数日は続くようだ。これからの季節は小雨のサンフランシスコを歩くのも悪くない。町全体がしっとりした雰囲気に包まれ、雨にぬれた歩道はグリースを塗ったようにツヤが出て、夜になるとライトに反射して黒光りする。

 

 ストックトンストリートのバス停には、中年の中国人の女性と70代くらいの中国人の老婆。ふたりともこぼれおちそうなくらいたくさんの野菜を入れた買い物かごをぶら下げている。他には、学校帰りの小学生と観光客らしき男女が数名。自分はろくでなし(riff-raff)だと、わざわざ宣伝しているような風体の20歳くらいの白人の男が一人。こういう連中は、テンダーロイン、マーケットストリート、ブロードウェイストリート、フィッシャーマンズワーフ辺りに行けばゴロゴロいる。

 

 トロリーバスがバス停に止まると、乗客たちの列が急に乱れた。中国人の老婆がバスに乗ろうとしてステップに一歩足をかけたとき、ろくでなしの白人が無理やり老婆の前に割り込んでバスに乗ろうとした。そのせいで老婆は歩道にひっくり返ってしまい、買い物かごから野菜が全部飛び出して歩道に散らばってしまった。そんなことなどお構いなしに、ろくでなしはバスのステップを上がろうとしたので、私はそいつの後ろから襟首をつかんで引きずり下ろしてやった。突然後ろ向きに引っ張られたので、このバカ者はステップを踏み外し、私が手を離した途端にバランスを崩して勝手にしりもちをついた。

 

「ひっくり返されて、どんな気分だ! また誰かに同じことやりたいか!」

 このバカ(asshole) をにらみつけて怒鳴ってやった。そいつは、「クソッ!  バカヤロー!」と捨て台詞をはいて、私の靴につばを吐いた。しりもちをついた時にしこたまぶっつけた尻をさすりながら立ち上がろうとしたので、私はすぐに背後に回って左手で頚動脈を押さえ、この男の意識が吹っ飛ぶ前に、自分のポケットから警察バッジをだして男の目の前に突きつけてやった。足をばたつかせ、私の左手を外そうと無駄な努力をしているが、すぐに動かなくなった。妙な格好でひっくり返ったばか者のボディーチェックをし、ポケットからIDカードを取り出して、早速、インテロゲーションカードに書き込んだ。

「雨にぬれた歩道は冷たくて気持ちいいだろ。当分そこでくたばってろ!」

 

 バス停のそばにいた人たちが、路上に散らばった野菜を拾って、かごに戻すのを手伝っていた。後から来た年配の男性が老婆を抱えるようにして一緒にバスに乗り込み、空いている席に老婆を座らせた。最後に私がバスに乗ると一斉に拍手が起こった。老婆は「ありがとうございます」と何度も頭を下げている。

「あなた、テレビで見たおまわりさんと違う?」

 バスの中の乗客にそう言われたが、「ノーノーノー」と言って、一番後ろの席に座った。何人かが振り返って私を見ている。本当はすごくうれしかった。なんだかスターになったような気分だ。でも、照れくさい。降りるまで腕組みをして寝たふりをしていた。

 

 

「おい、おまえ!」

 バスから降りたとき、後ろから誰かが私の肩をつかんだ。振り返ると、私より頭ひとつ分大きい20歳くらいの黒人が立っていた。私のすぐ前の座席に座っていた男だ。

「何ですか?」

 私が言うと、その黒人は少しあごを突き出し、「おまえ、調子にのってんじゃねぇぞ!」と私を威嚇した。

 また出たか!    こういう連中はゴキブリのようにどこにでもいる。

「おまえ、テレビに出ただろ。有名になったからってな、なめたまねするんじねぇっていってんだ!」

「私は乗客の安全を守っただけだ! マナーとルールを知らないやつは我慢できないからな。なんならあんたにも教えてやろうか!」

「なめたことぬかすな!    クソガキ(Shut the fuck up!)」

 男が私の襟首をつかみかかってきたので、コンバットブーツで思いっきりむこうずねを蹴り飛ばしてやった。反撃するかと思いきや、「ググゥ」っとうなって、その場にうずくまってしまった。

「クソガキはそっちだろ!  次は骨を折ってやろうか!  手を後ろに回せ!」

 

 今度は私がこの愚か者を見下ろして威嚇した。男は顔をゆがめて下から睨んでいるが、薄笑いを浮かべて立っている私を見て、しぶしぶ両手を後ろに回した。男の後ろに回って、左手で男の両手の親指を強く握って手の動きを封じ、右手で男のボディーチェックをした。武器はもっていない。ポケットからIDカードを抜き取って、男の背中を机代わりにしてインテロゲーションカードに住所、氏名、社会保障番号を書き込んだ。

「聞け! ポンコツ野郎!(Listen you piece of crap) またやったら、次は病院行きだからな。そのあとはおりの中で入院だ。おぼえとけ!」

 

 そのとき、ハワードストリート行きのバスが来たので男を釈放し、私はバスに乗り込んだ。本部に行く前からインテロゲーションカードを2枚も使ってしまった。くだらないことで時間をつぶしてしまった。アパートを早めに出たのは正解だった。

 

 ハワードストリートでバスを降り、クレメンティーナストリートのほうに向かって歩いた。この辺は、小さな工場や倉庫、雑居ビル、100年ほど前から建っているビクトリアンハウスが混在して立ち並んでいる。サンフランシスコがまだ若かった頃はずいぶん華やかで活気に満ちた地区だったが、時の流れとともに、ビクトリアンハウスは徐々に色あせ、それに合わせるように、付近の商店や工場も沈んでいった。

 

 Hall Of Justice の正面に着いたときには雨は本降りになっていた。階段を上がって建物の中に入り、警備員にIDカードとバッジを見せた。セキュリティーチェックを済ませて、捜査課のある2階へ上がるためにエレベーターに乗った。 Inspecter Breau と書いたドアを開けて中に入り、受付の女性にギャラガー警部のデスクをたずねたら、「あそこです」といって、部屋の南側の一番奥を指差した。

 

 ジョンと警部の姿を見つけた。殺人課のセクションの方へ歩いていくと、警部がこちらをじっと見ている。

「どうしておまえまでアーミージャケットを着ているんだ。これじゃ制服だな」

 警部に言われて気がついた。三人ともアメリカ陸軍で支給されたオリーブドラブ色のジャケットにブルージーンズ、ブラックのコンバットブーツをはいている。違いは警部の腕にはめてあるギプスだけである。ジョンと私はお互いの顔を見て苦笑いした。警部は右眉を釣り上げあきれ返ったような表情で私とジョンを見ている。

