雑記帳

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エンジェルダスト(20)

 ジョンも同じメッセージを受け取っていた。何故二人そろって署長室に出向かなければならないのか、何の説明もなかった。曜日と時間、制服を着用せよ、メッセージはそれだけだ。何故呼び出されたのか、それだけのヒントでは推測もできない。頭をひねっても悪い予感以外、何も浮かばない。
 説明もない、理由を探るヒントもないというのは非常に不安になる。警官は物事を論理的かつ現実的に考える傾向がある。自分の経験や知識を使ってある結論を導き出す過程において、私情をさしはさむことは許されない。非論理的なものは一切排除する。警官はファンタジーの世界では生きていない。この傾向は勤務中だけでなく、徐々に普段の生活の中にも入ってくる。このような論理的思考が身についた警官が期待するのは「曖昧」ではなく「率直」「正直」である。しかし、内部調査委員会のような組織が大手を振って歩いているような警察では、「正直」とか「誠実さ」の解釈が次第に捻じ曲がってくる。このような職場で働いていると、コップパラノイア(警官の偏執病)と呼ばれている疑心暗鬼のような症状が常について回る。
 私とジョンの留守番電話にメッセージを残した若い女性秘書は、そんなことなど考えたこともないだろう。おそらく電話をかけたのはシビルサービス(市民の奉仕活動)から派遣された職員だろう。ただ8時間デスクの前に座り、与えられた仕事だけ何の考えもなくただすればいい。彼女の残した寸足らずの言葉が、どれだけ警官を不安にするか。そんなことは彼女たちには関係ないことだ。もしそういうことにまで気を配れる職員ならば、もう少しメッセージの中に情報を盛り込んだはずだが、シビルサービスの職員にそれを期待するのはまず無理だ。
 説明不足のメッセージのおかげで、土曜日と日曜日は私の心に黒い雲がかかって、快適な週末にはならなかった。不安が解消されないまま月曜日の朝を迎えた。

 私はいつもパトロールのときに着ているブラックのジャケットではなく、ジョンが「そのうち着る機会がある時までしまっておけ」といった4ツボタンの制服に着替えた。もしかしたら、警官の制服を着るのも今日で最後かもしれない。その考えが振り払っても振り払っても浮かんでくる。胃が締め付けられているようで、せっかく作ったコーヒーも全部飲めなかった。

 10時15分にジョンがアパートまで迎えに来てくれた。ジョンのワーゲンがにつくまで、二人とも何もしゃべらなかった。これから私たちの身に起こることをあれこれ考えても仕方がない。一番良い方法は、もし、それができるなら、何も考えないことだ。

 ジョンは地下の駐車場に車を止め、私たちはエレベーターで署長室のあるフロアまで上がった。エレベーターの扉が開いて真っ先に目に飛び込んできたのは、廊下に立っている数人のニュースキャスターとテレビ局のスタッフたち。エレベーターの扉が開いたとたんに、まるで私たちを待ち構えていたようにカメラのフラッシュが瞬き、エレベータから降りると、体にぴったり張り付いたようなブラウスとスカートをはいた女性のレポーターが、ジョンの前にマイクを差し出した。
「ケリー巡査、今回の内部調査会の決定について、どう思われますか?」

 一体何事が始まっているんだ!?
 何故、報道陣がここに押しかけているのかさっぱりわからない。

 ジョンは「ノーコメント」といって、レポーターの質問を無視し、私たちの前をふさいでいるテレビ局のスタッフを押し分けて署長室のほうへ行こうとした。しかし、今度は私の前にマイクが差し出された。
「オニール巡査、あなたが容疑者を射殺した警官ですね。今回の件について、どのようにお考えですか?」
「何の話かわかりませんが。すみません、道をあけていただけませんか」
 先に進もうとすると、また別のマイクが出てくる。次々に差し出されるマイクを手でよけ、通路をふさぐ報道陣をかき分けて、私とケリーは署長室へ入りドアをしっかり閉めた。

 

私たちが入った部屋は署長室の中にある待合室で、部屋の真ん中においてある大きなメープル材のデスクには受付係りの女性が座っていた。彼女は私とジョンが来たことを署長に伝えるため隣の部屋に入っていった。私とジョンはお互い顔を見合わせるだけで、何もしゃべらなかった。私たちは待合室においてあるクッションの良く効いたブラウンのソファーに座り、少しでもリラックスして気を落ち着けようと思ったができなかった。
 すぐに受付係りの女性だけが戻ってきて、少し待つように言われた。10分ほどして、デスクの電話が鳴り、彼女が電話を受けて二言三言、話してすぐに受話器を戻し、それから彼女は席を立って「どうぞこちらへ」と言って、私とジョンを隣の署長室へ案内しドアを開けてくれた。

