雑記帳

作品倉庫

テンダーロインノワール(7)

火曜日、午後3時。ジョン・ケリーとブライアン・オニールはテンダーロイン署のロッカールームで着替えを済ませ、シフトの引継ぎを行うためにブリーフィングルームに向かった。ケリーが部屋のドアを開けるよりも早く、中からピーター・フラナガン巡査部長が出てきた。ケリーよりも10年長くテンダーロイン署に勤務するベテランの警官である。いつも微笑んでいるようなフラナガンの表情に陰りがある。
「ブリーフィングは終わりだ。今からすぐにエディーストリートに行ってもらいたい。場所は、レブンワースとハイドの間にある路地だ。今、そこでDBの通報があった」
(DB:dead body 死体)
フラナガンの指示でふたりはブリーフィングルームに置いてあるポータブルラジオを持ち、テンダーロイン署を出て現場に向かった。オニールはケリーよりも先に歩いていたが、ハイドストリートを下りている途中で急に立ち止まってケリーの方に振り返った。
「ジョン。嫌な予感がする」
 ケリーは何も言わなかった。

 3分後、ふたりは現場に到着した。その路地はエリックがホテルに宿泊できない時に、テントを張って生活していた場所である。薄暗い路地の入口には野次馬が何人も集まっている。死体を見つけたのは自分だ、と名乗りを上げるものは誰もいない。ケリーとオニールは群がる野次馬を押し分けて薄暗い路地を覗いた。草むらのようになっている路地の奥に、うつ伏せになった男の死体がある。オニールが死体のほうに歩いていくと、ケリーは野次馬が入って来れないように腕を伸ばして路地の入口を塞いでいた。オニールとケリーには、死体を確認しなくても、そこに倒れている男が誰か判っていた。オニールは死体の横に跪いた。男の左手は腹の下に隠れていて何かを握っている。オニールは腰をかがめて男の顔を確認した。現場に来るまで、自分が感じた悪い予感が外れてくれることを願っていたが、彼の願いは神には届かなかった。恐怖に見開かれた男の目――それは紛れもなくエリックの目であった。彼の後頭部に弾丸を撃ち込んだ小さな穴があいている。オニールは周囲に素早く目を走らせた。
――バックパックは? テントはどこだ?
 オニールは一瞬でエリックの身に何が起こったのか理解した。誰かがここにきて、エリックをテントから引きずりだし、バックパックとテントを奪い処刑した。
 オニールはゆっくりと立ち上がり、歩道に戻った。
「エリックです」
オニールが言うと、ケリーは眉間にしわを寄せて目を閉じ、落胆のため息を漏らした。
「後ろから一発。バックパックもテントもエリックの持ち物は全部消えてます」
 ケリーは数回、小さく頷いた。
「オンコールを呼んでくれ。あ、キースがいい。キースに連絡してここに来るように言ってくれ」
(※オンコールはパトロール警官のように担当エリアを回っている捜査官のこと)

 5分後、ハイドストリートのカーブにブラックのセダンが止まり、キース・ギャラガー警部が降りてきた。オニールは犯行現場と遺体の状態、被害者の名前、被害者とは顔見知りであったこと、被害者の経歴など、オニールが今までに知り得たことを全てギャラガーに伝えた。
「オニール。よくわかった。それじゃ今から私は現場の写真を撮るから、おまえは証拠品を集めてくれ。何か見つかったらここにいれてくれるか」
 ギャラガーはポケットから透明のビニール袋を取り出してオニールに渡した。それから遺体の側にいき、銃弾を撃ち込まれた後頭部を調べた。弾の入口はあるが出口がない。遺体の写真を撮っていると、オニールが22口径の真鍮薬莢を見つけた。それはエリックの遺体から10フィート(約3m)離れた位置に落ちていた。オニールはその地点に印をつけ、エビデンスバックに薬莢を入れてギャラガーに渡した。
 ギャラガーとオニールがエリックの遺体を上向きにすると、体の下から文字を書き込んだコピー用紙の束が出てきた。エリックの左手はスパイラルノートをつかんでいる。
「何だ?」
 ギャラガーはそう言って、ノートに顔を近づけた。
「これ、エリックが書いていた原稿です。テンダーロインのことを書いてたんです。自分がホームレスになったことや、ここで見たこと聞いたこと、そういうのを書いて、完成したら本にするんだって言ってました。ここから抜け出して人生やり直すんだって、毎日必死で書いてたんですよ」
 オニールはエリックの手からノートをゆっくり引き抜こうとした。しかし、何故かわからないがノートが取れない。3本の指で軽く挟んでいるように見えるが、力をいれてノートを引っ張っても指から外れない。オニールには理由がわからなかった。それは死後硬直なのか、それとも、どうしてもこの作品を仕上げたいというエリックの執念なのか。エリックの指先を見つめているとギャラガーに肩を叩かれた。
「オニール。ちょっとどきなさい。大事なノートだろ。そんなに引っ張たら破れてしまうぞ」
 オニールが場所を譲ると、ギャラガーはエリックの左手首をゆっくりと外側に曲げ、ノートを指から外した。
キャストアウェイか」
 ギャラガーはタイトルを見て、独りごとのようにつぶやき、オニールにノートを渡した。