「明日からはもうちょっと違った格好をするべきだな。まぁ今日のところはしょうがないが、ボーイ、おまえはもっとだらしない格好のほうがいいぞ」

「はい、ボス。わかりました。明日からは浮浪者の格好で来ます」

 私が答えると警部がにやりと笑った。

 

「ところでおまえたち、ミーティングの前にコーヒーでも飲まないか」

 警部は私たちの返事も聞かず、立ち上がってファイルキャビネットの横にある小さなテーブルへ行き、琥珀色の液体がたっぷり入ったプレス式コーヒーメーカーと紙コップを持って戻ってきた。デスクにコップを3つ並べると、ジョンがコーヒーを注いだ。湯気と一緒にヘーゼルナッツの甘い香りが立ち上っている。私とジョンがコーヒーカップを持って椅子に座ると、すぐに警部は仕事の話を始めた。

「デービス課長から話は聞いてると思うが、エンジェルダストに関しては課長もかなり頭を痛めている。地方検事とも協力しているが、いまだに出所も流通経路もわかっていない。それで、おまえたちに捜査の協力を願ったわけだ。私の腕が治るまでドライバーもしてもらいたい。前にも言ったが、過去3ヶ月の間に起こった喧嘩、自殺、殺人事件でPCPが出たのは28件。PCPの血中濃度のレベルはさまざまだが、すでに今日で31件に増えている。これは 非常に危険で恐ろしい薬物だ。私の知る限り、つい最近までサンフランシスコでPCPによって引き起こされた事件は報告例がほとんどない。数年前、オークランドサンノゼであわせて2件。それだけだ。それ以外は聞いていない。とにかく一日も早くこの薬物がどこから来てどうやって広まっているのか、それを見つけ出して叩き潰さねばならない。そこでだ・・・・・・」

 警部はコーヒーを一口すすってから話を続けた。

「二人とも、パパスで経験済みだからPCPの恐ろしさは十分わかってると恩う。それからPCPに関しては、ボーイが調べて資料にしてくれたから、この事件を担当している捜査官と同じくらいの知識はすでに持ってるはずだ。それで、ボーイ。おまえに質問だ」

「はい?  何でしょうか?」

「まず、PCPの起源。次にこれがどうやってサンフランシスコに入ってきたか、おまえの意見を聞きたい」

 警部はマルボロに火をつけ、椅子の背にゆったりともたれた。

 

 捜査官になったばかりの新米に、ずいぶん難しい質問をしてくれる。まるでこれから口頭試問を受ける受験生になった気分だ。警部からPCPの資料を作れと言われたときに、PCPに関する本を読み、質問されても困らないようにある程度の知識は頭に入れてある。PCPのレポートを書きながらいろいろ考えた。自分の意見も持っている。だから、今、自分の立てた仮説を警部に話そうと思った。

 湯気の立った熱いコーヒーを少し飲み、話を始めた。すでに私の作ったPCPの資料は警部もジョンも目を通しているので、化学的な説明は私の仮説に必要な部分のみピックアップして簡単に説明した。

 

 アメリカでは最初、外科用の麻酔薬としてPCPが使われた。1962年に、米国最大にして最古の製薬会社パーク・デービス社が『セルニール』という名前で認可を取って製造販売を始めたが、投与した患者に精神錯乱のような副作用が出て使用禁止になった。それから5年後『セルニラン』という名前で、動物用の麻酔薬に変えて販売したが、これも現在は製造中止になっている。PCPの原形は黄色いオイル状の液体で、それを塩酸ガスや塩酸含有イソプロピルアルコール液と反応させると白色の結晶になり、溶かすと無色透明になる。

 このことから推察して、もしかしたら、パーク・デービス社からPCPの研究開発の依頼を受けたアメリカ国内の小さな研究所が、製造販売が中止された後も、ひそかに作っていたのではないか。私はまず、そのことを警部に話した。

 

「小さな研究所?  アメリカで? それで、そういう研究所はあったのか?」

 警部が訊いた。

「いいえ、いろいろ調べてみたんですが、そういう情報は見つかりませんでした。PCPの合成なら、小さな研究所でもできるのではないかと思ったんですが、これは私の推測が外れたみたいです。でも調べてわかったんですが、アメリカじゃなくてアジアで製造されていたようです」

「アジアで? アジアというと中国あたりか?」

 今度はジョンが訊いた。私はもう一口、コーヒーを飲んでから質問に答えた。

「中国も入ってましたが、これは否定してる団体がいますね。中国以外には、タイ、南ベトナム、香港です。おそらくPCPはこの3つの国から入ってきたんじゃかと思います」

「タイ、南ベトナム、香港か。どうしてそう思う? どうやってここに入ってきたんだ?」

 ジョンが言った。

ベトナムの話ですが、むこうで薬物中毒になった兵士はかなり多いです。彼らが使ってる薬はベトナムでしか手に入らないから、それを隠してアメリカに持ち帰った兵士がたくさんいます」

「GIがベトナムから持ち帰ったか?」

 警部が私に訊いた。

「はい。GIがベトナムからドラッグを持ち帰ったのは本当です。でも、たいていマリファナ(乾燥大麻)です。タイスティックと呼ばれてるやつです。ヘロインやLSDも隠し持ってきたのがいたようですが、せいぜいポケットにしまえるくらいのわずかな量で大量に持ち帰るのは無理です。でも、持ち帰っても、みんな見つかって捕まってしまって、うまくいったのはゼロに近いですね」

 

 私はそこで言葉を切り、冷めかけたコーヒーで口を潤した。警部が指先に挟んでいるマルボロには火がついているが、私が話している間、まったく吸っていない。長く伸びた灰が今にも落ちそうだ。

「ボーイ、おまえ、ベトナムで何か聞いたことはないか。何か他の薬物のことで、誰かが吸ってたとか、何かわからないか」

 警部がそう言ったとき、デスクの上の灰皿に、伸びすぎた灰がうまい具合にぽとっと落ちた。

 

 

ベトナムで、マリファナやヘロイン以外の薬物のことを聞いたことがありますが、あの時はまだPCPという名前はまったく知らなかったから。でも、今思い出すと、たぶん彼らが話してたのがPCPだったんじゃないかと思います。液体につけたタバコを吸うと良いとか、そんな話をきいたことあります。液体につけて、それを乾かして吸うんですが・・・・・・確か、えっと・・・・・・Embalming Fluid(濃度の高い飲み物)・・・・・・そんな名前で呼んでたような覚えがあります。実際にそれを試してみた連中もいたようで、ホルムアルデヒドを吸ったみたいだと言ってたのをきいたことがあります。でも誰が言ってたか、名前まではわかりません」

