雑記帳

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SFPDクロニクル エンジェルダスト プロローグ

 

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(注)作中人物のセリフの中には、当時のスラング、現在差別用語
して禁止された言葉も混ざっています。
一部、日本語英語の両方で記載してあります。

 

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  バスを待つレロイの鼻先に、風が懐かしい匂いを運んできた。ランチタイムで混雑するソウルフードの店から漂うフライドチキンと、行き交う車がはき出す排気ガスの混ざった匂い。久し振りに味わう自由の香り。レロイは思い切りその匂いを胸にすいこんだ。
 フィルモアストリートとエディーストリートの角でミュニバスから降りたときも、冷たい風の中に昔と変わらぬ自由の匂いがあった。レロイは大きく深呼吸し、ゆっくり歩道を歩いていった。 
 ここはウェスタンアディーション。フィルモア地区にあるアフリカ系アメリカ人のゲットー。老朽化したビクトリアンハウスと戦前からたっているあばら家、低所得者向けのアパート、荒れ果てた店舗が混在する場所。数人の年寄りと若者がドアの前で茶色の紙袋でくるんだ安物のワインを飲みながら、立ったり座ったりしている。歩道では八歳くらいの女の子が寒空の下で縄跳びをしている。その傍らを、雑貨屋の紙袋を提げた太った老人がアヒルのようによたよたと歩いていく。路上に転がる割れた酒瓶。ゴミを物色している数匹の野良猫。どこもかしこも昔と変わらぬ自由の匂いで満たされていた。


 六時間前、強盗罪で服役中のレロイ・ワービング、通称「マンディンゴ」はマリンカウンティーにあるサンクエンティン刑務所の正門からゆっくり歩いて出てきた。
 1972年12月24日、カリフォルニア州裁判所は、レロイに素晴らしいクリスマスプレゼントを与えた。入所三年目で仮釈放。200ドルの小遣いを渡して、レロイを自由にした。
 200ドル――こんな金額ではそれほど遠くまでは行けない。もう一度、刑務所に戻ってこさせるための仮出所祝い金。
 レロイはこの200ドルを有効利用しようと決めた。食べ物を買い、それからマリファナと銃を手に入れる。先ずそれから始めよう。時間は十分にある。明日はダウンタウンに行って、無防備な観光客を見つけて金をとる。レロイはそう決めた。

 四時間後、計画通り、先ず空腹をみたし、安物のウイスキーを買ってボトルを半分あけた。チンピラ仲間のヤクの売人から38口径リボルバーマリファナ――レロイの全てを解き放つ媚薬――の包みを手に入れた。

 さて、次は何をするか――レロイは自分に訊いた。
 夜の締めくくりにはストリップ。それで決まりだ。
 自分で出した答えに満足し、テンダーロインのオファレルシアターに向かって歩き出した。


 頬を突き刺す冷たい風を気にすることもなく、レロイはエディーストリートをぶらぶらと歩いていた。レロイが刑務所を出たときには上空にあった厚い雲が、風に乗って町まで降りてきている。ぽつぽつと灯りだした街灯の明かりが霧にくるまれて、にじんだ水彩画のようにボーっとした光りを放っていた。今日はクリスマスイブということもあって、ストリートは人通りが多かった。プレゼントの入った大きな紙袋を抱えた女達が、足早にレロイを追い抜いていった。
 テンダーロイン地区に入ったとき、再びレロイは自由の匂いを感じた。数人の浮浪者が、歩道に足を投げ出して座っている。シミだらけの扉にもたれている数人の男達。ボロをまとって歩道をふらふら歩いている老婆。街灯の下で安酒の空瓶をかかえて眠りこけている男。黒いセダンが、少しでも早くここを抜けたいのか、物凄いスピードで走り抜けていった。
 まもなくここは獣たちの彷徨う夜になる。

 

