雑記帳

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エンジェルダスト(10)

 フラナガン巡査部長が約束したとおり、私とケリーのけが人チームには当分の間、パトカーの使用が認められた。
「ジョンはまだ無理だから、君が運転しなさい」とパトカーのキーを渡された。ケリーよりも長くテンダーロイン署に勤務するフラナガン巡査部長は、年のせいで現場に出ることは少なくなったが、いつも外回りの警官たちを気遣い、やさしい笑みを浮かべている。しかし、その笑みの裏には、部下の殉職という悲しい過去を隠している。
「楽ちんで見通しがいい」とケリーが言うパトカーに乗り込み、私の運転でパトロールに出かけた。私たちの任務は徒歩でパトロールをしている警官をフォローし、必要ならば司令室に無線で連絡を入れることが主な仕事だった。
 夫婦喧嘩が一件と私たちを襲ったポール・パパスが住んでいたフィルフィルモア地区のマカリスターストリートで強盗事件が一件、犯人は現行犯で逮捕されたが、今回、私たちの仕事は、ウエブスターストリートとマカリスターストリートの交差点にパトカーを待機させ、逃げた共犯者を待ち伏せすることだった。火曜日の午後は、その二つ以外に大きな事件はおきなかった。

 翌日の水曜日は、時々、担当エリアを抜け出し、タウンセントストリートまでドーナツを買いにいった。徒歩のパトロールに比べれば確かにパトカーは楽である。しかし、なにかもっとアクティブなことがしたい。ケリーも同じで、助手席にすわって窓から外を見ているだけの仕事が退屈になってきたようである。
「オニール、パトカーからおりよう」
 9時45分、ケリーがそう言った。どんな小さなことでもいいから何かしたかった。それなら駐車違反の車をみつけるか、ということで話はきまった。駐車違反の獲物を見つけるのに長い時間はかからなかった。駐車禁止エリアに赤いフォードマスタングが停まっている。すぐに司令室に無線を入れた。

「司令室へ、こちら3 アダム42。 10-28。10-29 (車の所有者と所有者の逮捕状の有無確認を要請)」
「はい、こちら司令室。3アダム42、どうぞ」
「パーソナライズドライセンスプレートは,カリフォルニア、アイダ、ノラ、ポール、オーシャン、ロバート、トム。現在地はエリスストリート400ブロック」
 私はフォネティックコードを使って、車のナンバープレートの文字を伝えた。
「10-4。 10-28、29。カリフォルニアパーソナライズドライセンスは"INPORT"。3 アダム42はその場で待機してください」
 司令室の女性通信士がメッセージを復唱する。

 無線が終わったあと、私は違反切符に必要事項を記入していた。その間、ケリーは車の所有者がどこかからあわててとんでくるのではないかとあたりに目を走らせていた。違反切符の書き込みが終わる前に車の所有者があらわれ私たちに逆らうようなことをしなければ注意を与えるだけで違反切符を切るつもりはなかった。しばらく待っていたがいっこうに車の所有者はあらわれない。司令室から無線が入った。
「1972 フォードマスタングの所有権は、広東パシフィックインポート。住所はストックトン1022番地。逮捕状はでていません」
「こちら3アダム42。 10-4、10-98(了解。 現場を離れる)」

 結局、運転手は姿を現さなかった。逮捕状も出ていないということなので、フロントガラスのワイパーの下に違反切符を挟んでから、私たちはパトカーに戻った。

「しかし、不思議だね」
 私が車のエンジンをかけたとき、助手席に座っているケリーが言った。
「何が不思議なんですか?」私が訊いた。
「オニール、この辺に並んでる店、みたか? 酒屋と安酒場、ポルノショップ、安いぼろ宿(flea-bag hotel)が数件あるだけだろ。中国の輸入業者が興味を持つような場所じゃないのになぁ」
「そういえばそうですね。あのマスタングの運転手、どこいったんだろう」