 

30分後、検察医のバンが到着し、エリックの遺体を載せてクライムラボへ戻っていった。ギャラガーが仕入れた情報を手帳に書き込んでいると、オニールが側にきて言った。
「警部。これ、エリックの原稿ですけど、私が預かっても構いませんか?」
 オニールはギャラガーにゴムバンドで留めたノートを見せた。
「どうするつもりだ? 何かいい考えでもあるのか?」
「エリックは、これを本にするといってました。このままクライムラボの証拠品の棚か検死局の倉庫にしまってしまったら、エリックが今までやってきたことが無駄になってしまう。なにか訴えたいことがあるから書いてたんです。彼がやりたかったことをこのまま途中で止めにしたくないんです。エリックの考えていたことをどうしても完成させたいんです。だから、このノート、しばらく貸してください」
 オニールが言った。ギャラガーはあごひげをさすりながらしばらく考えていたが、オニールの顔を見て頷いた。
「たぶん、そのノートはラボにもっていってもエリックの指紋しか見つからんだろうな。証拠品としては価値がない。どうしてもそのノートが欲しいというのなら、いいだろう。おまえが持ってろ。でも、ノートを管理するのは私とおまえ、ケリーの三人だ。私たちがそのノートの支柱になる。OKか?」
「わかりました。警部。ありがとうございます」

 

 3ヶ月後、エリックの遺体は火葬され、監察医のドクターマリオン・フォングの協力で、遺骨と灰を入れた中国陶器の骨壷をエリックの両親に渡した。最初、彼の母親は、遺骨を受け取ることを拒否したが、ケリーは電話でエリックの母親にこう言った。
「エリックの人生は大きく変わりました。毎週日曜日には、セントアンソニー教会とグライドメモリアル教会の礼拝に交互に参加していました。教会のイベントにはいつも彼が来て、色々手伝っていました。それに、テンダーロインの貧しい人たちを助けることにもすごく熱心でした」
 母親は納得し、父親と共にサンフランシスコ市警を訪ね、息子の遺骨を受け取った。そうしてエリックは、もう二度と戻ることはないだろうと思っていた故郷のミネソタへ両親の腕に抱かれて帰って行った。

 その後、オニールとケリーは仕事の合間を縫って、エリックの書いた原稿を見ながらタイプライターで原稿用紙に打ち込み、そのコピーをギャラガーに渡した。ギャラガーは数日かけて原稿を読み、タイプミスが見つかると自分で打ち直し、完全に間違いがないことを確認すると、サンフランシスコクロニクルを訪ねて友人のコラムニストに原稿のコピーを見せた。その一方で、ケリーは『キャストアウェイ』のコピーを何部も作り、“The Washington Street Bar and Grill”に行って、知り合いを見つけるとエリックの話をしてコピーを渡した。エリックが精魂込めて書き上げた本は法律で保護される必要があると判断したオニールは、原稿を持ってコピーライトオフィスに行き、著作権登録の申請をした。数ヶ月後、登録が完了したことを示す証書がオニールのもとに届いた。

 『キャストアウェイ: 現代のロビンソンクルーソー』 
   エリック・R・ヨハンセン(著)
 Copyright by ジョン J. ケリー/ブライアン S. オニール

 

 

 

※The Washington Street Bar and Grillは 作家、記者、アーティスト、ミュージシャン、政治家など、サンフランシスコで活躍する著名人が集まるレストラン。

 

ケリーとオニールに朗報が届いたのは、それから三ヵ月後のことである。ギャラガーの友人のコラムニストがエリックの作品を気に入り、彼の働きかけで、ある出版社が『キャストアウェイ』の出版権を買い、数週間以内にハードカバーで出版されるという話をギャラガーが二人に伝えた。エリックの本が書店に並ぶと、まず最初に社会学者が絶賛し、まもなく新聞のブックレビュー欄で紹介された。大学でも、しばしば『キャストアウェイ』がディスカッションのテーマとして取り上げられ、市役所のミーティングルームでは、テンダーロインを改善するためのレクチャーが開かれ、エリックの本が資料として使われた。本の収益金はケリーとオニールの意向で、地域の慈善団体に寄付された。その大半は、エリックが一番喜ぶ場所、エリックが生きていればまっ先にそこへ寄付するであろう場所――グライドメモリアル教会とセントアンソニー教会へ贈られた。

