本作品は2011年、産業廃棄物の不法投棄が問題になっていたころに書きました。最後のほうはゴジラのパロディーになってます。
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初めにカミありき
(作者付記)
この物語を書くにあたり、各種文献を調査したところ、あの悪名高き強制収容所所長ヘスが生前に著した回顧録の中より下記の日記を見つけましたので、ここに掲載します。
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19××年 某月某日
ワッフル強制収容所の新米看守だった頃、私は始めて処刑をみた。上官の命令で、看守は全員広場に集まれと言われた。何が始まるのか知らされていなかったが、広場の真ん中には薪が積まれ、側には灯油缶が数個置いてあった。それをみて直ぐにわかった。火あぶりの刑が執り行われるのだ。火あぶりにされるものたちを載せたトラックがやって来て、私の直ぐ側でとまった。
荷台からカビと汚物が混ざったような嫌な匂いが漂ってきた。長い間、陽のささない湿った場所に閉じこめられていたために、そういう匂いが染みついてしまったのだろう。縛られたままの状態で荷台から広場の中央に移され、そのまわりを囲むように薪が並べられた。
続いて、40リットルの灯油が一気に撒かれた。灯油の匂いがあたりに充満し、それをまともにかいでしまい、頭痛が襲ってきた。
早くこの場を去りたいと思ったのは、灯油の匂いと頭痛ががまんできなかったからで、火あぶりに立ち会いたくないからではなかった。
今もこの処刑のときも、焼かれるものたちに、ノミの糞ほどの憐憫の情も感じてはいない。
『収容所に入れられたものたちは国民にあらず。栄光あるドドイツ帝国に害をなす非国民は、速やかに始末されなければならない』――ワッフル収容所のハダカデオドール・マヌケ中将のもとで、私はこのように教育された。
松明を持ってきた下士官が火をつけたとき、彼の上着の裾に火が燃え移ってしまい、「アッチッチ アッチィィィィ!! 燃えてるんだろうか!!」と叫びながら、その下士官は水飲み場へ走っていった。
火は瞬く間に燃えあがり、火の粉が薄暗くなりかけた空に舞い上がっていった。
火あぶりの刑が一番残酷だと言う話をどこかで聞いたことがある。じわじわと皮が焼けただれ、肉が溶け落ち、内蔵が飛びだし、顔は醜く歪み、灼熱地獄の中で、耐え難い痛みと苦しみにもだえ、やがて全身が煙と炎に包まれていく。そういう姿を想像していた。
しかし、今、処刑されているものたちは、灼熱の炎に包まれてもいても、断末魔の叫び声すらあげない。聞こえてくるのは、火の粉がはじけるパチパチという音だけである。
私の隣で炎をみていた看守が私の耳元でささやいた。
「それにしても、よくこれだけ溜めたもんだ。3年前のものまであったからな。だけど、これ全部あわせてもトイレットペーパー5個くらいしかもらえないんだぜ」
トイレットペーパー5個の価値しかない!!
何と安っぽい!
家畜以下ではないか!
『栄えあるドドイツ帝国に害をなすものは国民にあらず。非国民は社会のクズなり。不要なゴミは燃やされなければならない』
炎の中から、私は「カミ」の声を聞いた。
(出典:ユドウフ・ハラヘルデ・ヘス『わが妄想』
※ アウシュビッツ収容所所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスから名前拝借
※ハダカデオドール・マヌケ中将はドイツ軍人テオドール・アイケ親衛隊大将からアレンジ
注:最近は見かけませんが、10年ほど前は古新聞回収業者のトラックが団地まで来てくれて、古新聞と交換にトイレットペーパーをくれました。
続く
(次回をお楽しみに)