雑記帳

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エンジェルダスト(2)(3)

 第2章

 

テンダーロイン署の警官として、初めてパトロールに出る日は12月24日、クリスマスイブになっていた。

 まったく、市警の連中は何を考えているんだ。クリスマスイブに一晩中パトロール! 気は確かか! ――初めてシフト表を見たとき、そう思った。しかしその時から、私は少しずつ理解し始めた。自分は尋常ではない世界に足を踏み込んだと言うことを。 

 

 クリスマスイブは家族で過ごす日である。誰が決めたのか知らないが、テンダーロイン署の中ではそのようなルールが出来上がっていたようである。しかし、「年輩の警官は」という但し書きがつく。私がテンダーロイン署に配属される前から、私よりもずっと年上の警官は、クリスマスイブの夕方からは家族や恋人と過ごせるように休暇を願い出ていた。ところが、クリスマスイブに休暇を取らない年輩の警官が一人いた。私のフィールドトレーニングオフィサーである。仕事熱心なフィールドトレーナーのおかげで、私のパトロール第一日めはクリスマスイブの夕方からとなったわけである。

 

 12月24日は午後1時の出勤にまにあうよう、早くから出かける準備を始めた。ダークブルーのウールのシャツを着て、同じ色のウールのズボンをはき、黒いネクタイをしめた。それから自分の姿を鏡に映してみた。鏡の中にはまだ制服が身体になじんでいない無表情の新米警官が立っている。

 ズボンにはパトロール警官の必需品を持ち運ぶのに便利なポケットがたくさんあった。大きめのフロントポケットとフラップ付きのバックポケットが二つ。右側のバックポケットの下には深さが膝の裏まである細長いサップポケットがついている。サップは鉛の玉を平べったい黒い革袋でくるんだ殴打用の武器である。しかし、サップを使っているのは年寄りの警官くらいのもので、ほとんどの警官は、ショートバトンと呼ばれているプラスチックか黒檀でできた長さ12インチ(30cm)の警棒を持ち運んでいた。原始時代の武器を思わせるようなサップに比べ、ショートバトンは形も洗礼されてきたとはいえ、使い方は同じで、先端につけられた革ひもを手に巻いて振り回し相手を殴打する武器である。

  床の上に転がっているショートバトンを拾い上げて数回振り回してみた。当たり所が悪ければ致命傷だ。ショートバトンは私のお気に入りの玩具で、上下左右、どんな方向からでも目的物にヒットできるように毎日ショートバトンの練習をしていた。『防御用に』といって渡されたが凶器にかわりはない。 

  鏡を見ながらバスケットウエーブ柄が織り込んである黒いガンベルトを装着した。幅6センチのベルトには黒光りするブラスバックルと、357マグナムカートリッジ6発をリボルバーのシリンダーに一気に込められるスピードローダー用のダブルポーチ。黒光りしているポーチがさらにあと二つ。犯罪者の手首に一度も触れていない真っさらなクロム鋼製の手錠。手錠のカギをとめておくスペシャルフック。S&W357マグナムをいれる回転式ホルスターもガンベルトと同じ黒革のバスケットウェーブで織り込まれていた。銃をホルスターにしまい他の部品を全てガンベルトにつけると重さが約20ポンド(9キログラム)になる。これに上着とショルダーホルスターの重量が加わるのである。

  警官の上着アメリカ陸軍の兵士が来ているものとよく似ている。この上着を着たまま出かけるつもりはないが、制服姿の自分を鏡に映してみたかったので上着に袖を通してボタンをはめた。大きなブラスボタンが四つついていてボタンには全て"the city of San Francisco"という文字が入れてある。それから、テーブルの上からSFPDの真鍮のエンブレムがついた帽子をとってかぶってみた。帽子の黒いまびさしはまだツヤツヤに光っている。帽子の内側には形状を保つためのワイヤーが入っていて、かぶり心地が良いとは思えなかった。

 鏡に自分の姿を映してみたが、私ではない別の男が立っているように見えた。帽子を数回かぶりなおしてみたり、鏡の前でポーズをとったりしてみたが、何回やっても、鏡の中の男は、真面目すぎる優等生の警官にしかみえない。

 おまえは誰だ? ――鏡の中の気取った自分に問いかけた。 

 

 時刻は間もなく11時。そろそろ出かける時間である。私は帽子をとって上着を脱いだ。ガンベルトを外し、それらを全て黒い旅行鞄の中にしまった。支度をしていると、アカデミーの授業中、教官から何度も言われた言葉が頭に浮かんできた。

 

『制服姿の警官は恰好いい。その恰好でサンフランシスコの街を歩けば若い女の子が振り返るだろう。しかし、非番の時に制服で町を歩けば、寄ってくるのはトラブルだけだ』 

 

  鞄の中からショルダーホルスターをとりだして身につけ、ライティングテーブルにおいてあるS&W9ミリオートマチックをチェックしてから左の脇の下近くにセットされたホルスターに銃をしまった。 