「なるほど。濃度の高い飲み物か」

 警部があごひげを引っ張りながら独り言のように言った。

「はい、それをよく使ってたのは、黒人とラテン系のアメリカ人のGIでした。白人はLSDマリファナでハイになってました。ドラッグをやらないかわりに、酒でアル中になったのもいました」

 私は警部の顔を見た。口を少しだけ突き出して、髭を引っ張っている。

 

「なるほどな。そうか。黒人とラテン系のGIが持ち帰ったというのも十分にありうる話だ。麻薬課でPCPでつかまった容疑者の記録を見せてもらったが、サンホゼで捕まった容疑者はラテン系だった。オークランドのほうは黒人だ。ドラッグがらみの犯罪は今ではオークランドのほうが圧倒的に多いが、容疑者の半数以上が黒人だ。オークランド警察もPCPがどこから入ってきたか、まだよくわかってないようだ。もっともアメリカ国内に入ってしまえば、国境を越えることなどそれほどやっかいなことじゃないがな。国境の警備員がまともに仕事してるかどうか、怪しいもんだ。そういういい加減な連中を国境に置くから、われわれの仕事が増えるわけだ」

 

 警部はそういうと、火をつけただけでほとんど吸っていないマルボロを灰皿の中でもみ消し、2本目を取り出して火をつけ、吸い込んだ煙をゆっくり吐き出した。 

 

「確かにキースの言うとおりだ。アメリカに入ってしまえばあとはどうとでもなる。それで訊きたいんだが、オニール。もしPCPがアジアから来たのなら、どうやってアメリカに入ったんだ? 今、サンフランシスコで出回ってるPCPは、GIが持ち帰れるようなわずかな量じゃないと思うが。国境の警備員と違って税関はそう簡単にはいかんぞ」

 ジョンが質問した。

「はい、戦地から持ち帰っても成功した例はほとんどないし、大量に運んだらすぐにばれてしまうし。飛行機も船も税関はまともに仕事してますからね。それでどんな方法があるか考えたんですが――」

 

 私がそこまで言うと、警部もジョンも少し身を乗り出してきた。

 

「これだけ短期間でPCPの犠牲者が増えているということは、ある程度まとまった量が入ってきてるはずです。でもベトナムから持ち帰ったとしても、ほんの僅かだから、サンフランシスコでばら撒けるほどの量ではないです。薬物を持ってくるのに、体のどこかにテープで貼り付けるとか、手荷物の中に隠すとか、そんなことをしても税関でばれてしまう。そういう方法で運ぶより船を使った方がもっとたくさん運べます」

 

「つまり、おまえの言いたいことは、コンテナ船のようなものに積んで来たということか?」

 ジョンが私の言いたかったことを付け加えてくれた。

「貨物飛行機という方法もありますが、船と飛行機とどちらが成功する率が高いかといったら、やはり船だと思います。アジアからの輸入品を積んだ船は、ほとんどがオークランド港かロサンゼルス港に来ますよね」

「うん、両方ともハブ港だからな」(※ハブ港:中枢国際港湾

 ジョンが言った。

 

「はい、それで海上輸送のことを少し調べたんですが、陸揚げされたコンテナのチェックが結構いい加減なんですよ。ヤードに搬入されたコンテナは積荷目録を確認するだけで、実際にコンテナを開けて中身までチェックしません。それから、たとえば、そうだな、えっと、砂時計みたいに、中に砂とかオイルとか水とか、何かもっと他の小さいものでもいいですが、壊さない限り中身を出すことができない玩具とか置物とか、そういった類の品物は中の成分までチェックしないから簡単に税関を通過できるんですよ」

「うん、なるほどな。そういう抜け道があるわけだ」

 ジョンが頷いた。

「PCPは液体にもなるし固体にもなるし、もしもPCPが今言ったような商品に化けて入ってきたら、たぶん税関は見逃してしまうんじゃないかと思います」

 警部は腕組みをして黙って聞いている。

「あの、警部。ちょっと質問してもいいですか?」

「なんだ?」

 警部が言った。

「私は警察に入ってまだ日も浅いし、ドラッグの世界のことはよくわからないんですが、ここ数年の間でドラッグをさばいていた元締めっていうのは誰だったんですか?」

 私が聞くと、警部は「いい質問だ」といって、コーヒーで口を湿らせ、椅子に座り直してから話し始めた。

「我々がつかんでいるのは、イタリアンマフィアのジミー・ランザ。父親のフランチェスコ・ランザの跡をついで2代目のドンになった。それから、トニー・リマ、マイケル・アバッティ。ジミー・ランザはニューヨークの5大ファミリーとコネクションを持ってる。ラスベガスにもコネがあってカジノからファミリーに金が流れてきてるようだ。ランザの資金源は売春、高利貸し、カジノ、麻薬。ランザが扱ってるのは、ヨーロッパから入ってくるヘロイン、南アメリカからのコカイン、あとはメキシコのマリファナだ。それ以外の薬物は、おそらく東海岸、ほかのファミリーから流れてくるのもあるかもしれない」

 

 警部はそこまで言うと、メガネをずらして、親指と人差し指で鼻の付け根をはさむようにして目頭を強く押さえた。頭痛がするんだろうか。少しつらそうに見える。

「あとは、ヤクザだな」

 警部は目を押さえたまま言った。

「ヤクザって何ですか?」

「日本のマフィアのことだ。自分たちのことを仁侠団体(chivalrous organizations)と呼んでるらしい。日本の大阪に本部があるタナガワファミリーというのがベイエリアに入ってきてるが、ここでは小さな組織だ。ベイエリア支部を仕切っているのがタナガワサムル。ファミリーのメンバーからはサミー・タナガワと呼ばれている。父親がファミリーのドンだ。日本の東京あたりで、売春、麻薬、パチンコ、銃の密輸とかなり手広くかせいでるらしいが、ベイエリアじゃおとなしいもんだ」

 

 警部はマルボロを取り出して口にくわえ火をつけた。タバコで一服してから警部は話を続けた。

「リトル大阪にミカドホテルというのがあるだろ。このホテルの権利もサミー・タナガワが持ってるようだが、ホテルの経営のほうはファミリーのメンバー以外の人間にやらせてるらしい。ロスにも支部があるが、ロスのほうは麻薬、売春、恐喝、人身売買にも手を染めてるらしいが、これはサミーのスタイルじゃない。サミーが最近手を出してるのが、不動産、これは今のところ法に触れるようなことはしていない。それ以外には、観光客相手にコールガールの斡旋業もはじめたらしい。ラスベガスに来る”Whales" 相手に商売しているようだ」

「Whale ? クジラ? なんですか、それ?」

「われわれの業界用語だ。Whale はクジラじゃない。こういう世界じゃ、”カジノで大金を賭けるやつ”って意味だよ。おまえも捜査官になったんだから、こういうアンダーワールドの言葉も覚えないとダメだぞ」