 部屋の中に入って、私もジョンも驚いて一瞬立ち止まってしまった。今朝呼ばれたのは私たちだけかと思ったら、部屋にはスコット署長のほかに、署長のアシスタントが数名、捜査課のデービス課長とパトロール課のタランティーノ警部補。二人とも制服を着ている。そして彼らの隣には、黒い燕尾服にゴールドのネクタイをはめた黒髪のアジア人の男性、もう一人のアジア人の男性はグレーヘアーでネイビーブルーの燕尾服に赤いネクタイをはめていた。さらに驚いたことはブラックのフォーマルドレスを着たタチバナマコトとメイリン・チャンもいる。
 何故、彼らがここに。一体どういうことだろう。


 署長が笑顔で私とジョンの前に来て握手をした。それから二人のアジア人の男性を紹介してくれた。黒い燕尾服を着た男性は日本領事館のタナカヒロシ総領事。ネイビーブルーの燕尾服の男性はCCBAのハロルド・フォン代表。二人の紹介が終わったとたんに、署長室のドアが開いてレポーターとカメラマンたちが一斉に部屋の中に入ってきた。彼らは署長のデスクの上に機材を置いて、セッティングを始めた。その間に署長のアシスタントがデスクの前においてある書見台を片付け、それから演壇のマイクロフォンのコードをコンセントにさした。この人たちは一体何をしているんだろう。記者会見でも始めるつもりなんだろうか。

 今から何が始まるのか誰も何も教えてくれない。私もジョンも部屋の真ん中に突っ立って、ただ黙って彼らの仕事を見ているだけだった。
 壁際にメイリンと並んでたっているマコトと目が合った。彼女のアーモンドのような目が私に何かを訴えているように感じたが、部屋の準備ができたようなのですぐにマコトから視線をはずした。

「ケリー巡査、オニール巡査、さぁ、ここへあがってください。署長の隣に並んでください」
 署長のアシスタントに促され私とジョンは演壇に上がって署長の隣に並んだ。
「そろそろ始めてもよろしいかな?」
 署長がテレビ局のスタッフに聞くと、すぐに「OK」の合図が出て、署長は演壇の上にセットされたマイクの前に進み出た。


「レディース アンド ジェントルマン。サンフランシスコ市警のスコット署長です。本日は、私から市民の皆さまにお伝えしたいことがあります。どうぞ、今しばらく、チャンネルをそのままにして、私の話にお付き合いくださるようお願いします。さて、我々の町サンフランシスコには、中国、日本、アフリカ、メキシコをはじめ、世界各地からやってきたさまざまな国の人々があつまり、ここで生活しています。時代の移り変わりとともに人口も急激に増え、いまやサンフランシスコは世界の中の大都市のひとつに加えられるようになりました。しかし、それに伴い、犯罪も多種多様化し、今までサンフランシスコでは起こりえなかったような新たなタイプの犯罪も増えています。我々は市民の皆様の安全を守り、より平和で住みやすい街つくりのため、人種の壁を越えて、犯罪撲滅のために尽力してきました。この姿勢は今後も変わりません。ところが、昨今、サンフランシスコ市警がまるで人種差別集団の牙城であるかの如き、不当な評価をうけ、不当な攻撃にさらされております。我々がこのような不当な批判にさらされている今、サンフランシスコ市警の良き伝統を守り、自らの命をも顧みず、市民を守るための盾となって、凶悪な犯罪者から市民の命を救った二人の警官を、本日、ここに、皆様に紹介できることを心よりうれしく思います。テンダーロイン署に勤務するジョン・ケリー巡査とブライアン・オニール巡査です」
 テレビカメラが私たちのほうに向いた。後ろのモニター画面に二人の姿が映し出されたが、あまりに突然のことで、喜びよりも驚きのほうが先に来て、笑顔も作れず、カメラが回ったときはレンズに向かって、ただ小さくお辞儀をするのが精一杯だった。
 カメラは再びスコット署長をアップで写した。スコット署長の演説が続く。
「数週間前に、アントニオストリートで発生した事件に関してはすでにテレビ、新聞などで報道されましたのでご存知の方も多いと思います。事件の詳細については省きますが、一歩間違えれば、取り返しのつかない残虐な強姦殺人事件になっていたかもしれません。今、紹介しましたケリー巡査とオニール巡査は、彼らの的確な判断とすばやい行動で、サンフランシスコ市民のメンバーである日本人留学生の立花真琴さんと、彼女の友人で中国人のメイリン・チャンさんの命を救いました。二人の警官の勇敢な行為に対し、我々は心から敬意を表すとともに、サンフランシスコ市警の英雄として彼ら二人を讃えます」
 再びテレビカメラが私たちを写した。今度は私もジョンも少し笑顔をカメラに向けたが、私の頭の中は、まだ事情がよく飲み込めていなかった。何がどうしてどうなって、突然「英雄」になったのか。頭の中が混乱して、考えがまとまらない。