オファレルシアター

 レロイがオファレルシアターに着いたときには、テンダーロインは霧でかすんでいた。劇場の看板に取り付けられたライトが、赤茶けた不気味な光りで建物の周辺を照らしている。サンフランシスコの悪名高きストリップ劇場。夜になると、売春婦のたまり場となり、劇場から出てきた客は彼女たちの放つ怪しげなフェロモンに惹きつけられ、暗闇へと消えていく。
 ヒッピーたちにとって、この劇場はフリースピーチとフリーセックスの象徴。モラルを重要視する人々には、サンフランシスコを汚すシミった。しかし、レロイにはそんなことはどちらでもよかった。今夜はストリップショーはない。代わりにオールナイトでポルノ映画を上映している。
 それならここで暫く時間が潰せる。
――売女ども(bitches)もクリスマス休暇か(Must have given da bitches da chrismas Eve off)。今夜はパトロンの金で贅沢三昧とは結構な身分だ。
 レロイはガラスのショーケースの中のヌードダンサーのポスターをちらりと見やり、入場料の12ドルを払って中に入っていった。

 館内はがら空きだった。売春婦とそのパトロンらしきカップルが三組、前のほうの座席に座っているだけである。レロイは一番後ろの右端の席に座った。ここなら誰にも邪魔されず楽しむことが出来る。
 スクリーンには、手入れの行き届いていないパサパサの金髪を振り乱した小太りの女と二人の男が写っている。女が一人の男に舌技のサービスをしている間、もう一人の男は女の後ろから、いきり立った肉のスティックを女の中に沈めていく。女は犬のような恰好で男をくわえたまま身もだえしている。
「こいつはいいぜ(Dis Gonna be good)」
 レロイはスクリーン上でもつれ合う男女を見ながらマリファナを巻き、今夜最初の一本を楽しんだ。
 ここで適当に時間をつぶしたら、タークストリートで売春婦(hos) を見つけて、朝までマリファナパーティーでもするか。レロイはそう考えた。夜はまだ長い。マリファナはたんまりある。あわてることはない。先ずはここでゆっくりマリファナを楽しもう。

 数時間が過ぎ、レロイはイスに深々と腰掛け足を投げ出して、心地よい脱力感に浸っていた。三本目のローチ(Roach/マリファナのこと)に火をつけ、深々と吸い込んだ。あらゆるものが彼から抜け出し、自分の身体が風船のようにふわふわ浮かんでいくような、得も言われぬ開放感に浸っていた。
 レロイは朦朧とした意識の中で、スクリーンの男女を眺めていた。突然、画面がぼやけ始めた。

 (目がどうかしちまったか?)
 ぼやけたスクリーンの中で、まるでロウソクの蝋が溶けるように、もつれ合う男女の輪郭がゆっくりと崩れていく。やがて、人間の姿が白と黒、赤、黄色の帯に替わり、蛇のようにうねうねと絡み合っていく。
 からみつく色の帯がひとつの塊になり、それが割れてふたつになり、三つになり、四つになり、次第に何かの形を作り始めた。それらは再び人の形になっていく。しかし、人間の顔ではない。口が耳まで裂けたおそろしい形相の悪魔。赤いデビル、黄色いデビル、黒いデーモン、白いデーモン――四色の悪魔がレロイをスクリーンからじっとにらみつけている。
 突然 白いデーモンが大写しになり彼の名を呼んだ。 
マンディンゴ!」
 一瞬、レロイはぶるっと身震いした。低くかすれた声。スクリーンからではなく彼のすぐ耳元で呼ばれたように感じた。
 レロイを指さしながら悪魔たちが笑い出した。笑い声が共鳴しあい、まるで何十もの悪魔がそこにいるように感じ、思わずレロイは耳を塞いだ。
「笑うな! やめろ!(Quit laughin at me! Ain't nothing to laugh about!)」
 レロイはスクリーンに向かって叫んだ。悪魔達の笑い声はますます大きくなっていく。笑い声は スクリーンから、天井から、壁から、劇場の至る所から聞こえてくる。
「消えろ!!」
 自分に何が起こったのかわからない。レロイは思い切り強く両手で頭を抱えるように耳を塞ぎ、「笑うな!やめろ!」と叫んだ。しかし、悪魔の笑い声は止まらない。
「クソッ! 消えろ!  でていけ!  ぶち殺すぞ(I kill yu ass yo motherfucka!)」
 彼の声は恐怖でうわずり、心臓は今にも飛び出さんばかりの勢いで拍っている。
「消えろ、消えろ、消えろ!! やめろ、笑うな! やめろ!」
 あたり構わずわめき散らしながら、無我夢中でロビーに飛び出した。