「はい、勉強します」

 私が言うと、警部は口元に少しだけ笑みを浮かべた。

「明日、サミーに会って、少し話を聞いてみるつもりだ」

 警部が言った。

「あの、サミー・タナガワを知ってるんですか?」

「ああ、彼は私の道場の生徒だよ」

「ヤクザが?  ヤクザが習いにくるんですか?  警部の道場に?」

 思わず声が大きくなってしまった。

「道場のルールさえ守ってくれれば誰が来たってかまわんさ。サミーはなかなか筋がいいぞ。そのうち機会があれば彼と手合わせでもするか?」

 警部は私の顔を見て、少しだけ歯を見せて笑った。

 

 

「ところで、キース。トング(チャイニーズマフィア)のほうは最近はどうなんだ?」

 

 ジョンが訊いた。

 

「ああ、トングか。トングなら今じゃ、弱体化の一途をたどってるよ。相変わらず、縫製工場や賭博場、雀荘をコントロールしてるようだが、縫製工場の労働者は哀れなもんだ。低賃金で強制労働だからな。ところで、ボーイ、サッターストリートにある”Forbidden City(紫禁城)”というナイトクラブを知ってるか?」

 

 警部がタバコをもみ消しながら私の顔を見て言った。

 

「いいえ、知りません」

 

「トングが経営してる店だ。そこで働いてる若いダンサーやシンガーはみんな借金の肩代わりに無理やりつれてこられた娘ばかりだ。トングから借りた金が返せなければ、娘の体で返せというわけだ。売春を強要されても、誰一人文句も言わない。警察にも裁判所にも言わない。それが家族のためだと思って、何をされても文句も言わず働いてる。彼女たちはいずれ家に帰れると思ってるが、そんな希望は薬物でぼろぼろにされて終わりだ」

 

「まだそんなことやってるんですか!」

 

 娘の体で返せ――こんなことは昔の話で、今では映画の中だけのことだと思っていた。警部の話を聞いて、驚きと同時に無性に腹が立ってきて声が大きくなってしまった。

 

 

 

「金、女、クスリ。アンダーワールドの構成要素だな」

 

 警部はフゥーっと鼻から大きく息を吐きながら椅子にもたれかかり、少しの間、何も言わず、大きなガラス窓から外を見ていた。警部はもう一度、大きく息を吐くと、視線を私に向けた。

 

「それから薬物のことだが、トングが関わってるのは最近ではアヘンの売買だけで、ほかの薬物には手を出していないようだ。彼らは自分たちのコミュニティー固執してるから、アヘンの売買には、おそらく黒人は関わっていないと思う。トングは黒人を毛嫌いしてるからな。ビジネスに黒人が関わることはまず考えられん。ただし、トライアド (三合会)は別だ」

 

「あの、トライアドとトングって、どっちも同じチャイニーズマフィアじゃないんですか?」

 

「何だ、オニール。同じだと思ってたのか。それは違うぞ。トングはアメリカに移民で渡って来てここに根を下ろしたチャイニーズアメリカンの犯罪組織で、トライアドは香港系のマフィアだ。一緒じゃないぞ」

 

 ジョンのあとを警部がつなげた。

 

「ジョンの言うとおり、二つの組織は別物だ。トライアドは香港から入ってきた香港スタイルの犯罪組織だ。この組織は、犯罪と名のつくものなら何でもやる。暴行、脅迫、放火、殺人、誘拐、収賄、密輸、麻薬、売春、銀行詐欺、ノミ行為(book making)、数え上げたらきりがないが、ありとあらゆる犯罪、刑法のテキストに出てくる犯罪すべてだ。ドラッグの取引でも売る相手は誰でもいい。中国人コミュニティーだけを相手にするトングとはそこが違う。トライアドのディーラーが相手にするのは、黒人だろうが、アジア人だろうが、メキシコ人だろうが、誰でもかまわない。要は、売って金が入ればいいわけだ。この連中には罪の意識などかけらもない。もっとも、罪を悔いるような心でもあればマフィアなんかにはならないだろうがな。とにかくこの連中は、自分の利益のためなら眉ひとつ動かさず人を殺せる」

 

 警部の声が次第に低くなり、これから重大な秘密を打ち明けるような話し方になってきた。

 

「現在、サンフランシスコを拠点にしている組織は、14K、華青(Wah Ching)、ジョーボーイズ(Joh Boys)、この3つの組織の資金源は香港で、今ではトングを押さえつけて強大な犯罪集団に成長している。彼らは構成員を増やすために地元のストリートギャングリクルートしてるようだ」

 

「まったく厄介な連中だ」

 ジョンが独り言のように低い声で言った。

「なぁ、キース。おまえはどう考えてるかわからんが、オニールの話ではアジアからPCPが流れてきたかもしれないって事だから、手始めに、中国マフィアのアジトがあるチャイナタウンから調べてみたいと思うんだが」

 そういうと、ジョンは私のほうを見て、言った。

「オニール、おまえはどう思う。結構いい勘してるからな。チャイナタウンから捜査を始めるってのはどうだろう?」

「はい、私も同じこと考えてました。あのニューイヤーに飛び降りた男、えっと、名前は、確か、ケビン・ワシントン。テンダーロインでパトロール中に会ったPCPの犠牲者の中で、チャイナタウンに関連するような証拠を残したのはあいつだけですよね」

「ああ、あの札束に書いてあったChinese の最初の4文字か」

 ジョンが尋ねた。

「はい、でも絶対 "Chinese "だって確証はないですが、このアルファベットはチャイナタウンでよく見かけるから、チャイナタウンを調べたらケビンにつながる何かが出てくるような気がします。それから赤いマスタングですが――」

 そこで少し頭を整理するために話を中断したら、警部が私のほうに身を乗り出してきた。

「続けなさい。その車がどうした」

 警部が言った。

「あのマスタング、パトロール中にテンダーロインで3回見かけました。3回目に見たときは、ドライバーはドラックディーラーとしゃべってたし。もし、あのドライバーがロン・チャンなら、仕事が終わって夜になったら、あの車でテンダーロインまで来て、ヤクの取引をしてたのかもしれないし・・・・・・そういうことなら、ロンが金をたくさん持ってるとマコトがいったことも納得できるし。あるいはほんとうにギャングのメンバーかもしれない。あ、それに、ケビンが飛び降りたアパートもマスタングを見た場所もテンダーロインだから、あのドライバーのことを調べたら何かわかるかもしれないと思うんですが。それで、もしできるなら、私はロン・チャンを追ってみたいんですが」 