 カメラはタナカヒロシ総領事に切り替わり、彼のスピーチが始まった。
「テレビをご覧の紳士淑女の皆様。天皇皇后両陛下、日本政府ならびに日本国民の皆様。第2次大戦が終わり、世界に平和が戻ったのもつかの間、いまだに、あちこちで悲惨な戦争が続いております。ここカリフォルニアに日系人強制収容所があったのは戦時中の話ですが、戦争が終わった今でも、アジア人に対する根強い偏見が存在しています。悲しいことに多くの市民は社会情勢に無関心でもあります。事件の被害にあわれた立花真琴さんと中国人のメイリン・チャンさんは、狂った犯罪者によって死の恐怖にさらされました。犯人は無防備な彼女たちを路地に連れ込み、彼女たちの尊い命を奪おうとしました。このようなアジア人に対する偏見が残る現代社会にありながら、サンフランシスコ市警の二名の警官、ケリー巡査とオニール巡査は、警官としての職務、いえ、人間としての正義感から、アジア人の二人の女性を救ってくれました。私は日本人を代表して、ケリー巡査とオニール巡査に心より感謝の意をささげたいと思います」

 続いてフォン代表がマイクの前に立ち、話しはじめた。
「スコット署長、本日はありがとうございます。紳士淑女の皆様、日本領事館の総領事であります田中さんのスピーチにもありましたが、今、アメリカ社会においてはアジアのコミュニティーは非常に苦しい立場にあります。しかし、本日ここにみえます、サンフランシスコ市警のケリー巡査とオニール巡査は、人種の偏見をこえ、尊い人命を守るという崇高なる使命により、私たちの大切な娘を救ってくれました。ケリー巡査とオニール巡査は、これから花開こうとする日本と中国のかわいい花の命を助けました。彼らの助け無しには、彼女たちはあの路地で枯れ果て、二度と再びこの世界ですばらしい大輪の花を咲かせることはできなかったでしょう。彼らの勇敢な行為が、今後、人種差別をなくし、アジア人ならびにチャイナタウンに住む人々に対する間違った理解を少しでも減らす一助になるであろうことを願って、ケリー巡査とオニール巡査にチャイニーズコミュニティーを代表して、心よりお礼を申し上げます。あなたたちは我々コミュニティーのヒーローです。ありがとう」

 スピーチに続いて、私とジョンは、タナカ総領事とフォン代表のアシスタントから、豪華な額に入った感謝状を受け取った。
 短いセレモニーが終わり、私とジョンが演壇から降りると、デービス課長から 廊下に出て少し待つように言われた。署長室では、これからスコット署長と、タナカ総領事、フォン代表のインタビューが行われるようだ。
 マコトとメイリンはかなり緊張した面持ちで立っている。部屋を出る前にマコトのそばに行って耳打ちした。
「あとから、電話 してもいいか?」
「デンワ、イエス、オッケー」
 それだけ伝えて、私とジョンは廊下に出た。しばらく廊下で待っていると、タランティーノ警視が部屋から出てきた。私もジョンも警視とは話もしたくなかったので、すぐにエレベーターのほうに行きかけたら、タランティーノ警部補に大きな声で呼び止められた。
「そこの二人! 待ちなさい!  君たちに話がある。すぐに私のオフィスに来なさい!」
 振り返ると、警部補は険しい顔で私たちを睨みつけている。そのとき、署長室のドアがバンッと開いてデービス課長が出てきた。
タランティーノ警部補! この二人はもうあなたの部下ではない!  今からケリー巡査とオニール巡査には私のオフィスで大事な話がある。私の部下に勝手なことはしないでいただきたい! それよりも、署長があなたに話があるようですよ。おそらく、あなたが署長の命令に従わなかったことと、フラナガン巡査部長とラム巡査、ゴンザレス巡査へのハラスメントの話じゃないでしょうか。ただの私の推測ですがね。はやく部屋に戻られたらどうです。これ以上、署長の機嫌を損ねると、あなたの昇進にひびくんじゃないですか。あくまで、私の推測ですが」
 警視は、唇をかみ締めて眉を吊り上げ、怒りに満ちた恐ろしい形相で立っている。デービス課長は、その横を何食わぬ顔で通り過ぎ、私たちの肩を軽く叩いて、課長の後についてくるよう促した。