 私はパトカーを発進させ、あまり速度を上げずに車を走らせた。ケリーは助手席の窓から外の様子を眺めている。
「さっきの駐車違反のマスタング。違反切符をおいてくだけでなにもせずに帰るってのもたまにはいいだろ」ケリーが言った。
「はい、実はさっきから、気分がすごくいいんですよ」
「ハハハ、気分爽快か。そうだろ、オニール。何でもかんでも噛みつきゃいいってもんでもないんだぞ。でもまぁ、ほとんどが噛み付かなきゃならない相手ばかりだけどな」
「はい、そう思います。これ、新しいポリシーにしようかな」
 というと、ケリーが私のほうを見て言った。
「新しいポリシー? おまえにポリシーなんてあったっけ?」
「やだなぁ、ちゃんとありますよ。でもさっきのマスタングのことで新しいのが加わりました」
「どういうポリシーなんだ?」
 ケリーが質問した。
「することだけしたら、あとは何もせずにずらかれ、この方針でいこうかなと。そうすればゴタゴタもおきないし、ぶん殴られたり骨折しなくてもすむんじゃないかと思います」
「ほう、そりゃ名案だ。お前さんは、やっぱり優秀な新人だな。おまえのポリシーは、ほえろ、かみつけ、ぶん殴れだと思ってたよ。ハハハ、それはわたしのことか。でもお前の言うとおりだな。静かに立ち去るのも必要なことだ」
 ケリーが笑いながらそう言った。

 それから10分後、私とケリーのけが人チームに出動せよの指令が無線から流れてきた。セントラル救急病院のロビーでお金を盗まれたと、病院の職員に文句を言っている男がいるようだ。私はパトカーのスピードをあげて病院に向かった。数分で私たちはグローブストリート沿いにある救急病院の裏に到着し、パトカーを救急車の横にとめた。
「オニール、お前はちょっとここで待ってろ。私が先に行って話を聞いてくるから、その間、何か異常がないか周りをよく見張っててくれ」
 そういうとケリーは病院の中に入っていった。私はパトカーをおりて、あたりをぐるっと見回し、何か不審なものはないか周囲を歩いてみることにした。懐中電灯で周りをゆっくり照らしたとき、隣にとめてめてある救急車の後ろタイヤのそばに何か黒い塊が落ちていることに気がついた。体をかがめて車の下にライトを当てると、落ちていたのはお金が数枚はさんであるマネークリップだった。司令室からの連絡では誰かがお金を取られたと言っていたが、もしかしたら、このお金のことではないだろうか。すぐにそれを拾って私も病院の中に入り正面ロビーに向かった。

 ロビーにはケリーと、額に包帯を巻いた50代くらいで明らかに太りすぎの金髪の男、その隣にはハンカチで顔を押さえた救急車の女性アテンダントが立っていた。私が彼らのところに来ると、その女性は目からハンカチを放し私の顔をチラっと見た。目が真っ赤になって化粧もとれている。どうやらずっと泣いていたようだ。