 警部は大きく頷いた。

「よし、わかった。私も二人の意見に同意する」

 それからジョンのほうに顔を向けて言った。

「ボーイがロン・チャンを調べたいといってるが、ジョン、どう思う?」

「わたしはこいつの勘を信じるよ。案外、そっちが突破口になるかもしれないな」

「そうか、それなら意見が一致したな。よし、じゃ、この線でスタートする。もしも間違ってたら、また最初に戻って別の方法でトライだ。いいな。二人とも」

「オッケー!」

  ジョンが元気よく答えた。 

 警部はカップに残ったコーヒーを一気に飲んでから、ポケットから手帳を取り出した。

「ロンを調べたいんなら、広東パシフィックインポートのアドレス、ちょっと控えておいてくれ。事務所はワシントンストリート 880、チャイナタウンに店があって、住所はストックトンストリート 1022、ここは食料品から洋服、インテリア雑貨まで、アジアからの輸入品を何でもあつかってる雑貨屋だ。それから、倉庫はサードストリートのはずれのピア48(48番埠頭)にある。あと、チャイナタウンのクレイストリートを上がったところにアパートがあるが、ここも広東インポートが所有してる」

 私は手帳にアドレスを書き込んだ。クレイストリートのアパートにはマコトが住んでいるが、捜査の話とは関係ないのでマコトのことは伝えなかった。

「店の周辺を回ってたらマスタングを見つけるのは、それほど難しくないだろう。それで今夜、ボーイにやってほしいことは、ロン・チャンがどこへ行って誰と会ったか。それから、彼のラップシート(犯罪記録)とマスタングの登録証のコピーをもらってきてほしい。今夜の仕事はこれだけだ。おまえの車は・・・・・・ちょっと待て」

 そういうと警部は立ち上がって、デスクの横にあるキャビネットの中から鍵がたくさん付いたキーホルダーを取り出し、その鍵束の中から一本外して私に渡した。

「ほら、おまえの車はシボレーノバ クーペ。ジョンは、私の代わりにフォードLTDを運転してもらいたい」

 警部はジャケットのポケットからフォードの鍵を取り出してジョンに渡した。ジョンが受け取った鍵をポケットにしまうのを見ていたら警部が私に言った。

「ボーイ。何だ、その浮かない顔は。シボレーじゃ不服か?」

 フォードのほうが大きくてかっこいいと思っていたので、警部に心の中を見抜かれて少しびっくりした。

「シボレーはおまえのようなアクティブガイにぴったりだぞ。V8 エンジン、ヘビーデューティトランスミッション、あとでトランクを見てみろ。ショットガンとM−16、最新型のラジオを積んである。どうだ、ホットアイテム満載だろ」

 警部はにやりと笑った。ジョンも目が笑っている。

「私とジョンは今日は退屈な仕事だ。今から市役所へ行って、広東インポートの納税証明書のチェックをして、ワシントンストリートの事務所を少し探ってみる。そのあとはブロードウェイストリートでマフィアの情報を聞き出してくるつもりだ。タレコミ屋を数人つかまえてるからな。それじゃ、9時30分になったらここに戻って来い。もし何か見つけたら連絡してくれ。いいな」

「わかりました」

 私が返事をすると警部はパンと軽くデスクを叩いて立ち上がった。

「よし!  それじゃぁ、出かけるぞ!(Okidoki! Let's go!)」

 

 

 

 

 

 

 

 

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※トング(The Tongs)は 在米中国人の犯罪組織。The triads(三合会)は香港を拠点とする犯罪組織。

※サミータナガワ(仮名)はサンフランシスコにいた実在のヤクザです。SFPDシリーズ第2弾『ビヘッダー・切断』に登場します。リトル大阪はジャパンタウンのこと。この時代、ジャパンタウンにあるレストラン、ホテルのバックにはヤクザがついていました。余談になりますが、観光客に人気のフィッシャーマンズワーフのレストランのバックにいたのはマフィアです。

 おすすめ映画&ブックス

★チャールズブロンソン主演の『ヴァラキ』

オメルタ―沈黙の掟 (ハヤカワ・ノヴェルズ) マリオプーヅォ (著)

★The Chinese Mafia: An Investigation into International Crime  Fenton S. Bresler(著)  

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※ヘロインは大麻大麻を乾燥させたものがマリファナ、LSDは幻覚剤

 

 ※ホルムアルデヒド

毒性の強い有機化合物。粘膜への刺激が強い。現在ではシックハウス症候群の原因のひとつといわれている。

 

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刑事部の入り口で警部達と別れたあと、私は無線室(radio room)に立ち寄ってロン・チャンの運転免許証と車の登録証、犯罪記録のコピーを受け取ってから、エレベーターで地下のガレージへ降りた。

 

 私の車を見つけた。

 2ドアのシボレーノバ。色はブラック。やはりフォードLTDにくらべると見劣りする。ハブキャップはついていないがタイヤは上等だ。トランクには2つに仕切った木製のボックスが入っていた。その中には、レミントンM870(ポンプアクション式散弾銃)、コラプシブルストック(折りたたみ式銃床)を備えたM-16ライフル、予備のラウンド(弾), 防弾チョッキ、バトン、犯行現場の調査に必要なさまざまな小道具、ドギーディナーとハッピードーナツの紙袋、マルボロの空箱、一ヶ月くらい前のサンフランシスコクロニクル紙。警部の言ったホットアイテムというのはこのことか。フューリーのトランクに積んであったゴミ箱がそっくりそのままシボレーに引っ越してきたわけだ。また今回も、警部の言葉に乗せられて上手く誘導されてしまったように感じたが、運転席に座ってエンジンをかけたときは思わず 「オー、クール!」と叫んでしまった。エンジン音がいかしてる。まるでNASCAR のカーレースに出場するレーシングカーのようだ。

 

 

シボレー

 

外はまだ雨が降っている。本部の駐車場を出てセブンスストリートを曲がり、5ブロックほど過ぎてから無線のスイッチを入れてチャンネル1にあわせ、司令室を呼び出した。

「インスペクター102です。現在、10-8 (任務遂行中)、何かメッセージはありますか?」

「こちら司令室、インスペクター102 10-8、メッセージはありません(No traffic)」

 

 車がテンダーロイン地区に入ったとき、なんだか自分の家に帰ってきたような気がした。時刻はまもなく5時になる。ライトをつけて走っている車の数が増えてきた。テンダーロインの店にもそろそろ灯りが灯りはじめた。レストラン、バー、映画館の派手なネオンが、濡れた歩道に反射して、光のあたった部分だけが超現実的で妖艶な美の世界を作っている。少しだけ、雨のテンダーロインをパトロールしてみようと思った。

 

 ギアリーストリートとパウエルストリートには春休みを利用して遊びに来ている観光客らしき若者の姿が目立ったが、それ以外の歩道は雨のせいで人影もまばらである。マーケットストリートにあるケーブルカーの終点には、乗客の長い列ができていた。ユニオンスクエアにある高級百貨店は、出入りする人の流れが途切れることがない。タッドのステーキハウスもも満員だ。