 

 私とケリーが課長のオフィスにはいると、すぐにデービス課長が私たちに握手を求めてきた。
「おめでとう。君たちは市警の誇りだ。我々は皆、君たちを誇りに思っているよ。タランティーノは別にしての話だが。たぶん、これから署長が彼をいちから教育しなおすだろうね。さぁ、そこにすわりなさい」
 デービス課長が椅子に腰掛けるよう手で合図した。私とジョンは同じソファーに並んで腰かけたが、座るとすぐに、ジョンが腑に落ちないというような表情で課長に尋ねた。
「あのデービス課長、先ほどは身に余る言葉を署長始め領事館の代表の方からも頂き、大変うれしく思っていますが、あの報道陣といい、なにがあったのか全く事情がわからないんですが――」
「いや、驚かせて申し訳なかったね。君たちに何も言わなかったから驚くのも無理はないと思うが。これは、ちょっとした作戦でね」
 課長は軽い笑みをジョンに向けた。
「作戦と言いますと?」
 ジョンが訊いた。
「実はね、被害にあわれたタチバナマコトさんがチャンスを作ってくれたんだよ。内部調査会に呼ばれた時に、かなり気分を害したようで、日本領事館に行って全部伝えたそうなんだよ。それで領事館のほうも、今回の君たちの処分も含め内部調査課の判断にかなり憤慨したようでね。今回の運びとなったわけだ」
「そうだったんですか」
 ジョンが大きく頷きながら返事をした。