 笑い声は消えた。しかし、レロイの心臓はまだ早鐘のように拍っている。顔は紅潮し、汗が噴き出した。レロイはハァハァ あえぎながら、劇場の外にでていった。
 外にでたとたん、足がもつれて、その場に前のめりにたおれこんでしまった。立ち上がろうとして、ふと頭を上げたとき、歩道を照らす赤茶けた明かりの下で 黄色いデビルが両手をひろげて待っていた。デビルは薄気味の悪い笑みを浮かべながらレロイに近づいてくる。
「くるな!」
 恐怖でうわずってた声。必死で立ち上がろうとしたが、足が思うように動かない。
「来るな 来るな!」と手で空中を振り払うのが精一杯であった。
 呼吸がますます早くなる。
 突然、赤いデビルが霧の中から現れた。奇矯な笑い声を上げて レロイに近づいてくる。
「くるな!」
 レロイは両手をしゃにむに振り回した。霧の中から「ヤツを殺せ。ヤツを殺せ」という低い声が聞こえてきた。
「うせろ!オレの魂はわたさん!」レロイは声に向かって叫んだ。
「ヤツを殺せ、ヤツを殺せ!」声は次第に大きくなっていく。
 悪霊達のシュプレヒコールの中から、再び、白いデーモンと黒いデーモンが姿を現した。赤いデビル、黄色いデビル、黒いデーモン、白いデーモンはレロイを指さし、ヒステリックに笑い出した。笑い声の背後から一定のリズムを刻む低音。
「ヤツを殺せ、ヤツを殺せ ヤツを殺せ ヤツを殺せ」
 レロイの目は瞬きもせず、デーモンを見つめている。必死で叫ぼうとしたが恐怖で身体がこわばり、喉の奥で、声すら凍り付いてしまった。
 四つの悪魔が、鋭いカギ爪を上下に動かしながら、レロイに近づいてくる。黄色いデビルが今にも襲い掛かろうとしたとき、とっさに、コートの内側からリボルバーを抜き取り、銃口をデビルに向けた。
「出ろ! 出ろ! オレから出ろ、オレから出ろ! 魂はわたさん(Ain't no one takin me to hell!)」
 トリガーにかけた指が小刻みにふるえている。レロイは必死で身体を起こして立ち上がり、銃口をあちこちに向け 叫びながら銃を振り回した。
 黄色いデビルがにたにた笑いながら近づいてくる。悪魔の腕がすっと伸び、レロイの身体を突き抜けた。
「ああ、ジーザス!」
 レロイの目は真っ赤に充血し、汗と涙の混ざった液体が頬を垂れていく。
「オレが引きずり出す。俺が出してやる、おまえ達を地獄に送る、見てろ、こうするんだ!」
 というや、レロイは銃口を自分の口にくわえ、引き金を引いた。銃声と同時に、まっ赤な血と脳漿をまきちらし、レロイの身体は真後ろに倒れた。頭部から流れ出した血がじわじわと路上を染めていく。
 レロイ・ワービングは死んだ。

 

(続く)


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※ミュニバス(Muni Bus);サンフランシスコ全域を均一料金で走っているバス。
マンディンゴ: 奴隷制度があった時代、上質な奴隷を意味する言葉、差別用語
※Bitche:スラングで女性を最高に侮辱した言葉。

 

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