 

 運良く、あの赤いマスタングがどこかに止っていないだろうかと思ったが、探しているときはうまくいかないものだ。私は ギアリーストリートからストックトンストリートへ入り、チャイナタウンへと車を向けた。車の数が少なかったので、渋滞にも巻き込まれず、トンネルの中を雷鳴のようなものすごい音を撒き散らして走り抜けた。トンネルでエキサイティングした後は、時速20マイル(20mph.32km/h)まで落とし、赤い車を探してゆっくりチャイナタウンをクルージングした。

 

 

 ストックトンストリート1022番地には3階建てのビルが建っていた。建物の外壁は薄い水色でペイントされ、宝石店やヒスイの専門店、小さなレストラン、洋品店、ヘアサロンが同じ住所を分かち合っている。ビルの軒先には、『Canton-Pacific Traiding and Import Company(広東パシフィックインポート)』という文字が入ったグリーンのオーニング(可動式天幕)がついている。入り口は開放されていて、店内からもれてくる黄金色の灯りが店頭の客を照らしていた。店の前に車を止めて、周りを探してみたが赤いマスタングはどこにもない。しかたがないのですぐに車を発進させ、ジャクソンストリートに出て、半ブロック先の角を右に曲がり、ちょうどビルの裏側になるロスアレー(Ross Alley) に入り、再び店の前に出るということを3回繰り返したが、私の探し物には出会えなかった。

 

 

 

 雨足が激しくなってきた。歩いている人の数も一気に減ってしまった。もう一度マスタングを探すために、今度はコースを変えて、ロスアレーからワシントンストリートに出て、狭くて暗いスポッフォードストリートに車を入れた。道の脇は空き缶や壊れた木箱、ゴミくずで縁取られている。この路地に入って半分ほど来たところで、赤茶けたレンガ色の建物の前に立っている男の姿を認めた。車の速度をさらに落として、ゆっくりと男に近づいて行った。その男は黒っぽいフェドラ帽を深くかぶって顔を隠し、黒いウインドブレーカーを着ている。上着の背中には白い文字で漢字が二つ並んでいた。私の車が側まで来ると、その男はタバコをくわえたまま、レンガ色の建物の中に消えていった。この建物の窓にはすべて鉄格子がはめ込まれ、正面の扉は分厚い鉄板で出来ていて、その鉄板の上には鉄棒が縦と横に数本、埋め込まれている。正面の扉の上部には、コンパスと定規を組み合わせたフリーメーソンのシンボルがかかっていた。

 

 夜にうごめく魔物の家。何かすごく嫌な感じがしたので、アクセルを踏み込んで、この場から即、退散した。

 

チャイニーズフリーメーソンのアジト

 

 悪霊が棲みついていそうな気味の悪い路地を出て左に曲がり、観光客に人気のあるグラントアベニューに向かった。雨が降っていなければ観光客がぞろぞろ歩いているが、今夜はグラントアベニューも閑散としている。チャイナタウンをぐるぐる走り回っているうちに雨が弱まってきたので、車の窓を半分あけた。旨そうな匂いが車の中に入ってきた。チャウメン、フライドライス、北京ダック。急に腹が減ってきた。そういえば、今日は朝からコーヒーとトーストしか食べていない。しかし今は食べている時間はない。私にはしなければならないことがある。匂いだけで我慢して窓を閉め、グラントアベニューからワシントンストリート、ウェイブリープレイスへと車を進めた。  

 

 ウェイブリープレイスはスポッフォードストリートと並行して走っている路地だが、ここにはメイソンのシンボルを掲げている建物は一軒もない。それどころか、どこの建物のドアも看板すら出ていない。ただドアがあるだけで、誰が住んでいるのか、中で何をしているのか、さっぱりわからない。得体の知れない建物が並んでいる路地を抜けて再びワシントンストリートに入り、広東インポートの事務所を探した。

 

 事務所は4階建てのビルで、中国建築特有の外側に反り返ったような屋根がついている。事務所の周囲を一回りしてみたが、ここにも赤いマスタングはいなかった。

 

 どこへ隠れてる! どうして見つからないんだ!

 

 もう一度、ストックトンストリートの店に戻って周辺を探してみたが、やはり赤いマスタングはどこにもなかった。

 

 どこへ行ってしまったんだ!  どこで何をしてる!  姿を現せ!  

 

 

 

 雨はいっこうにやむ気配がない。マスタングも見つからない。空腹も相まって、いらいらはつのるばかりだ。マスタングを見つけることよりも先に、腹に何か入れた方がいいかもしれない。私はチャイナタウンでマスタングを探すことをあきらめ、本部の近くにあるタウンセントストリートのドギーディナーまで車を飛ばした。店の駐車場に車を止め、雨の中を走って店内に駆け込み、オニオン入りのチリドッグ、フライングバーガー、チョコレートシェーキを買って車に戻った。あれほど腹が減っていたのに、チリドッグを半分ほど食べただけで満腹になってしまったので、残りは袋に戻し、再びマスタングを探すことにした。

 

 ここからではチャイナタウンに戻るよりも、広東インポートの倉庫があるピア48の方が近い。もしかしたら、そこにマスタングがいるかもしれない。ドギーディナーの駐車場からバックで車を出し、ピア48の方角に車の向きを変えた。シボレーのスピードを上げると、それに負けまいと、雨が必死でフロントガラスを叩きつけてくる。濡れた路面がライトの光を受けて輝き、まるで鏡の上を走っているようだ。 

 

 チャイナベイシンで跳ね橋を渡り、左に曲がってドッグエリアに入りスピードを緩めた。壊れかけたおんぼろの倉庫が立ち並んでいる。私は車の窓を開けた。外の空気が冷たい。雨と一緒に海草の匂いが車内に入ってきた。 

 

 48番埠頭に並んでいる老朽化した倉庫の前をゆっくり走り、広東パシフィックインポートの倉庫を探した。前方に車が止っている。シボレーのヘッドライトが車の全形を捕らえた。

 マスタングか? 