 マコトがこの取材のきっかけを作ったのか。『領事館に言います』――そういえば、ポーツマススクエアであったとき、こんなことを言っていた。彼女は本当に言ったんだ。それにしても、あの報道陣は一体なんだろう。まさか、マコトがテレビ局にも何か言ったんだろうか?   私が心の中で思ったことをジョンが言葉にしてくれた。
「課長、もう一つ、お尋ねしたいことがありますが、署長室にいたテレビ局のスタッフ。あれも領事館が呼んだんでしょうか?」
 ジョンが訊くと、課長は笑いながら首を振った。
「いや、あれは違う。マスコミは署長が呼んだんだ。署長とシーハン課長、それから私の三人で君たちの謹慎処分をどうやって解くか考えたんだがね。それで、マスコミを利用するのが君たちの処分を解除するためには一番良いのではないかと思ってね。あの日本人の女性が領事館に報告してくれたのを利用するというと聞こえが悪いが、まぁいいチャンスだからね。内部調査会相手に正攻法でせめても功をなさんだろ」
「そうですか。それでわかりました。エレベーターから降りたら、マスコミに囲まれて本当にびっくりしましたよ」
 ジョンの緊張した顔が緩み、軽く息を吐いてソファーの背にもたれた。課長は私たちがオフィスに入ったときからずっと笑みを浮かべている。その笑みをジョンに向けて課長が言った。
「ケリー巡査。私に質問はそれで終わりかな?  まだ聞きたいことがあると思うんだが、どうだろう? 今、君たちがどうしてここに呼ばれたか、その理由もわからんのではないかな?」
「はい」
 私とジョンは同時に返事をした。課長は私とジョンの短い返事に満足したようで、にっこり笑った。私には課長の笑顔の意味が全く分からなかった。
「そうだろうね。誰もまだ君たちには話してないからな。それじゃ、今から手短に説明しよう。先ず、ケリー巡査」
「はい」
 ジョンが課長の顔を見た。
「君は今日からはもうフィールドトレーナーじゃない。どういうことか君なら数分で理解できるはずだ」
 ジョンの表情が一瞬翳った。しかしデービス課長は微笑んでいる。
「それからオニール巡査」
 課長は私に顔を向けた。
「君はもうすぐ90日間の研修期間がおわるが、今までケリー巡査から色々教えてもらったと思う」
「はい」
「オニール巡査。良く聞きなさい。いまから伝えることは全て署長が決定されたことだ。オニール巡査は本日付けで、新人の見習い期間を終了し、審査にパスしたものとみなす。したがって、君はもう明日からはサンフランシスコ市警の一人前の警官だ。だから君にはもうフィールドトレーナーは必要ない。君はもうベイビーの鳥じゃない。ケリー巡査から離れて一人で飛び立たなければだめだ」
 デービス課長はそう言うと、私とジョンの顔を交互に見た。ジョンはうつむいてデービス課長の話しに頷いているだけである。
「それから、話はまだある。いいかね。二人ともギャラガー警部とは一緒に仕事をしたことがあると思うが、まぁ、彼の場合、浮浪者のようにふらふらさまよっているように見えるが、刑事としての実力は捜査課でもトップランクに入る。それで警部が今、追ってる事件だが。エンジェルダストに関してはすでに知っているだろう。いま、サンフランシスコに徐々に出回っている薬物だ」
「はい、聞いております」ジョンが低い声で答えた。
「そういえば、エンジェルダストの資料はオニール巡査が作ってくれたそうだね。あれは実に良くできてた。ギャラガー警部は今、このエンジェルダストを追っているんだが、彼の捜査を手伝ってくれる警官をほしがっているんだ。それで、彼は君たち二人を指名してきた」
 うつむいていたジョンがサッと顔を上げて、びっくりしたような表情でデービス課長を見た。
「エンジェルダストの流通経路に関しても、まだほとんどわかってないのが現状で、彼は優秀な助手を望んでいるんだよ。この事件が終わるまで、要するに、ギャラガー警部がこれで事件は全て解決したと言うまでだ、君たち二人は彼のアシスタントとして、エンジェルダストの捜査に協力してほしい。君たちはギャラガー警部の助手、という事はつまり、私の部下だ。今日から私の部下として、君たちの持てる能力を全て発揮して、ギャラガー警部と協力しエンジェルダストの捜査にあたってほしい」
 デービス課長はそこで言葉を切り、私とジョンの顔を見た。朝からびっくりするようなことが立て続けに起こるので言葉が出てこない。ジョンも何も言わない。デービス課長はにっこり笑って私とジョンにこう告げた。
ジョン・ケリー巡査。ブライアン・オニール巡査。本日より、君たち二人をインスペクター(捜査官)に任命する」

 


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※CCBA(Chinese Consolidated Benevolent Association).
チャイナタウンに一番最初に設立されたチャイニーズアメリカンのための組織。チャイナタウンの住民たちによって運営されている組織。日本で言うならば規模の大きい町内会。現在のチャイニーズコミュニティーセンターの母体。

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私とジョンがインスペクター!

 

 あまりに突然の話で、私もジョンも二人そろって言葉を忘れてしまったように、ただ、デービス課長の顔をじっと見つめるだけだった。デービス課長は笑みを浮かべて私とジョンを見ている。それから課長は立ち上がって彼のデスクに行き、引き出しから新しいバッジをふたつ取り出し、私とジョンの前に置いた。部屋のライトがテーブルの上に並べた金色のバッジに反射している。

 

「インスペクター2101。これがケリー捜査官のバッジナンバー。ラジオ無線では君はインスペクター101 だ。それからオニール捜査官はインスペクター2102。これが君のバッジナンバーだ。ラジオ無線ではインスペクター102。いいかね。忘れないように。間違えてパトロール警官のときのナンバーを使わないように」

 デービス課長はテーブルの上のバッジを取って、私とジョンに手渡してくれた。

「二人とも、昇進おめでとう!  君たちは今日から捜査官だ」 

 

 突然天から降ってきたような予想もしなかった幸運に直面すると、頭が空っぽになってしまって感謝の言葉も忘れてしまい、掌の上で黄金色に煌めいているバッジをボォーっと見つめていた。まだ3ヶ月も過ぎていない新人の手の中にゴールドバッジがある。捜査官になりたいと強く思ったことはないが、でも、いつか、ゴールドバッジをつけてみたいと思っていた。それがこんなに早く手に入るとは思ってもみなかった。本物のゴールドバッジだ。夢じゃない。本当にゴールドバッジを持っているんだ。