「君もわからんやつだね。だからさっきから私が言ってるだろ。何べん言わせば気が済むんだ」
 男は声を荒げ、ケリーに文句を言っている。いつ頭の血管が切れてもおかしくないくらい真っ赤な顔で、大きなケリーを下からにらみつけている。私はケリーの後ろに立ってケリーと金髪男の話を黙って聞いていた。
「あなたが言われてることはわかりますよ。この女性があなたのお金をとったというのは本当に間違いないですか?」
 ケリーは穏やかなトーンで話している。 
「だから何べん言わせる気だ! 救急車でここに来るまではお金はポケットの中にあった。ストリートの馬鹿どもに私のメルセデスはぶち壊されるは、こんなひどい怪我はさせられるわ、おまけに救急車のアテンダントに金まで盗まれたんだ!」
 ケリーの後ろから男の様子を見ていたが、顔はますます赤くなっていく。人事ながら、この男の脳の血管が心配になってきた。
「もう一度訊きますが、お金はここに来るまであなたのポケットに入っていたんですね」
 ケリーのほうはいたって冷静である。
「何回言わせる! 君は頭が鈍いのか!」
 男の怒りは頂点に達しているようだ。
「その質問に答えないといけませんか」ケリーが言った。
「たかが警官の分際で、一体誰にものを言ってるのか、あんたはわかってるのか!」
「あなたが誰だろうとわたしにはまったく興味はありませんが」
 ケリーがあまりにもあっさりと答えるので、男の顔の筋肉が怒りでヒクヒク動いている。
「私は、市議会議員のヴァーノン・スミスだ!」
「あなたが市議会議員だろうと、わたしには関係ないですね。みんな平等ですから。スミスさん、いつまでもこんなことしていてもしょうがない。ちょっと訊きますが、お金はいくら盗られたんですか?」
 ケリーがそういったとき、私は二人の会話に口を挟んだ。
「あの、金額、当てましょうか」
 私が言うと、スミスは憎憎しげな表情でケリーの後ろに立っている私を見て言った。
「なんだ、この若造は!」
「スミスさん。この制服をみたら彼が何かわかるでしょう」
 それからケリーは振り返って私に訊いた。
「オニール。お金がいくらかわかるのか?」
「はい、212ドルです。シルバーで真ん中のオニキスの上にVSとイニシャルが彫ってあるマネークリップにはさんでありました」
「それは私のだ。なんで知ってる?!」
「救急車の下に落ちてました。多分、救急車から降りたとき、ポケットから落ちたんだと思います。あなたはそれに気がつかなかったんだと思います。だから、スミスさん、あなたのお金は盗まれたんじゃなくて落としたんです」
 私はマネークリップをスミスに渡した。しかし、それにはさんであった紙幣はまだ私の手元にある。
「オニール.スミスさんのお金はどうした?」
「あ、はい、ここに」
 ケリーは私から紙幣を受け取ると、端をつまんでスミスの前に差し出し、顔の前で紙幣をひらひらと揺らした。
「スミスさん、よかったですね。見つかりましたよ」
 スミスは何か言いたげな表情だったが、何も言わず、ケリーの手から紙幣をひったくるように取ってポケットに突っ込んだ。ケリーはずっとうつむいてハンカチで目を押さえて立っている女性アテンダントの側により、そっと肩を抱いてスミスのほうに女性の向きを変え、言った。
「スミスさん、あなたのひどい言葉で彼女はずいぶん傷つきましたよ。人間、誰でも間違いはある。男らしく、彼女に謝ったらどうですか」
 ケリーは突き刺すような鋭い視線でスミスの目を見ていった。スミスはケリーと目をあわせようとしない。口をへの字に結んで顔を横に向けている。スミスが何も言わないので、かわりにケリーが女性アテンダントに声をかけた。
「申し訳ないことをしたね。時々ね、一方的に相手を攻めるだけせめて、自分が間違ってたとわかっても謝ることを知らない人間がいるんだよ。そういう連中に、反省とか謝罪とか教えてもできないんだな、きっと頭が鈍いんだろうね」
 その女性は「すみません。ありがとうございます」と泣き声で答えながらハンカチで涙を拭いていた。
 ケリーは次にスミスの顔を見ていった。
「さぁ、今夜はこれでいいでしょう。私たち帰りますよ。それじゃ、スミスさん、お大事に。おやすみなさい」
「さぁ、あなたも一緒に行きましょう」私は女性に言った。

 私とケリーと女性アテンダントの3人で廊下を歩いていたら、後ろからついてきたスミスが大きな声で私たちを呼んだ。
「オイ! おまえたち、警官だろ。けが人を一人で帰らせるつもりか! タクシーくらい呼んだらどうだ。タクシーだ、呼んでくれ! タクシーだ!」
ケリーは呆れた顔で振り返った。
「タクシーって呼ぶんだな。OK、ミスタータクシー。バイバイ!」
 ケリーは市会議員のミスタータクシーに大きな声で別れの挨拶を投げつけた。

 

 

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※ [Will you call me a taxi?]は「私にタクシーを呼んでいただけますか」と「私をタクシーとよんでください」の二通りに訳せる。

フォネティックコード(Phonetic alphabet):
無線通話などで文字のスペルを正確に伝えるために使われる。
受信者は頭文字をひろう。
INPORT(Ida, Nora, Paul,Ocean, Robert,Tom)