  私は前方に目を凝らしながら、ゆっくり接近していった。車体は赤。ナンバープレートにIMPORTのアルファベット。まちがいない。あの車だ。ずっと探していた車。赤いマスタング。ついに獲物が見つかった。 

 

マスタング

 

 

 マスタングは大きな倉庫の前に止っていた。倉庫の窓から煌々と明かりが漏れている。私は周囲を見回し、車を止める場所を探した。数メートル後ろにコンテナ置き場がある。シボレーをそこまでバックさせ、大きなコンテナの陰に車を入れてライトを消し、エンジンを切った。ここからなら相手に気づかれずにマスタングを見張ることができる。

 

 私は真っ暗な車内で、チョコレートシェーキを飲みながら、マスタングの運転手が出てくるのを待った。待っている間に無線室で受け取ったロン・チャンの運転免許証のコピーを出し、ペンライトで彼の顔写真を確認した。写真に写っているロンは前髪を切りそろえたビートルズのようなショートヘア。私とジョンが見た運転手はもう少し髪が長かった。でも顔だけ見たら似ている。たぶん間違いないだろう。テンダーロインでドラッグ・ディーラーのタイリー・スコットと話していた男がロン・チャンだ。

 

 

 10分過ぎ、20分過ぎ、30分が過ぎたころ、エンジンをふかす音が聞こえた。それから数秒後、シボレーが潜んでいるコンテナの前を、赤いマスタングが滑るようにゆっくりと通り過ぎていった。私の車にはまったく気づいていないようだ。

 

 私は30までカウントした。

 

 25、26、27、28、29、30。

 

 エンジン始動。V8エンジンの攻撃的な唸り声が暗闇に響き渡る。ライトを消したままアクセルをゆっくり踏み込み、コンテナ置き場を出て獲物のあとに従った。今、マスタングは跳ね橋を渡っている。真っ黒なシボレーが後を追う。

 

 跳ね橋を渡りサードストリートに入る手前で、マスタングとシボレーの間に別の車が一台割り込んできた。割り込んだ車のヘッドライトが獲物を照らしてくれるので見失うことはない。シボレーの存在に気付かれないくらいまで車間距離をあけライトをつけた。マスタングは再び右に曲がり、キングストリートからエンバカデーロ地区へ向かって走っていく。見失わないようにシボレーのスピードを上げた。フロントガラスにからみつく雨をワイパーが必死で追い払う。

 

 

 

 人通りの途絶えた雨のストリート。派手な原色のネオンライトが、濡れた路上に色を添えている。

 

 マスタングはフェリービルディングを過ぎ、ブロードウェイストリートにぶつかるとそこを左に曲がり、サンフランシスコのナイトライフの中心地に入っていった。シボレーの前を走っていた車は交差点を曲がらずに真っ直ぐ行ってしまったので、マスタングの運転手に感づかれないように、交差点を左折したところでスピードを落とし、車間距離をさらに長くとった。ブロードウェイストリートの坂を上り、ストックトンストリートの交差点で左に曲がり、トンネルを通り抜け、再び左に曲がってサターストリートに出た。マスタングはネオンがぎらつく中国の王宮のような建物を少し過ぎたところで路肩に車を寄せて止った。

 

 ここが警部が言っていたナイトクラブ 「紫禁城」だ。マスタングのテールランプが消え、運転席側のドアが開いて男が降りたのが見えた。私の車が「紫禁城」の横にきたとき、店の中に入っていく男の後姿を見た。身長は160センチくらいの痩せ型で、全身黒ずくめ。ショートヘア。車の窓越しに後姿を一瞬見ただけなので、この男がロン・チャンなのかどうかはわからない。私は「紫禁城」の先にある角を左に曲がり駐車エリアに車を止めた。

 

 

 

 まだ雨が降っている。ベースボールキャップを深くかぶってアーミージャケットのファスナーを首まで絞め、車から降りて旅行会社のビルの入り口まで走った。旅行会社は閉店しているのでビルの中には入れないが、入り口は歩道から少し奥まったところにあるので、ここなら雨宿りもできるしナイトクラブに出入りする客の姿もよく見える。しかし、冷たい北風は避けられない。ときどき風が雨をつれて吹き込んでくる。こんなところで一体どれだけ待たなければならないんだろうか。あの男は本当にロン・チャンだろうか。本当に運転免許証の男と同一人物なのだろうか。私の思い違いだったら・・・・・・

 

 いや、否定的なことを考えるのはやめよう。あの男は絶対にロン・チャンだ。こんな店に入っていって、このナイトクラブでショウでも見るんだろうか。最悪の場合、店が閉店するまで待つことになるかもしれない。 

 

 それにしても寒い。10分間ここに立っていただけなのにジャンパーがかなり濡れてしまった。テレビの刑事ドラマならそろそろ出てきてもいい頃だが、現実は思い通りにはいかない。あとどれだけ待てばいいのか。ベトナムのジャングルでも暗闇でひたすら待った。でも銃弾がとんでこないだけ、ここはまだましか。

 

 

 

 20分後、マスタングの運転手が店から出てきた。私の不満が心優しい女神に聞こえたのかもしれない。ブラックの皮のジャケットにブラックのズボン、年は20代前半くらい。ビートルズのようにカットした短い真っ黒な髪。ナイトクラブの明かりで男の顔がはっきり見えた。運転免許証のコピーについていた顔写真と同じ男。ロン・チャンだ!

 

 私の獲物は旅行会社のビルの前を通り過ぎ、マスタングに戻っていった。私のことにはまったく気づいていない。私もすぐにシボレーに戻った。数分後、マスタングが発進し、再び追跡が始まった。雨の振る夜のサンフランシスコを駆ける野生の馬マスタング。それを追う真っ黒なハンター。

 

 

 マスタングはカーニーストリートを左に曲がりチャイナタウンに向かっている。ワシントンストリートの交差点を左折して坂を上り、スポッフォードストリートと交差するところでもう一度左に折れた、

 

 嫌な場所に入ってきた。悪霊に取り付かれたような薄気味の悪い路地。マスタングはあのメイソンのシンボルを掲げた鉄格子のはまった建物の前で停っている。私はスピードを緩めてマスタングに接近した。建物の前にフェドラ帽をかぶった男がいる。ロンが車から降りたとき、手に何か箱のようなものを持っているように見えた。ちょうどそのとき、明るいライトをつけた車がこのストリートに入ってきたので、私はそのままのスピードでマスタングの横を通過した。マスタングの横を抜けるとき、私の目に入ったのは、鉄格子のはまった鉄の扉の中に入っていくロン・チャンとフェドラ帽の男。その男の背中には白い文字で漢字が二つ並んでいた。

 

 

 路地を出たとき無線が入った。

 

「インスペクター42からインスペクター102 へ」

 

 ギャラガー警部の声。

 

「チャンネル2に切り替えよ」

 

「10-4(了解・テンフォー)」

 

 私はすぐに無線のスイッチをチャンネル2にあわせ応答した。

 

「本部に戻ってきなさい。そろそろ時間だぞ。家に帰る前に報告することがある。10−4か?」

 

「10-4。10-49(I'm on my way/そちらに向かってるところです)」

 

 

 