 

「オニール捜査官」

 

 ゴールドバッジのほうに完全に気が行ってしまっていたので、デービス課長に名前を呼ばれたことに全く気が付かなかった。ジョンから「オニール、返事をしろ」といわれて、あわてて顔を上げて「イエス、サー」と返事をした。デービス課長が笑っている。

「バッジは後からゆっくり見なさい。まだ話したいことがあるから、よろしいかな」

「ハイ」

「いいかな、オニール捜査官。大事な話だからよく聞きなさい。これは異例中の異例の昇進だ。わかるね。本来なら、君はまだ研修期間中の身だ。だから外に出たらケリー捜査官から学ぶことはまだまだ多いはずだ。捜査のイロハについてはギャラガー警部から学べばいい。この先も常に、学ぶという姿勢を忘れないように」

「イエス、サー」

「それから、バッジは二つはつけられないからね。この事件が解決するまではゴールドバッジをつけることを忘れないように。事件が解決したら、またパトロールに戻ってもらうことになるが、君たちがパトロールに戻ってもゴールドバッジは返さなくてもいい。もしもこの先、凶悪な犯罪が起こった時に、君たちの力が必要になる場合もあるかもしれない。そのときは又、捜査官として我々に協力してもらいたい。だから君たちが市警にいる限り、インスペクターのゴールドバッジは君たちのものだ。捜査課は君たちの席はいつでも用意して待ってるよ」

「ありがとうございます。心から感謝します」

 ジョンがデービス課長に深々と頭を下げた。私もジョンに続いて頭を下げ、感謝の言葉を述べた。

「二人とも、頭を上げなさい。私に礼は言わなくてもいいよ。君たちはこれを受けるのにふさわしい働きをしてきた。内部調査課が何を決定しようが、君たちのような優秀な警官を謹慎処分にするなどもってのほかだ。それこそ市警の恥だよ。今頃はタランティーノはマスコミ連中に囲まれてやり込められているだろうな」

「それならわたしたちの謹慎処分はどういうふうになったんでしょうか?」

 ジョンが訊いた。

「安心しなさい。謹慎処分はキャンセル。君たちは英雄としてサンフランシスコ中に報道されたんだ。内部調査課といえど、今回ばかりは決定を取り消す以外ないだろう。その辺のことは、スコット署長が報道陣のインタビューで話してるはずだ。君たちは謹慎処分など一度もうけてはいない。君たちのキャリアに汚点は何もないよ。それから、タランティーノには、今頃、署長が話しをしてると思うが、エンジェルダストが解決したら、君たちが戻るところはテンダーロイン署ではない」

「といいますと?」ジョンが訊いた。

「実は、先日のテンダーロイン署の事件だが、オマー・スコットを射殺したことで、おそらくフラナガン巡査部長が真っ先にターゲットにされる恐れがある。このまま彼をテンダーロインにおいておくのは危険が多すぎるから、怪我が回復したらセントラル署に転属してもらおうと思っているんだ。もちろん、これは命令ではない。選択権はフラナガン巡査部長に与えてあるから、もしも彼が嫌だといえば、今までどおりテンダーロインに残ってもらっても構わない。彼からの要求で、もしもセントラル署にかわるなら、君たち二人も連れて行きたいといっているんだが、管轄エリアはノースビーチ、チャイナタウン、フィッシャーマンズワーフ。フラナガン巡査部長には今までどおり、その地域のイブニングシフトのスーパーバイザーを引き受けてもらいたいと思っている。ケリー捜査官は21年間、慣れ親しんだテンダーロインを離れるのはさびしいだろうが、どうだろう。フラナガン巡査部長と一緒にセントラル署で働いてもらえるか?」

「わかりました。そんなことなら喜んでセントラル署にかわります」

 ジョンが答えた。

「君は異存はないかな?」デービッド課長が私に訊いた。

「はい、ありません」

「ありがとう。フラナガン巡査部長にはその旨、伝えておこう。それでは明日の3時、殺人課のギャラガー警部のデスクに直接行きなさい。何か質問は?」

「ノー、サー」

 私とジョンは一緒に返事をした。それから捜査官が携帯しなければならない小道具を受け取り、それらを全てジョンのワーゲンのトランクにしまい駐車場を出た。

 

 