 ”それなしで出かけるな”というアメリカンエキスプレスカードの宣伝文句のように、警官は”銃無しで出かけるな”という市警の方針に従わなければならない。 

 警官の上着の替わりに、陸軍にいた頃からずっと愛用しているオリーブドラブ色のアーミージャケットをはおった。私が一番大事にしている幸運のジャケットである。忘れ物がないか部屋をぐるっと見回してからアパートを出たとき、隣の部屋からビング・クロスビーのホワイトクリスマスが聞こえてきた。ラジオでもきいているのだろう。

「メリークリスマストゥミー」

 ホワイトクリスマスを口ずさみながらバス停に向かった。

 

 

 第3章

 

 

 アパートを出て、少し早足でバレイヨストリートからコロンブスアベニューまで歩いていった。初日から遅刻したくはなかったし、警官として初めての出勤日は気分が高揚して足取りも軽やかだった。

 トロリーバスは満員で、ダウンタウンまでクリスマスプレゼントを買いに行く乗客の人いきれで蒸し暑かった。ストックトンストリートにそってノースビーチからチャイナタウンを通り、ユニオンスクエアを過ぎ、約20分くらいでバスはギアリーストリートについた。バスの中があまりにも暑すぎて、バスを降りたときは外の冷たい空気が気持ちよかった。そこからマーケットストリートまで歩いて、南に向かうバスに乗り換えた。大通りではベイエリア高速鉄道(BART)建設工事が着々と進んでいる。私はバスの窓からその様子を眺めていた。これが完成したら、もっと早くて快適な旅ができるだろうが、今は、舗装されていないでこぼこ道を猛スピードで飛ばしていくジェットコースターのようなバスの運転に耐えなければならなかった。バスがエディーストリートのバス停に着いたときは、急いでバスから飛び降りた。数分歩くとテンダーロイン署が見えてきたが、とても警察署とは思えない。建物の周囲に路上駐車しているパトカーのおかげで、かろうじてここが警察署であることがわかるが、もし、何もなければ、カリフォルニアがまだスペインの植民地だった時代にたてられた小さな布教所にしかみえない。黄土色の塗装がはげてしまって、ますます建物を貧相にしていた。

 荒んだ地区の荒んだ建物――これはたぶん何かの前兆かも知れない――殺伐とした建物を見ながらふとそんな思いが私の心をよぎった。半ばあきらめムードで中に入り、たった3歩で分厚い防弾ガラスでガードされたインフォメーションデスクについた。正面のデスクに座っている白髪のずんぐりした警官に自分の名前を伝えた。彼は私の顔を見ると、にこっと笑って言った。

「やぁ、君が新人のオニールか。そうか、よろしくたのむよ。 私はピーター・フラナガンだ」
 フレンドリーな印象を与えるアイルランドなまり。赤ら顔で真っ白な口ひげを生やしたフラナガンは、見るからに温厚そうで真面目な警官に見えた。彼は腕時計をちらっと見て言った。

「君のフィールドトレーナーはまだ来てないよ。まだちょっと早いからね。彼が来るまで、鞄は、むこうのロッカールームに置いて、その隣はブリーフィングルームだから、そこでやすんでればいいさ。みんなパトロールで出払ってるから誰もいないよ。じきにトレーナーのケリーが来るはずだ」

 そういうとフラナガンは、イスから立ち上がりのっそりと歩いていって、フロントドアの電子錠をあけて、警官のみ入室を許された「聖なる部屋」まで案内してくれた。

 ロッカールームは「部屋」と言うより、細長い狭い廊下のようで、私のロッカーはその一番奥にあった。オーデコロンの匂い、洗っていない靴下の匂い、あとは何の匂いかわからない。
 ジャケットをハンガーにかけ、9ミリオートマチックを上の棚に載せ、鞄の中からガンベルトをだして腰につけ、上から制服の上着を羽織った。サップポケットにはあの野蛮なサップではなく、ショートバトンを入れ、帽子を持って隣のブリーフィングルームに行った。
 部屋の真ん中には小さなおんぼろの机が1つ置かれていて、イスは折り畳んで壁にもたせかててある。その壁にはメモ書きや掲示板、指名手配の犯人の顔写真などが、無秩序に貼り付けられていた。テーブルの上にはクリップで留められた本日のブリーフィング資料がおいてあった。フィールドトレーナーのケリーが来るまで、それを読みながら待つことにした。
















 




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※サップ(sap):
警官が攻撃されたときに、自分の身を守るために使われる防御用の武器でああるが、当時の警官は防御よりも攻撃をするほうが多かった。サップで相手を叩き殺してしまう警官もいて、そのうちに「サップ」が「暴力」の代名詞になってしまった。

※ショートバトンは警棒のこと。

※ブリーフィングルーム:引継や打ち合わせなどを行うミーティングルーム。