 それから10分後、シボレーは本部の駐車場に到着した。さすがに本部だけあって夜になっても警官の数が多い。テンダーロイン署とは大違いだ。警部とジョンはコーヒーを飲みながら私が来るのを待っていた。

 

「どうだった?  何かいいことあったか?」

 

 ジョンがコーヒーをカップに注いで私の前に差し出した。雨に濡れて体がかなり冷えていたので、報告する前に熱いコーヒーを飲んだ。

 

「はい、1時間くらい前にラッキーなことがありましたよ。ピア48でマスタングを見つけて、それから車の後を追いかけたら、紫禁城に来て、運転手は店に入っていったから私は外で20分くらい待ってました。あの運転手ですよ、テンダーロインで見かけたドラッグディーラーと一緒だったやつ。こいつがロン・チャンですよ。それからチャイナタウンに戻ってスポッフォードストリートにある変な家に入っていきました」

 

「変な家?」

 

 警部が尋ねた。

 

「はい、ロンの親父の店の近くにあるレンガ色をした建物です。窓はみんな鉄格子がはまっていて入り口にメイソンのシンボルがついていました。入り口のとこに男がいて、ロンと一緒に中へ入っていったんですが、ロンは手に何か箱のようなものを持ってるみたいでした」

 

「なぞは深まる一方か (the plot thickens)」

 

 ジョンはそう言って、腕組みをしたまま椅子の背にもたれた。

 

「ほかには何かあったか?」

 

 警部が訊いた。

 

「いいえ、今夜はそれだけです。すみません。他は何も見つかりませんでした」

 

「謝る必要はない、上出来だ。捜査っていうのはそういうものだ。ジグゾーパズルと同じだよ。集めたピースを組み立てて作品を完成するんだ。どんな小さなピースでもそれがなけれ完成できないだろ。ピースが合わなければ合うまで探す。それに今夜、おまえが拾った情報はなかなか興味深い。そういう小さなピースの中に大きな情報が詰まってることもあるんだ。今日は私たちも面白いものを少しゲットしたぞ」

 

 警部の口の隙間から、マルボロの煙がゆっくり出てきた。

 

「広東パシフィックを調べてみたんだが、商売の方は何の問題もない。22年間続いてるが、その間、違法なことは何ひとつしていない。オーナーのハワード・チャンはCCBAのメンバーで、コミュニティーの中でもかなりの名士のようだな。カリフォルニア大学のバークレー校で経営学の学位をとってる。ビジネスも順調で、店員の話では、商品は8割がた香港から仕入れてるらしい。タイからもいくつか入ってるようだ。日用雑貨から食料品まで扱っていてベイエリアサクラメントの小売店にも卸してると言っていた。ところで、ボーイ、ロン・チャンの犯罪記録はとってきたか?」

 

「はい、これです」

 

 私は警部に無線室でもらったコピーをすべて渡した。

 

「あの、そのコピーなんですが、警部。その犯罪記録、ロンが未成年だったときも何かやったみたいなんですが、それは地方検事の許可がないと教えてもらえなかったのでわからなかったんですが、最近はスピード違反と駐車違反ばっかりですよ。違反切符と出頭命令書はチャイナタウンとテンダーロイン、フィルモア地区から出てます」

 

 私がそう言ったとき、節目がちだった警部の目が少し大きくなった。

 

「それはおもしろい!」

 

 警部が私の顔をみて言った。

 

「金持ちの名士のパパがいるチャイニーズボーイがテンダーロインとフィルモアで何をしてるんだ?  どっちも黒人のエリアだぞ」

 

 警部は私の顔をさらに覗き込むようにして言った。

 

「今日、ジョンと一緒にワシントンストリートの事務所に寄ってきたんだがな。時間が遅くて誰もいなかったから、正面玄関からじゃなくて裏からだがね。それで、これだけもらってきた」

 

 警部はデスクの下から大きな透明のビニール袋を引っ張り出して机の上に置いた。

 

「何ですか、これ?」

 

「広東パシフィックの事務所から出たゴミだ。タイプライターの失敗した用紙、カーボン、レシート、納品書、受領書、商品のリスト、全部いらなくなって捨てたようだから勝手にもらってきたよ」

 

 

 

 私がサンフランシスコの町でカーチェイスをしていたとき、警部とジョンはゴミあさりをしていたのか。暗闇でゴミを物色している二人の姿を想像しながらゴミ袋を見ていたら警部が言った。

 

「明日はおまえとジョンはまた外で仕事をしてもらいたい。その間、私はここでコーヒーでも飲みながらこのゴミをチェックしてるよ。こんな仕事はおまえたちのようなアクティブガイには退屈だろう。外の方が風も冷たくて気持ちいいぞ」

 

 ジョンは少し顔を傾け右の眉だけ吊り上げて警部の顔を見た。警部は目を細めて、煙草のけむりを天井に向かってゆっくり吐き出した。

 

「それからジョンは、明日は観光客に化けてほしいんだが。そういう風に見える服で来てくれ。観光客の振りをしてチャイナタウンで調べてきてほしいことがある。カメラを渡しておくよ」

 

 警部は一番下の引き出しからニコン35mmを取り出してジョンに渡した。

 

「あすの朝、ボーイの言った変な家、メイソンのシンボルマークのある家と広東インポートの店、それから事務所の周辺で何か面白いものでもあったら写真を撮ってもらいたい。それが終わったらここに戻ってきて私のドライバーをやってほしい。自分で運転できたらいいんだが、腕が使えないというのはまったく不自由だな」

 

 警部はマルボロの煙を腕のギプスに吹きかけた。

 

「それと、ボーイ。おまえのアパートには駐車場があるか?」

 

「はい、でも車がないです」

 

「OK。それならこれからはシボレーがおまえの車だ。明日はまたロンを見つけて追いかけてほしい。一日中、ロンから目を離さないように。何時にどこへ行ったか、立ち寄った場所の住所も確認してくれ。彼の行動パターンが知りたい。いいな」

 

「はい、わかりました」

 

「よし、それじゃ今日はこれで解散だ。帰るぞ」

 

 警部はビニール袋を机の下に押し込み、椅子から立ち上がった。

 

「キース、家まで送っていくよ。ケイコさんが迎えに来るのか?」

 

 ジョンが訊いた。

 

「彼女は今頃、猫とベッドの中だよ」

 

「そうか、ケイコさんにはそのほうがいいかもな。おまえといるより猫といたほうが安全だ」

 

 ジョンが笑いながら言った。それから私たちはオフィスを出て、三人並んで地下の駐車場に降りていった。

 

 

 

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※CCBA(the Chinese Consolidated Benevolent association)

 

オニールとケリー巡査にマコトとメイリンを救ったことで感謝状を贈った中国人コミュニティーの組織※NASCARアメリカで最も高い人気のあるカーレース