 朝は車の中で一言も話をしなかったが、帰りは私もジョンも心が弾んでしゃべり通しだった。

「ジョン。捜査官ですよ。ゴールドバッジだ」

 私はずっとゴールドバッジを手で持って眺めていた。そんな私を見てジョンが大きな手を私の頭に置き、父親のような口ぶりで言った。

「おい、坊主。おまえ、クルーゾー警部になりたいって言ってたもんなぁ。夢がかなってよかったじゃないか」

「イヤァ、あれは冗談で言ったんですよ。でも、やっぱりいいなぁ。ゴールドバッジ。捜査官か、捜査官なんだ。捜査官ですよ」

 ゴールドバッジを見ながら独り言のようにしゃべっていたらジョンに笑われた。

「なぁ、オニール、わたしはいままで昇進なんて興味なかったが、実際にゴールドバッジを手にしてみると嬉しいもんだなぁ。わたしは完全にお払い箱だと思ってたからなぁ。これからキースと一緒に捜査官か。引退前に捜査官で大暴れするのも悪くないか」

 

 うれしさが、今頃になって押し寄せてきた。ゴールドバッジを見ていると自然に顔が緩んでしまう。

「おまえ、何をにやついてついてる。キースの助手ってことは、明日からもっとハードな仕事がまってるぞ。覚悟はいいかな。オニール捜査官」

「イエス、サー!」

 

 ジョンのワーゲンが私のアパートにつくまで、ずっとゴールドバッジに彫られた文字を眺めていた。

 

  [San Francisco Police Department    Inspector 2102 ]

 

 

 

 

 午後7時。

 私はブラックの3つ揃えスーツにゴールドタイのフォーマルファッションできめて、チャイナタウンにある高級レストラン<レッドドラゴン>で、マコトが来るのを待っていた。

 

 豪華に盛り付けた中華料理をトレーに乗せたウエイターが、厨房と店内を忙しそうに行き来している。私はバーのカウンターで、彼女が来るまでジントニックを飲みながら窓から外を眺めていた。赤いマスタングが店の前に止まり、ダークレッドのチャイナドレスを着た女性を降ろすとすぐに車は行ってしまった。店に入ってきたその女性をみて、一瞬、目を疑った。確かにマコトだ。しかし、今夜の彼女はいつもと雰囲気が全く違う。裾に孔雀柄をあしらったロング丈のチャイナドレス。姿勢の良い彼女が着ると、凛とした気品を感じる。ダークアイシャドーとアイラインが切れ長の目をさらに強調し、ローズの口紅が肌の白さを際立たせ、彼女の顔立ちに上品さをプラスしている。腕白坊主が突然、魅惑的な大人の女性に変身した。店の客が時々、彼女のほうを見ている。マコトはすぐに私を見つけ、にっこり笑ってカウンターに来た。

「グッドイブニング。私、遅刻した?」

「いや、僕が早く来たんだ。今日はすごくきれいだよ。別人かと思った」

「あなた、ドレスアップしてきなさいっていったから」

「さっき、君が入ってきたときは、びっくりした。今日は朝からびっくりの連続だ。それより、何飲む? ビール? カクテル?」

 私が訊くと、マコトは首を傾けた。

「わたし、カクテル、わからない。甘いカクテル、何? あなた決めて」

 私は彼女のために甘味の強いピニャコラーダを注文した。バーテンはオーダーを受けると、5分もしないうちにマコトの前にピニャコラーダのグラスを置いた。グラスの縁にパイナップルのスライスを飾り、かわいらしい小さな傘の飾りが乗ったカクテルをマコトは目をまん丸にして見つめた。それからストローで少しだけ飲むと、「おいしい」と言って、一気にグラスの半分まで飲んでしまった。

「それ、ラムが入ってるよ。一気に飲んだら酔っぱらうよ」

「わたし、アルコール、少し、つよい。これ おいしい。ねぇ、さっき、電話で私に、ききたいことある、あなたデンワで言った、何ですか?」

 マコトが訊いた。

「たいしたことじゃないけど、今日、署長室であったこと、君が領事館に言ったんだ」

「はい。あなたのケイサツの人。あなたと大きい警官、いじめた人たちのこと、ワタシ、領事館に言いました」

「それじゃ、今日のこと君は前から知ってたの? 知ってたら話してくれればよかったのに。今朝、署長室に行ったら、君とメイリンがいたからびっくりしたよ」

 私がいうと、マコトは「ちょっと待って」といって、何か言葉を探しているような表情をした。

「あの、答えはノー。昨日、夜、領事館からデンワ来ました。今日 朝、9時、あなたの警察 署長室、来てください。洋服はフォーマルドレスで来てください。それだけ。だから、今日、テレビのこと、初めて知った。だから、びっくりした」