 

その年のクリスマス、ケリーとオニールはエディーストリートをパトロールしていた。かつてエリックがテントを張って暮らしていた路地を過ぎたとき、オニールが言った。
「去年の今頃ですよね」
「何が?」
 ケリーが訊いた。
「エリックが殺された日です。犯人は捕まったけど、何だかスッキリしないなぁ。エリックの身に起こったことを考えると、気分爽快にはなれませんよ」
「ブライアン、そんなふうに考えるな」
「だって殺されたんですよ。彼が持ってるものみんな取られて、それから銃で撃たれて。こんなの酷すぎる」
 オニールは少し声を荒らげてケリーに顔を向けた。
「まぁ、確かおまえの言うように、その点に関しちゃ酷すぎるな。テンダーロインてところは、物事を悪く考えたら切りがない。だから、ちょっとだけ見方を変えるんだよ。そうでもしなきゃ、年がら年中、今のおまえみたいに暗い顔ばかりしてなきゃならんだろ」
「見方を変える?」
 オニールが尋ねた。
「エリックはここから出るための黄金の鍵を手に入れたんだ。監察医の話じゃ、エリックは結核だったって言ってただろ。そんな事、わたしたちには一言も言わなかったが、たぶん、病気のことでも悩んでたんだろうな。だけど今はもうそんなことで悩まなくてもいいだろ。天国は、毎日あったかくて食べ物も沢山あって、痛みも苦しみもないところだろ。きっと、毎日笑って暮らしてるよ。また何か新作でも書いてるかもな。わたしはそう信じてるよ」
 オニールは頷いたが、陰鬱な表情はまだ消えない。
「おい、ブライアン。クリスマスにそんな浮かない顔するな。サンタが逃げてくぞ」
 ケリーはオニールの頭に大きな手を乗せた。
「エリックは今、一番安全な場所にいるんだぞ。それに、エリックの書いた本。こっちの世界で生きてるわたしたちに素晴らしいプレゼントを置いていってくれたじゃないか。あの本がある限り、エリックの名前は永久にこの世に残るんだぞ。きっと、いつか世界中にエリックの名前が知れ渡るぞ。こんな素晴らしいことはないだろ。あの本はエリックの遺産になってしまったが、お金よりももっと価値があると思ってるよ。おい、ブライアン、考えてみろよ。エリックを殺したやつは、売っても二束三文にしかならんテントとバックパックを盗んで、一番価値のあるノートを置いていったんだ。全くバカな奴だ」
「そうですね。ジョンの言うとおりかもしれないな。さすが、歳をとってるだけあっていいこと言いますね」
 オニールはケリーの顔を見て軽くウインクした。
「まぁな。歳をとっていい事と言ったら、賢くなることだけかな。足と腰はダメになってくるが、まだ頭も体もおまえには負けんぞ。よし、それじゃ今からグライドメモリアル教会までハイキングだ。もうそろそろダイニングルームが開く頃だろ。今日はクリスマスだからな。いつもより並んでる人は多いだろうな」

   ケリーとオニールは街灯の灯り始めたエディーストリートを教会に向かって歩いていった。

 

 

(完)

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

皆様、楽しいクリスマスを!

 

youtu.be

 

(次回予告)

 

SFPD クロニクル「エンジェルダスト」

 

夜の歓楽街で遭遇する様々な事件。
忌まわしい過去へと記憶がフラッシュバックする
手負いの野獣のように凶暴化する男。不可解な自殺。
ミステリアスな新種の薬物。やがて舞台はサンフランシスコの歓楽街からチャイナタウンへと移っていく。

物語の舞台はは1970年代のサンフランシスコです。
物語は実話を交えたフィクション

注意:
スプラッター小説ではありませんが、ダークサイドが舞台なので グロ、エロ、暴力シーンが含まれます。

 


          (主な登場人物)

ライアン・オニール:テンダーロイン署の新米警官。ベトナム帰還兵

ジョン・ケリー:テンダーロイン署のフィールドトレーナー。

キース・ギャラガー:サンフランシスコ市警本部殺人課警部

ピーター・フラナガン:テンダーロイン署巡査部長

ケイコ・ギャラガー:日系アメリカ人。ギャラガー警部の妻

立花 真琴:アートスクールに通っている日本人