雑記帳

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SFPDクロニクル エンジェルダスト(1)

サンフランシスコ

 

  サンフランシスコで警官になってもろくなことは何もない。ベトナムから戻ってすぐ、サンフランシスコ市警に入署した。サンフランシスコの警官は社会的地位の高い花形職業。古い物語にでてくるような ”輝く甲冑を身につけた白馬の騎士”になれるだろう。そのことに何の疑いも持たず新規採用者の書類に自分の名前をサインした。

<ブライアン・オニール 22歳 >

 入署してすぐにフルトン通りにあるポリスアカデミーで訓練が始まった。そこで10週間、徹底的にしごかれるのである。来る日も来る日も訓練、テスト、訓練、テストで明け暮れた。身長178センチの小男の肉体をバラバラにしてしまうようなハードなトレーニングに耐え、1972年、無事アカデミーを卒業した。卒業証書と警察官のバッジを受け取ったとき、私は民主主義国家の平和とサンフランシスコ市民の安全を守るという崇高なる使命感に燃えていた。
『警官は市民を守る楯たるべし。正義という甲冑を身にまとった勇敢な騎士』  

 しかし、そんなものは所詮、現実を知らない若者の幻想でしかなかった。パトロールはハードでむかつく糞ったれの仕事。うかうかしていると、ストリートの獣に食い物にされる。私にはまだそのことがわかっていなかった。  

   アカデミーを卒業すると、新米警官は各分署に配属され、フィールドトレーニングオフィサーの監視下におかれる。新入り警官に割り当てられるパトロールエリアは、一日の内で一番犯罪発生件数の多い夕方から深夜のシフトで、各分署の管轄エリアの中で一番人通りの多い地区と相場が決まっている。もっと楽なシフトで平和な地区を担当したければ、白い髭が生えてくるまで経験を積むことだ。  私の場合、新人とはいえ、すでにアメリカ陸軍の特殊部隊で訓練を受け実戦も経験してきた。教官もそのことは十分に知っていたので、アカデミーでは他の生徒とは少し違うことをさせられた。格闘技の見本と練習台に使われたり、他の生徒とは違う課題を与えられたのである。練習中に技の手本を見せるのはいつも私の役目だった。グリーンベレーで訓練され戦場を経験した私に、今さらアカデミーの訓練など必要ない。私には全てわかっている。戦場も知らずに入署した連中とは違うという優越感を持っていた。そういうわけで、私の態度にはいささか問題があり、教官からしたら扱いにくい生徒だったかもしれない。私の腕には今ではもう青く変色して、”De Oppresso Liber (抑圧された民を解放する)”の文字も読めなくなってしまったが、”米国陸軍第5特殊部隊(グリーンベレー)”の二本の矢とナイフをデザインしたタトゥが彫ってある。トレーニングのあと、暑くもないのにワザと袖をまくり上げて、これみよがしにタトゥーをちらつかせたこともあった。 しかし、アカデミーでの訓練も終盤に近づいたころになると、私に与えられる課題はさらに難しさを増し全てわかっているという自信が揺らぎだしたが、それでもひとつだけ確信をもって言えたことは、アカデミーを卒業した後、私はサンフランシスコ最悪の歓楽街、テンダーロインに配属されるだろう。これだけは100%の自信を持って答えることが出来た。  

    テンダーロイン地区は南東をマーケットストリート、西をバンネスアベニュー、北をギアリーストリートで囲まれた三角地帯である。観光客もめったに訪れないサンフランシスコ最悪の歓楽街。ここにはステーキのテンダーロインのような上等なものは何もない。もっとも、この地区で働く警官には”ハザードペイ(給料にプラスされる危険手当)”が支給されるので、下っ端の警官でもランチにテンダーロインステーキを食べれるくらいの給料を稼ぐことが出来る。思った通り、卒業後すぐにテンダーロイン署に配属が決まった。サンフランシスコ市警の中で一番危険な地区にある一番小さな分署。私の勤務時間はスウィングシフト(4:00pm- 深夜)。新米警官にパトカーは与えてもらえない。一日の内で、最も犯罪発生件数の多い時間帯に、サンフランシスコで最も危険なエリアであるテンダーロインを歩いてパトロールするのだ。  
    ここはサンフランシスコの掃きだめ。蛆虫のたまり場。こそ泥、強盗、チンピラ、売春婦、ポン引き、麻薬患者、ドラックディーラー、すり、酔っぱらい。あらゆる種類のクズ共が集う街。路地と排水溝にはゴミが散乱し、ゲロと小便の匂い、ビールをぶっかけたような異臭が町中に漂っている。ねずみとゴキブリには最高の餌場である。24時間、眠らない街。テンダーロインのクズ共は、夜中でも「まだ昼間だ」という。市警の警官たちは軽蔑の意味を込めてテンダーロインを<魔の三角地帯>と呼んだ。

 

 

(続く)
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※“white knight in shining armor”
日本語では白馬の騎士を意味する。
14世紀頃の「knights-errant(ドンキホーテのような遍歴の騎士)」物語に出てきた言葉。

※Field Training Officer (FTO);
新人警官にパトロールのイロハを教えるベテランの警官。