「そうか。それじゃ、君も知らなかったんだ。僕もびっくりしたよ。テレビ局が来てるし。何のことかさっぱり分からなかったよ。でも、今日はすごくいいことがあったから、今夜はここでお祝いをしたかったんだ」

「はい、あなたのパーティーね。あなたと大きい警官、えっと、ケリーさん、ヒーロー」

 マコトがにっこり笑った。

「僕はヒーローじゃない。するべきことをしただけだ」

 そういうと、彼女が首を振った。

「ノーノー。あなたたちのおかげで、私もメイリンも生きてます」

 マコトはピニャコラーダの入った大きなグラスを持ち上げて私の方に向け、「トースト(乾杯)」といって、私のグラスに軽く当てた。

 

 

 それから私たちは、テーブルの用意ができるまでバーのカウンターで時間をつぶした。ウエイターが呼びに来て、私たちはレストランのテーブル席に案内された。席に着くと、ウエイターが料理を並べていく。大皿に豪華に盛り付けた北京ダック。カシュナッツの入ったサラダ、ビーフロッコリ、シュリンプフライドライス。

「すごい!  北京ダック!」

 彼女の視線は真ん中の大皿に注がれている。

「この前、店頭に飾ってあったのを見てただろ。北京ダック、好きかなと思って注文したんだ」

「はい、北京ダック大好き」

「おなか、減っただろ。全部食べていいよ」

「はい、わたし、いつもハングリー」

 

 マコトは口元に笑みを浮かべ、アーモンド型の目をもっと大きく開いて私を見た。それからすぐに、小皿に北京ダックをとり食べ始めた。彼女はいつも私の前で何かを食べている。最初に会った時から、そういうイメージが私の中で出来上がってしまった。それにしても、マコトは何を食べてもおいしそうに食べる。そんな彼女を見ているのも楽しみのひとつだった。

 

 

「君に見せたいものがあるんだ」

 

 私はポケットからゴールドバッジを取り出してマコトに渡した。

 

「これ、警官のバッジ?  映画で見たことある」

 

 マコトが言った。

 

「今日、あれから課長に呼ばれてね。ジョンと僕はインスペクターになったんだよ。それがインスペクターのゴールドバッジ」

 

「インスペクターって何?」

 

「インスペクターは、えっとね、インスペクターは・・・・・・えっと、ダーティーハリー」

 

「ワオ! ブゥラァイアン ダーティーハリになった。クール!」

 

 マコトはまるで新しいおもちゃをもらって喜んでいる子供のように、バッジを自分の胸につけてみたりライトの灯りで反射させたりして遊んでいる。

 

「今日からはもうパトロールの警官じゃないんだ。これからはギャラガー警部の助手をするんだ。だから、そうなったら当分休めないと思うから、もし嫌じゃなかったら、今度の非番の日に、また会える?」

 

「はい、あなたの休みは、いつ?   明日の次の次の次の次の日?」そういいながら指を折って数えている。

「そう、4〜5日あと」

「はい、OK」 

 

 おいしい料理で話も弾み、10時ころ店を出て、タクシーでマコトのアパートまで送った。彼女がタクシーを降りるとき「サンキュー」といって私の頬にキスしてくれた。自分のアパートの近くでタクシーを降りて青白い月明かりに照らされた歩道を歩いていたとき、どこからか彼女がつけていたローズの香水に似た香りが漂ってきた。

 

 あわただしい一日だったが最高にハッピーな日だ。部屋に戻り、スーツを脱いでシャワーを浴び、パジャマに着替えてから留守番電話のメッセージをチェックした。メッセージは一件だけ。それはフラナガン巡査部長からの伝言だった。どうしていつも幸せの後には不幸が来るのだろう。

 

 

 ジェリー・ラムが死んだ。

 

 

 

 

 

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★ピニャ・コラーダのレシピ

 

ラム 90ml

 

ココナッツミルク45ml

 

パイナップルジュース 45ml

 

 

ビーフロッコリはアメリカの中華料理店では定番の料理。牛肉とブロッコリをオイスターソースで炒める。